ちくま新書

洞窟探検への招待

狭い、暗い、死ぬほど危ない! なぜ、そんなに苦しい思いをしてまで、洞窟に潜るのか? 「クレイジージャーニー」「情熱大陸」などテレビでおなじみの洞窟探検家・吉田勝次氏による『素晴らしき洞窟探検の世界』(ちくま新書、10月刊)プロローグの一部を公開いたします。 「洞窟王」吉田勝次氏の熱い思いと、冷や汗をかく危機一髪エピソードをどうぞ!

3 洞窟は危険のかたまり?

†狭い斜面で身動きがとれない⁈
 洞窟探検を始めて20年以上。洞窟には、その魅力と同じくらい危険もたくさんある。常に危険を回避しながら前へ進んでいくことは、探検するときの絶対条件だ。しかし、事故は偶発的なものなので、突然危険な状況に陥ることがある。これまでに遭遇した、思い出すだけで息苦しくなる絶体絶命のピンチについてお話ししよう。
 人がいないジャングルの奥地や無人島、ヒマラヤの山々では、事故が起きたときに第三者の力を借りられないので、小さなトラブルでも最悪な結果になる可能性がある。日本国内に3000か所あるという、身近に感じられる国内の洞窟にしても、地面の下を奥深く進めば、無線もGPSも使えない。いったん洞窟に入れば、そこは非日常の孤立した別世界、「近くて遠い場所」なのだ。
 岐阜県のとある未踏洞窟を1年かけて調査していたときのことだ。人ひとりがギリギリ通れるある通路をはじめて通ったところ、下方へ伸びている別の小さな通路の入口に出くわした。「通路」といっても、辺りはぬかるみドロドロ、目の前の入口は、相変わらず人ひとりが通れるかどうかの狭さだ。その入口から入ったとしても、進んだ先が真っすぐなのか、曲がって広くなっているのか、行き止まりなのか、まったくわからない。でも、先へ進むにはその小さな通路を突破するしかない。当然、目で進路を確認しながら進むには、頭から行くしかなかった。だから僕は小さな通路の入口に頭から体を突っ込んで、しばらく進んでみた。すると、奥が行き止まりだと確認できるところにまで来たときに、戻ろうとしても狭くて手足が思うように動かせず、また地面がドロドロで滑って動けないという事態になってしまった。
 このような事態に陥らないように日頃から気をつけているのだが、未踏洞窟を探検するときは、進んでいく先のことは誰も知らない。そこを敢えて進んでいくのだから、想定外の出来事も起きるのだ。このような場合は、進めなくなったときに戻りやすく、体の負担が少ないので、足のほうから入っていくのがセオリーだが、足には目がついていないので、進むべき通路がどこにあるのかや危険の有無などを確かめるためには、やはり頭から入っていくしかないと、そのときは判断したのだった。
 言い訳になるが、この事態に至った経緯は次のようなものだ。動けなくなる前に、下へ45度ぐらい傾斜している小さな通路に頭を入れて奥を見てみると、さらに狭くなりはするが、その角度のままで先が続いているように見えた。そこで、慎重に頭から入っていくことにしたのだった。ところが、水平の通路と違い、下り坂で通路内がドロドロなために、体がどんどん滑り落ちて狭い通路に入り込んで、はまってしまったのだ。「そのまま行けるところまで行き、進んだ先の広い空間で体の向きを変えて戻りたい」という僕の希望は叶わなかった。しかも体が止まったところから奥をよく見ると、その先は行き止まりだった。

                      身動きがとれない?!

 45度の斜面、狭い隙間の中ではほとんど身動きがとれないので、そのままの体勢で後ろ向きに這い上がらないと戻れない。1分間ほどもがいてみたが、僕の体の置かれた状況に変化はなかった。それどころか、さらに泥で滑って数十センチメートルほど下に進んでしまったようだ。
 そのときまでは、どんな狭い通路でも体をねじ込んで進むことができた。頭が入ればすり抜けられる猫とは違い、人間は頭が入っても胸部が通らないことが多い。胸の厚みと幅は肋骨で形作られていて、その骨格のサイズで通れる空間は決まってしまう。限界ぎりぎりの狭い通路を進むには、肺の中の空気を出しきって、できるだけ胸の厚みを減らす。もちろん長い距離を通過中ならば、呼吸は最低限の吸気量にとどめなければ、肺が膨らみ、たちまち身体が通路の中に詰まって身動きがとれなくなってしまう。頭部を下にしている場合、長いあいだ動けなくなると、低体温症や頭部の血圧上昇などで死に至る可能性もある。
 まったく動けなくなったと気がついた瞬間、僕に襲いかかってきたのは恐怖心だった。怖さが極まってパニックになり、さらに過呼吸で酸欠を起こして、自分で自分が制御できなくなる状態を「魂が離れた」と呼んでいる。そうなっていたら、助かる道はあっても自分でそれを閉ざすことになる。どれだけ平常心でいられるかが、生死を分けるポイントなのだ。
 恐怖心に襲われそうになった瞬間、とっさに僕はライトを消して、目を閉じてみた。すると、目の前の現実を忘れることができた。こうしていったん落ち着いてから、自分が置かれている状況を確認してみると、しっかり動かせるのは両手の手首と指だけで、体は少しくねらせることができる程度だった。もちろん近くに手を貸してくれる人はいない。このようにピンチに陥ったときには、いつも必ずこう思う。
 「人間、いつかは死ぬ。それがここなのか? いま死ぬのが嫌なら動け!」 
 まだ死ぬわけにはいかない。からだ全体をくねらせると、少しずつ、数ミリメートルずつ戻ることができた。さらに指先を一つに集めて泥に刺し、左右の指を交互に伸ばすと、数センチメートルくらい進めそうだとわかった。思った以上に動けない、今までにない状態だったが、この2つの動作を同時にすることで、なんとか戻れそうだと思った。ところが、そう簡単には戻れない。早く脱出したい気持ちが強く、焦ってしまい、せっかく数十センチメートル戻れたのに、滑って元の位置よりも深い場所に2度も滑り落ちてしまったのだ。さすがにこれには挫けそうになった。
 でも結局、少しづつでも動けば戻れるという確信を持っていれば、あとは体力と精神力で何とかなると思えた。時々抑えようのない恐怖心に襲われたが、少しずつ慎重に動き、何とか這い出すことができた。身動きがとれなくなってから脱出までの30分ほどの時間は、とてつもなく長い時間に感じられた。

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勝次, 吉田

素晴らしき洞窟探検の世界 (ちくま新書)

筑摩書房

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