会社で同僚や後輩と話をしていて、何かの拍子に父の話になり、相手が私と父の関係を初めて知った時のリアクションは、「ああ、海軍や戦争のことを書いている人だよね」が一番多く、「もしかして『きかんしゃやえもん』を書いた人?」というのもある。
なかには(というか結構な割合で)全くピンと来ない人も居て、そんなときは、まあ今
時あんな真面目そうな、いかにも純文学という感じの本、読まないものなあ、と思うよ
うにしている。
父の死後、筑摩書房のご好意により、立て続けに『カレーライスの唄』『ぽんこつ』『末の末っ子』、そして本著『あひる飛びなさい』を文庫版として再刊していただくことになった。私自身、正直言って父のこの辺り、つまり一九六〇年代、七〇年代の小説はあまり手に取ったことがなく、改めて読んでみて、なかなか面白いと思った。まずどれもタイトルがなかなか洒落ている。
『あひる飛びなさい』、一体何のことだか題名だけでは分からない。本編をお読みになった方は「あひる」がなかなか空に羽ばたくことの出来ない飛行機のことを指していることはもうお分かりだと思うが、原稿用紙の枡目を一枚分埋めるのに苦しい、苦しいと言っていた父がこのような洒落たタイトルを考え付くというのはよく考えるとなかなかの驚きである。
また、一連の小説は元々が軽いタッチの新聞連載小説であり、他の「真面目そうな」ものと比べると読みやすく、いまどきの読者にも割とすんなり読んでもらえるのではないかと思う。
事実、この頃の父の小説はよく映画やドラマの題材となっている。芦田伸介さんや加賀まりこさんなど錚々たる俳優による映像を私は残念ながら観たことが無いのだが、思い出してみれば、私が小さい時(一九七〇年代後半)、父は芦田さんとよく麻雀をしていたし、母からは「あなたが産まれる前、加賀まりこさんから『今度のあなたの子供、双子だったら一人頂戴ね』と冗談を言われた」という話を聞いたことがある。人前に出ることが大嫌いと公言していた父は、後年本当に人付き合いが減ったが、当時は年齢も四十歳を超えたあたりでまだ若く、世間的にも名が知られるようになり、ドラマに出演する俳優や女優をうちに招いたりして、華やかな世界を楽しむ余裕が生まれてきた頃だったのだろう。
本小説の主人公横田大造は戦争で日本をやっつけたアメリカにごく自然な反感を抱きつつ、駐留米兵相手の商売を始め、ハワイに行って溺れたところをアメリカ人に助けられ、そのおおらかで人生を楽しむところ、人に親切なところに大いに感心する。このあたり、父は自分の思いを描いていたのではないかと思う。父は広島県出身の海軍であり、アメリカを憎む要素をたっぷり持っていた。事実、戦後しばらくはアメリカ人のことが大嫌いだったという。それでいて、アメリカの財団に招かれて一年間米国に留学し、すっかりアメリカかぶれになったところなど、大造の様子とよく似ている。父は留学から帰った後も一貫してアメリカのことは好きで、アメリカを安易に批判するメディアや「知識人」と呼ばれる人々のことを毛嫌いしていた。
話は変わるが、私は実は航空会社に勤務しており、この小説で描かれる国産飛行機誕生への思いや、客室乗務員が日本流のおもてなし精神を以て海外の航空会社と張り合おうとするところなど、全く他人事とは思えない。当時も今も航空会社のやっていることは基本的に同じであり、空の旅を出来るだけ快適なものとして提供する、ということに尽きる。ただし、提供するサービス自体はどんどん高度になっており、今や機内でインターネットにつながることも出来るし、かなり大きな画面で映画を観ることも出来る。シャワーを浴びることの出来る航空会社もあるくらいだ。航空機の居住性や性能は進化しており、一昔前であれば航空機での移動は難しかった方にも気軽に乗ってもらえるものとなった(作中、体のご不自由な方々を現代の感覚では不適切な言葉で表現している点、時代背景の相違ということで何卒お許し願いたい)。
加茂井博士が予言したような、音速を遥かに超え、東京からハワイまで二時間、というほどのスピードはまだ実現できていないが、折しも再び国産の小型旅客機が世に供されるまでもう少し、というところまで来ている。
乗り物が何よりも好きで、新しいものにミーハー的興味を持っていた父(八十歳を過ぎてからラジオでジャネット・ジャクソンの曲を聴いて、これは面白いと言ってボーズの高性能プレーヤーを突然購入した)は、これから数年後に国産の旅客機が空にデビューする日が決まったら、きっと加茂井博士のように「ちょっと失礼」と言って飛行場ま
で見に行ったことだろう。
乗り物好きだった阿川弘之が国産旅客機誕生を描いた娯楽作にこめた思いとは…。