ちくま新書

「英語教育改悪」と「子供たちの未来」

「大学入学共通テスト」(現センター試験)への民間試験導入、小学校での英語教育、無茶なことばかりの新学習指導要領……英語教育の未来はいま深刻な危機にあります。1月刊、鳥飼玖美子『英語教育の危機』の「はじめに」を公開致します。

 英語教育改悪がここまで来てしまったら、どうしようもない。もう英語教育について書
くのはやめよう、と本気で思った。それなのに書いたのが本書である。
 英語教育についての書を何冊も刊行し、あちこちの講演で語ってきて、もうやめよう、
と思うようになったのは、英語についての思い込みの岩盤は突き崩せないと悟り、諦めの
境地に達したからである。
 どんなに頑張って書いても話しても、人々の思い込みは強固である。曰く「グローバル
時代だから英語を使えなければ」「でも日本人は、英語の読み書きは出来ても話せない」
「文法訳読ばかりやっている学校が悪い」「だから、英語教育は会話中心に変えなければ」という信条を多くの人たちが共有している。
 そうではない、英語をコミュニケーションに使うというのは、会話ができれば良いとい
うものではない、しかも今の学校は、文法訳読ではなく会話重視で、だからこそ読み書き
の力が衰えて英語力が下がっている、といくら説明しても、岩盤のような思い込みは揺る
がない。政界、財界、マスコミ、そして一般世論は、ビクともしない。
 結果として的外れの英語教育改革が繰り返され、行き着いた先は、教える人材の確保も
不十分なまま見切り発車する小学校での英語教育であり、大学入試改革と称する民間英語
試験の導入である。ここまで来てしまったら打つ手はない。英語教育について書いたり話
したりは無駄な努力だと考えざるをえなかった。
 それでも、何とか気力を奮い立たせて本書を書いた。この危機的状況にあって、言うべ
きことは言っておこうと考え直したからである。英語教育における改革は不断に必要だが、それには英語教育の実態や改革の成果などを十分に検証した上で議論を尽くすべきであろう。皆さんにも英語教育の課題を知っていただき考えていただくほかはないと考えるに至り、現状分析と批判を提示し私なりの代案も示した。
 一般読者にはなじみがない新学習指導要領をあえて取り上げたのは、学校の先生たちは、このような指針に沿って英語を教えることになるのだ、と知っていただきたいからである。
 英語教育の専門家であっても、これほどの英語を教えるにはどうしたら良いだろうと悩むような内容が記載されている。英語教員の心中を察して余りある。
 学習指導要領では「批判的思考」の育成を掲げているが、学校現場では、文科省や教育
委員会には逆らえないと感じている教員が多いし、学習指導要領を批判することに否定的
な感情を抱く英語教員もいて、疑問や不安の声はなかなか表に出ない。しかし、肝心の教
師が批判を避けていると現場の声が伝わらず、教育は良くならない。
 被害を受けるのは生徒たちである。特に可哀想なのが小学生である。何も分からない子
供たちが、あまり自信のない先生から中学レベルの英語を習う。嫌いにならなければ誠に
幸いであるが、中学に進む頃には英語嫌いになっている児童が今より増える懸念がある。
ゆとり教育のように、始まった途端から軌道修正を余儀なくされることになるかもしれな
いが、一人の子供にとっては間に合わない。その子が受ける英語教育は、たった一回きり
なのである。救いようのない気持ちにならざるをえない。何とかしなければ、と本書を書
きながら思い続けた。
 英語教育の問題は実は、日本の将来に関わることであり、未来を担う世代をどう育てる
かの問題である。先が見通せない不確実な時代、これまでにもまして多様性に満ちた世界
に生きることになる世代を、どのように育てるのか、皆で考えていただきたい、というの
が本書に託した私の願いである。