みんな”普通

第9回ストップ、真に受けがち思考

人の言うことを素直に聞く前に立ち止まって考えることが大切だ。人生につまずいてしまう前にこれだけは覚えておこう!

人生につまずいてしまう人の特徴のひとつに、「真に受けやすさ」がある。だれかが言ったことを咀嚼そしゃくせず、まるっと鵜呑みにする。よく言えば素直、悪く言えば思考停止しがち。

こういうタイプっていい人と接すると人生いい感じになるんだけど、近くにいる人があんまり賢くなかったり悪人だったり、同じく真に受けやすいタイプだったりすると一気にダメになるんだよね。常に人間関係のガチャを引いてるようなところがある。

真に受けやすいかどうかって生まれ持った性質も多分にあるんだけど、とはいえガチャ頼みで生きていくのも心許ない。ということで、今回は真に受けてはいけない個人的ツートップを紹介しようとおもう。真に受けずに参考にしてほしい。

 

まず、真に受けちゃダメな圧倒的ナンバーワンはインターネットだ。とくにSNSは、ガチの専門家から知ったかぶりの素人まで等しく発信できる魔窟。情報を真に受けちゃう人たちはあおられたり怒ったり騙されたり忙しそうにしているし、いわゆる「賢い人」も専門外の分野ではまんまとフェイクを鵜呑みにしてたりする。

みんなが話題にしてることを疑うってむずかしいんだよね。ただ、ネットで耳が痛くなるくらいヒステリックに叫ばれてる意見は、リアルの世論や事実とズレてることが多い気がしている。

みんなも18歳になったら有権者になるんだから、選挙を例に出そうか。民主主義の根幹です。

ちょっと前(2024年1月)に八王子市長選挙があって、僕は八王子育ち八王子在住の八王子市民として一家言あるんだけど、このときのネットはだいぶひどかった。与党か野党かの戦いで与党側の候補者が勝つと「八王子市民はバカだアホだ」とディスられたり、「八王子はあの新興宗教が支配する街で組織票が動いたからだ」と陰謀論めいた意見が拡散されたり。さすがに笑っちゃったけど。

だって市民には市民なりの考えが当然あるし、「あの宗教の人間ばっかり住んでる」なんてあり得ないのは実際に住んでる僕らがいちばんわかってるんだから。ネット言説の適当さ、すげえなあって体感できたからいい経験になった。

それに、ネットでわーわー言われてる内容をリアルで耳にすることってほぼないんだよね。ネットとリアルって思ってるより分断されてて、よくも悪くもネットの熱量と世の中の変化は比例しない。SNSでバズった話題についてリアルの友だちはぜんぜん知らなかったって経験、ない? 

目の前で話題になってるネタは広大なインターネットのほんの一点で、爆風に見えても現実ではまったく無風ってことも多い。バカに見えちゃうし、実際バカになっちゃうから、ネットの意見を真に受けて自分の意見にしないほうがいい。

ちなみに、インフルエンサーのおすすめ商品やサービスも真に受けちゃダメだよ。一時期、僕にも「このやせ薬を宣伝してください」ってDMがめちゃめちゃ届いたもん。こんなおじさんが宣伝してどれくらい売れるんだろうって興味は湧いたけど、するはずないよね。

だれかのおすすめにはだれかの儲けが絡んでるし、努力せずに成果が出せる系の情報はまず疑ったほうがいい。立派なおとなみたいなことを言うと、まっとうな努力でしかまっとうな成果は出せない。やせたいなら運動しよう。

みんな学校では「人の話をよく聞きましょう」ってカモ養成講座を受けてきてるし、そもそも本気で煽ろうとかだまそうとしてくる人に抗うのはけっこうむずかしい(だいたい相手のほうが上手だから)。だけど「知る人ぞ知る真実」系の言説と、努力に対する成果がデカいときにはとりあえず疑ってみる。そうしたら、すこしはカモになる可能性を減らせるかもしれない。

 

2つ目の「真に受けちゃいけない」が、「正義=正しい」という教えだ。

これは学校教育の影響だとおもうんだけど、正義は絶対で、「正義のための行動=善行」だと考えている人がとても多い。でも、「ふざける子には『それはよくない』と注意しましょう」みたいな正義の言葉を真に受けると、大変なことになる。

なぜかって、嫌われるし危ないからだ。やたらいっちょ嚙みしてくる人ってうっとうしいし、電車でマナー違反を注意して殴られた、逆恨みされて刺されたとかって事件、聞いたことあるでしょ。

モヤモヤする相手を気持ちよく撃退する『スカッとジャパン』ってテレビ番組があったけど、あれ、絶対にマネしないほうがいいよ。リアルでできないからエンタメになるのであって、スカッとしようと思って気づいたらあの世に送られてる可能性だってある。「やばいやつだな」って人がいたら、正義のこん棒を振りかざすんじゃなくて秒で離れよう。

僕も知人に変な投資に誘われたことがあって、明らかに詐欺だったから「すごいね!」と褒めてウサギのごとく逃げた。相手はその儲け話を信じてて、僕を騙そうとしてるわけじゃない。だから本当は「騙されてるよ」「それはよくないよ」って教えてあげるのが正義の善行なのかもしれないけど、本人に聞く耳があるのかわからないよね。自分の安全を優先すべきだし、そもそも他人はコントロールできない。

反対に、相手が正義をぶつけてきたらへらへら応じたほうがいい。たとえばコロナ禍では「マスク警察」と「マスク外せ警察」の両方が街に生息していた。僕も両ポリスからそれぞれ何度か絡まれて、そのたびに「はーい」ってマスクを着けたり外したりしてた。胸を張ってコウモリになった。

だって、そこで自分の主張を通す意味、ないもん。赤の他人のマスク事情に口を出してくるやつって明らかにやばいやつじゃん。穏便にその場をクロージングするのがベストだ。

正義の旗は最強だから、攻撃的になりやすいんだよね。たとえば「沈黙は加害」って言葉があって、「被害者がいるのに声を挙げないのは加担しているのと同じだ」って意味なんだけど、これもある種の「責め」でしょ。

でも、声を挙げられるほど強くない人はいっぱいいる。自分がいつ弱い側に行くかもわからない。正義でコーティングされた「べき」で人をコントロールしようとする言葉を真に受けると、いつか自分が苦しくなっちゃうよ。

 

ということでインターネットと正義、真に受けると大変なツートップを紹介したけどもちろんほかにもいろいろある。真に受けるのをやめると自分で考えなきゃいけないからちょっとハードなんだけど、ハードモードな人生を送るリスクは減らせる。

よく言えば素直で悪く言えば思考停止しがちな自覚がある人は、意識してみてほしい。