ちくま文庫

未来から来たモダン・ガールたち
『断髪女中 獅子文六短篇集 モダンガール篇』編者解説

3月刊行のちくま文庫新刊として、2冊同時刊行という形で、遂に実現した獅子文六初めての短篇小説集!! その編者お二人の解説を公開します! これまで〈幻〉だった獅子文六の短篇集の手引きとしてぜひぜひお読みください!!! 

〈それにしても『青春怪談』も『悦っちゃん』も『コーヒーと恋愛』も『自由学校』
も手に入らないなんてひどいよね、獅子文六〉

 これは私のツイッターに残された二〇一一年のつぶやきです。つぶやきというよりもボヤキに近いですね。今の私は二〇一一年の私に心配するな、喜べと伝えたい気持ちです。私がこのツィートで挙げた獅子文六の主要作品は現在、ちくま文庫で読めるのですから。

 一八九三年(明治二六)生まれの獅子文六は、一九三〇年代に小説家として活躍し始めた時から一九六〇年代まで一貫して人気のあった作家でしたが、人気があり過ぎた故なのか一時期は作品が軒並み絶版で、新刊書店では手に入らないという状態でした。私も二〇〇〇年代はじめに古本を通して彼の作品の魅力を知りました。
 文学の世界には早くからアカデミズムや評論家によって偉大であると認められ、名作として語り継がれる作品があります。でも権威とは別のところで人気を集め、一度は忘れられたように見えても若い読者やクリエイターによって発見されることで、再び息を吹き返すタイプの作品もあるのです。そうした作品は再発見された世代によって、ニュー・クラシック(新たなる名作)という位置付けをされることがしばしばです。
 発表当時から売れていた作品だったとしても「自分たちが発見した」という思いを新世代に抱かせてくれる作品という言い方も出来るでしょう。ガチガチに評価が固まっているのではなく、新しい世代がその魅力を見つけられる余地を残しておいてくれる作品。それは書かれた当時の位置付けがどのようなものであっても、未来の古典なのです。そして洒脱な中に驚くほどの新しさを秘めた獅子文六の作品にとっての未来は、文庫化によって再び人気が定着しつつある現在なのかもしれません。古書店や古本市で獅子文六の本を血まなこになって探していた世代である私からすると、大変に感慨深いものがあります。

 私が「断髪女中」を表題作とするコバルト叢書を神田の古本市で見つけたのは、古本ハンティングに励んでいたそんな時代のことでした。コバルト叢書とは鱒書房が出していたシリーズ本です。出版社が設立された一九三九年(昭和一四)に東郷青児の描く女性のポートレートを表紙にして華々しく始まったのですが、第二次世界大戦の煽りを受けて翌年には出版社自体が活動を停止しています。戦後になってからこのシリーズも再開されていますが、私が手に入れた古本は戦前に出たものでした。奥付を見ると、初版が一九三九年(昭和一四)一〇月一五日。私の本は翌年の二月に出た第一〇版で、たった四カ月でこれだけ版を重ねていることからも当時の獅子文六の人気がうかがえます。巻末に載っている「美と教養と歓びの泉!」というキャッチフレーズのついたコバルト叢書の宣伝でこの本は「ジャムパンのように上品で美しいユーモアを以って、我国知識人に最も愛好される獅子氏の、楽しくも微笑ましき芸術的香り高き短編集」と紹介されていました。この宣伝文、品が良くて知的な文学の香りがしてフランス帰りらしくハイカラでもありながら、親しみやすい獅子文六の作風を表現するのに「ジャムパン」をたとえとして持ってきたところが個人的には素晴らしいと思います。
 それにしても「断髪」と「女中」という言葉の組み合わせのインパクトはすごいものがあります。断髪=ショートカットのボブといえば当然、一九二〇年代の浅草や銀座を闊歩していたモガ(モダン・ガール)が思い浮かびます。その存在は、主人の家に住み込んで家事全般を請け負う女中という職業とどうしても結びつきません。「女中」という言葉には、職業というよりも奉公の形態と考えた方がしっくり来る響きがあります。後に「お手伝いさん」「家政婦」という言葉にとって代わられるのにも納得です。カフェのウェイトレスやダンサー、女優、デパートガール、タイピストといった(戦前の)モダンな職業ではなく、どうして古色然とした女中なのか。しかも「断髪女中」の初出は一九三八年(昭和一三)なのです。
「近頃、払底しているもの、銅、ガソリン、傑作小説、デ盃日本選手」という作品内の描写からも分かる通り、大正~昭和初期の浮かれて華やかなムードは過ぎ去り、日本が軍国主義へとひた走っていたせいで国内の物資がめっきり減っていた頃です。断髪のモガは既に時流に合わないはずです。ちなみに「デ盃」とは男子テニスの国別対抗戦「デビスカップ」のこと。日本は一九二一年(大正一〇)に初出場した時は強豪国を破り決勝戦まで進出して準優勝を果たしたのに、この年は第一ラウンドで敗れています。
 欠乏していたのは物資やスポーツ選手だけではなく、労働者階級の若い女性たちが一斉に工場に吸い上げられたせいで中流家庭が「女中」に事欠いていたという背景が「断髪女中」で語られています。そんな事情で本編の語り部的な存在である「本多さんの奥さん」が困っていた時に現れたのが、アケミという名の断髪の若い女性でした。
 このアケミさんという女性のキャラクターが滅法、面白い。教養があるだけではなく、家政の仕事も完璧にこなせて、しかもその方法が非常に実用主義的(プラグマテイツク)なのです。そんな彼女がモガ風の断髪と女中という職業を選んだ理由が明かされるクライマックスを初めて読んだ時の衝撃は忘れられません。「モガ」の幻想に惑わされず、時流を読み、独立した女性の職業として女中に目をつけたアケミさんの狙いは驚くほど論理的なものでした。時代背景も読み取れる理屈ではありますが、どうすれば若い女性が本当に独立して、かつ好きなことも追求する余暇が得られるかと考えるアケミさんはモダン・ガールという存在を超えて〝未来から来た女性〟だとも言えます。流行作家でありながら獅子文六が古びず、何度も新世代に再発見される理由には、いま読んでも新しく感じる「断髪女中」のアケミさんのような女性キャラクターにもあると思うのです。そういう女性の登場人物を描く時にちょっと皮肉が効いているのも、絶妙なさじ加減です。
 獅子文六の作品は数多く映画化されていますが、この「断髪女中」も一九四〇年(昭和一六)に新興シネマが「初春娘」というタイトルで映画にしています。原作のアケミさんに当たる役を演じたのは「隣の八重ちゃん」(一九三四年)の主演女優として人気を博した逢初夢子です。モダン派の女優として知られた彼女がトーク帽にくわえ煙草でポーズを取っているポートレートを見ると、アケミさんの役は似合っただろうなあと思います。いつか見たいものです。

 今回ちくま文庫から発売となる二冊の獅子文六の短篇集は、獅子文六全集に掲載されている短篇を千野帽子さんと私が査読して選定し、その中から女性が活躍する作品を中心とした「モダンガール篇」の収録作を私が、男性が主人公の「モダンボーイ篇」を千野さんがセレクトしています。編纂する機会を頂いて「モダンガール篇」はそんな〝未来から来た〟獅子文六作品の女性たちの魅力が伝わるセレクトにしたいと思いました。冒頭に持ってきたのは、もちろん「断髪女中」です。
 それから私が勝手に「獅子文六の女中シリーズ」と呼んでいる作品群が続きます。「おいらん女中」は、金融界の大物になった男が大学時代に吉原で馴染みだった花魁を自分の家庭の乳母として雇い入れる話です。作品の発表が一九五八年(昭和三三)で、その時点で「今から六十年前」「日清戦争と日露戦争の間の頃」と言っているところから推測すると、上原英一郎が花魁の田毎さんと出会ったのは一八九〇年代の終わり、明治時代のことになります。今とはモラルもだいぶ違う時代でした。かつて男女の関係だった人の下で働く田毎さんと、夫との深い仲であったことを知りながら田毎さんを雇い入れる懐の深い細君のイト子さんの関係はぱっと見には古風ですが、夫とは関係のないところで共に家庭生活を営んでいく二人の絆が、それぞれが上原氏と結んだものよりも深いというところにはっとします。田毎さんにとって、上原家でイト子さんと過ごしお嬢さんの面倒を見た生活は〝花魁のその後〟ではなく、本当の人生なのです。
 獅子文六本人と思われる作家が語り部の「見物女中」に出てくる富沢エツ子は、作家に手紙をおくって女中にして欲しいと頼み込む熱心な若い女性です。作家は故郷で代用教員をやっていたというエツ子の仕事ぶりを「素朴なばかりでなく、大いに甲斐々々しい」と気に入るのですが、エツ子はアケミさんとはまた違う目的があって、女中という職業を選んでいたのでした。このちゃっかりぶりが、逆に清々しくはないでしょうか。
「竹とマロニエ」は戦後まもなく、女中としてはとっくに引退した五十代の女性が、かつての主人の洋館を借りたフランス陸軍の無電技師のところで再び働き始める話です。生まれた国も社会的なバックボーンもまったく違う二人が絆を深めていけるのは、やはりひとつ屋根の下で暮らしているからなのでしょうか。通いの家政婦だとこうはいかないかもしれません。なお、アンドレさんが話す艶笑譚めいた小話は、戦前に獅子文六が「羅馬の夜空」(「モダンボーイ篇」に収録)という題名で発表した短篇と同じ内容です。文六はこの小話、パリのカフェあたりで仕込んできたのではないかと私は思っているのですが、どうでしょう。
 伊豆の温泉に行く旅の一団に加わった作家志望の青年が、家出して紡績工場の女工になりたがっている変わり者の令嬢と出会う「団体旅行」は、発表当時の一九三九年(昭和一四)の女性作家の台頭を思わせて興味深い作品です。語り部の平助君は、キヨ子嬢が作家志望と知って彼女に心惹かれるようになります。彼は女性作家に芥川賞を「攫われ」てから今までバカにしていた「女流作家」に尊敬と畏怖を感じるようになったと言っていますが、これは恐らく「団体旅行」が発表された前年の後期に「乗合馬車」で芥川賞を受賞した中里恒子のことでしょう。彼は更に、キヨ子嬢に吉屋信子や林芙美子の面影を見るのです。作家志望のキヨ子が女工を目指すのも、林芙美子の「放浪記」のヒットなどが背景にあるのかもしれません。
 男女が集まる加留多会のにぎやかな描写で幕をあげる「明治正月噺」はオチが見事です。あの恋人たちの前日譚だったとは!

 獅子文六は若い男女を描くのも上手ですが、夫婦の間の微妙な関係性を書かせても天下一品です。「婦人倶楽部」と「主婦の友」の読者から募った体験談を彼が小説に仕立て上げた「夫婦百景」(一九五七年)は獅子文六の戦後のヒット作のひとつで、テレビ化もされて人気を博しました。この短篇集でも夫婦の仲をテーマにした作品をいくつか選んでみました。
「プレン・ソーダ」のような一〇年目の結婚生活が簞笥の下から見つかった謎のお金でにわかに活気づく「探偵女房」は、非常にキュートでユーモラスな作品です。お金の出所を突きとめようと探偵の真似事を始める滝山夫人は『青春怪談』の宇都宮蝶子さんにも通ずるおっちょこちょいで可愛らしいところがあって、これが獅子文六のヒロインのプロトタイプのひとつかなと思わされます。マリ・キュリーの伝記を読んで、急に賢夫人になろうとはりきりだす「胡瓜夫人伝」の万里子夫人も然りです。自分の夫がかかった病気について勘違いしている「仁術医者」の新婚の奥さん、ワカ子さんもどこか天然です。「愛の陣痛」の良家の子女であるユリ子さんは、流線型機関車に性的な魅力を感じてしまうというところが最高です。彼女は夫となる柏木氏に機関車のごとき情熱を求めて、積極的に迫ります。女性が夫婦生活に貪欲であって、悪い訳ありません。
「遅日」はほろ苦い余韻を残す初恋物語ですが、予科練で訓練を積みながらついに戦争に行くことがなかった青年が、少年のような純愛を捧げるのが二十歳以上も年が離れた共産党の代議士候補だというところがユニークです。しかも主人公が思慕を寄せる対象の赤松英子は、「日付けを数字で表わす事件の一味」に加わって刑務所に入ったこともある女性なのです。この「事件」は日本共産党の活動員が一斉に検挙され、治安維持法に問われた三〇名あまりが市ヶ谷刑務所に投獄された「三・一五事件」のことでしょう。
 パリ帰りの獅子文六らしく、彼の短篇にはフランス人のヒロインも登場します。一九三五年(昭和一〇)発表の「吞気族」は、アパートメントと長屋の中間のような集合住宅に住む人々を描いた作品です。その顔ぶれがありきたりでなくて実にカラフル。甲斐甲斐しく働く妻と売れない作詞家の夫婦、住職の愛人、そして海外で出会って結婚した日本の上流階級の夫のもとから逃げ出したフランス人の女性ときています。彼が暮らす集合住宅は、「省線方円寺を去ること、八丁あまり」の場所にあるという設定ですが、この「方円寺」とは当時の都電杉並線の「高圓寺」駅のことではないかと推測されます。一九三〇年代の東京郊外の、それこそ吞気な雰囲気がうかがえるようです。そんなのどかな郊外のアパート生活に登場するアメリイさんのキャラクターが何とも豪快で、強烈な印象を残します。「沈黙をどうぞ!」はパリのアパートメントが舞台です。日本に妻を残してパリに留学に来ている主人公は、隣室の物音に悶々とする日々です。どうやらこのお隣さんは、二号さんを生業としているようです。「沈黙をどうぞ」とは「静かにして下さい」というフランス語を直訳したフレーズでしょう。主人公からそう言われて笑っていたお隣さんがこの言葉を返すことになる顚末は、おかしくも切ないものでした。
「谷間の女」では、親の敷いたレールに何の不満もなく乗ることが出来た明治の女たちと、実際に自由を手にして戦後を生きる昭和の女に挟まれた大正の女の本音を知ることが出来ます。上品に笑いながら、若いお嫁さんたちに「自由という概念を知らされたのに、それが絵に描いた餅でしかなかった」恨みを語るT夫人が静かに怖い。しかしどの世代の女性も、恋愛や結婚に関して自分より上の世代がありついていた恩恵にはありつけず、その下のように自由奔放にもなれないという不満を持っているものではないでしょうか。
 恋愛や結婚に結びつかない想いというものを明治生まれの七〇代の女性が知るのが「写真」です。尾関女史が歌舞伎俳優に抱く想いは、今なら「推し」(自分が最も応援しているアイドル)という概念として語ることが出来るかもしれません。 最後の「待合の初味」は、若くして亡くなった友人の馴染みの芸妓を訪ねて、初めて待合に行く青年の物語です。芸妓の手練手管も印象的ですが、それ以上に「あるもの」に主人公も、芸妓も、女将も、そして女中も心を奪われるラストの鮮やかさが心に残ります。
 ぱっと目の前が開けたような風通しの良さ。獅子文六の小説とモダンなヒロインたちの相性の良さは、この作家の持つそんな性質にあるのだと思います。

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