ちくま文庫

『構造と力』の裏面史? 
いや、こちらが表側だった
『「読まなくてもいい本」の読書案内』(橘玲)解説

「読むべき本が多すぎる」から「実は、読まなくてもいい本」を決めればいいんじゃないか、という前代未聞の読書案内は、実は秀逸な現代思想史だった!? 橘玲の名著を、吉川浩満が解説する。若い人はもちろん、若くない人にもすすめたいその理由とは何か。

 大哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーの読書論に、こんな名文句がある。
 
 良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。(アルトゥル・ショーペンハウアー『読書について』鈴木芳子訳、光文社古典新訳文庫、146頁)
 
 そのとおり。正しすぎてぐうの音も出ない。しかし、考えてみたら無茶な話だ。まる
で、宝くじを当てるための条件は、外れくじを買わないことである、なんて言っている
ようではないか。それがわかれば苦労はない。
 とはいえ、読書が宝くじとは違うこともたしかだ。当たりくじは毎回ランダムに選ば
れるけれど、読書の対象である学問や文化には時代に固有のパターンやプロセス、すな
わち歴史がある。だから歴史をよく知る先輩からのアドヴァイスが役に立つことがある。
求めるべきは、「読まなくてもいい本」をさんざん読んできた先輩からのアドヴァイス
である。
 橘先輩の手になる本書『「読まなくてもいい本」の読書案内──知の最前線を5日間
で探検する』こそ、このショーペンハウアー的無茶を可能にしてくれる読書案内である。
しかもたった5日間ですべてが完了するのだから、忙しい現代の若者にとってこれ以上
の強い味方はない。この名著が文庫になり、より入手しやすくなったことを、私は心か
らうれしく思う。
 それにしても、読書案内が名著であるとは、どういうことだろうか。読書案内という
のは名著を紹介するものであって、べつにそれ自体が名著である必要はない。本書が名
著であるのは、読書案内の体裁を借りながら、従来の通説を塗り替える秀逸な現代思想
史になっているからだ。これまで誰もそのようには語ってこなかった、しかし一読して
そのとおりだと納得せざるをえないような、力強いストーリーが展開されている。
 橘先輩の記述はすでに十分に簡明であるので、この解説で内容をさらに敷衍したり要
約したりする必要はないだろう。ここでは、本書をより理解しやすくするだろう(と私
が考える)補助線を引いてみることで解説に代えたい。
 
 用意した補助線は二本ある。一本めは進化論の重要性と有効性について。
 本書にはさまざまな学問やトピックが登場する。目新しい言葉がどんどん出てきて頭
がクラクラするほどだ。5日間のツアー日程はそれぞれ、複雑系、進化論、ゲーム理論、
脳科学、功利主義と題されている。
 本書が扱う領域は広大だが、これらすべてのベースとなるのが進化論である。本書に
登場する新しい学問(科学)は、進化論を土台にして融合し、ニューロンから政治経済
にいたるすべての領域で巨大な「知のパラダイム転換」を引き起こしているとされる
(本書12頁)。
 進化論が諸学問の土台として重要な役割を演じるのは、ヒトも生物の一員であるとい
う根本的な事実を考えれば当然である。だが、それだけで納得して通り過ぎると、進化
論とそれをベースとした諸学問の比類なき有効性を十分に理解できないおそれがある。
 その有効性は、進化論が徹底したエンジニアリングの知であることに存する。エンジ
ニアリングの強みは、神様や魔法や祈祷に頼ることなく、科学的知識にもとづいた諸手
続き(アルゴリズム)の集積によって現実の問題を解決できることだ。
 ダーウィン以降の進化論は、生物を自然淘汰の産物として把握するが、ここで自然淘
汰とは、自然を素材として生物に関わる研究開発(R & D)を絶え間なく実行するエン
ジニアにほかならない。進化学者もまたエンジニアである。自然淘汰という先輩エンジ
ニアがどのようなアルゴリズムを実行したのかを解読する後輩エンジニアなのである。
詳しくは、本書125頁でも紹介されているダニエル・C・デネット『ダーウィンの危
険な思想』(青土社)の第8章を参照してほしい。
 本書に登場する諸学問が、数学とコンピュータ科学によって飛躍的な発展を遂げたの
は偶然ではない。数学とコンピュータはエンジニアリングの最良の友である。進化論の
エンジニアリング思考に数学とコンピュータ科学が合流することで、複雑な世界をいか
にして把握し、それに介入するかについての強力な諸学問が生み出されたのである。
 
 本書はおもに若い人たちに向けて書かれている。有効期限の過ぎた旧世代の制度や知
識のせいで新世代が余計な苦労をしないようにという橘先輩の配慮が行き届いている。
では、若くない人はどう読めばよいのか? これを二本めの補助線としたい。
 まず、私も含めた旧世代の人間は、自分の古びた知識をアップデートするために、ま
た新しい知識にキャッチアップするために、本書を利用することができる。まあ、ふつ
うに読めばそうなるはずだが、じつはもうひとつ、年長者ならではの読み方がある。
 それは、若いころに熱中した書物と本書をあえて突きあわせて併読してみることであ
る。そうすることで、ひょっとしたらなにか新しい発見があるかもしれない。
 私の場合、副読本の筆頭は浅田彰『構造と力』(勁草書房、1983)になる。学生時
代に読んだこの本をきっかけにして、かつての橘先輩と同じように私もポストモダン思
想にのめり込んだ。1980年代後半から90年代のことである。
 私が本書を初めて読んだときの印象は、「これは『構造と力』の裏面史である」とい
うものだった。だが、それはポストモダン思想のストーリーを正史とした言い方にすぎ
ない。いまとなっては、本書が提示したストーリーこそがメインストリームにふさわし
いものであったことがわかる。
 ちなみに当の浅田氏はといえば、『構造と力』が一世を風靡しているさなかにもカオ
スやフラクタルについて見事な整理を行っている。さすがというしかない(詳しくは浅
田彰ほか『科学的方法とは何か』中公新書、1986を参照)。それにひきかえ私のような平凡な読者は、ポストモダン思想に熱中するあまり、本書が提示した重要な鉱脈の存在
に当時まったく気づくことがなかったのである。
 本書を読みすすめながら、私はかすかな胸の痛みとともに青春時代のあれこれを思い
起こすことになった。人生において無駄な苦労をあえてする必要などまったくない。だ
が、すでにしてしまった苦労をどのように位置づけて無害化ないし再利用するかは、重
要な課題のひとつである。本書はそうした課題を与える本でもある。
 
 そんなわけで、すべての若い人と若くない人に本書をおすすめする次第である。
 

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