いつまでも働ける社会。人々はこの言葉にどういう印象をもつだろう。
生涯現役、人づくり革命、人生100年時代、一億総活躍時代。就業延長に関わるキーワードが、ここ数年で政府やメディアから次々と発信されている。歳をとってまで働き続けることを礼賛する日本政府。高齢になっても自己研鑽を続け、社会で活躍することを理想とする世の中の風潮。昨今、高齢者が働くことがさも当然かのように語られているのである。
たしかに、働くことがいきがいだという人もいる。働くことを通じて様々な経験をし、その過程で喜びを感じる経験をしたことは誰しもあると思う。しかし、はたして、日本に住むすべての人が働くことに対してこのような肯定的な感情を有しているとでもいうのであろうか。働かなくても豊かな生活ができるのであれば働きたくない。そう思う人は幾ばくもいないのだろうか。
経済学者の橘木俊詔氏によれば、古代ギリシャにおいて、労働とは奴隷のなすべきものであった。ところが、中世、近代と時代を重ねるにつれ、本来は苦痛である労働に喜びを感じるよう価値観が変容していく。我が国においても、儒教による影響のもと、勤勉と倹約を尊しとする価値観が浸透する。しかし、為政者の側からすれば、庶民に対してこういった価値観を持つように諭す期待も同時にあったのだという。
私たちは労働に対してどのような価値観を有するべきなのか。
労働とは元来から苦役なのか、それともそこから喜びを見いだすべきものなのか。その答えは小生には到底わからない。こうした葛藤は、現代の人々にも通底するものとしてあるのではないだろうか。
他方、人々の崇高な価値観はともかくとして、現代日本を見渡せば少子高齢化の波は待ったなしで押し寄せてきている。少子高齢化が進む間、日本経済の成長率は鈍化し、日本財政は危機的な状況に陥ってしまった。
私たちがいつまで働くかという問題は、一義的には個人の意思によって決められるべき問題である。しかし、現代の社会構造を鑑みたとき、その選択が完全に個人に委ねられているのだと考えるとすれば、それはあまりにもナイーブな考えだと言わざるをえない。日本の社会構造の変化が、人々の引退年齢に陰に陽に影響を及ぼしているのである。
少子高齢化が進む日本社会において、私たちはいつまで働かねばならないのか。未来の日本社会においては、定年後に悠々自適な老後を楽しむという理想はもはや過去の幻想となっているのだろうか。この不確実性こそが、多くの人にとっての将来不安の中核的な要素となっているのだ。
実際に引退年齢を決めるメカニズムは複雑である。日本の経済や財政の状況、それに伴って年金のゆくえがどうなるか、賃金や物価、貯蓄、働き方、職などあらゆる経済的な要素が引退年齢に影響を与える。これらの経済変数が、いつまで働くかという選択を左右することとなるのだ。
だとすれば、超高齢社会の日本における老後がどのようなものになるか、その未来を正確に予測することは至難の業ともいえる。
しかし、日本社会における高齢化は今まさに進んでいるのである。高齢化率は1980年の9・1%から2000年には17・4%、2020年には29・1%にまで上昇してしまった。そして、2040年にはそれは35・3%まで上昇すると予想されている。高齢化は今も進行している。私たちの未来は、まさに現在の延長線上にあるのだ。
そう考えると、私たちがするべきことは起こりえない出来事に悲観することでも、未来の楽観論を構築することでもない。私たちが必要なことは、超高齢社会に入った日本でいま何が起こっているのかを正確に理解することであろう。
正しい現状認識に立脚すれば、その延長線上に何が起きるのかはおおよそ想像ができるはずだ。そこに広がっている世界は、決して突飛なものではない。
本書では、日本の労働の未来を、現在の延長線上で語ることを試みた。そして、本書の最も大きな特徴は、その前提のもと、日本の現在と未来を正確に理解するために、可能な限り多くの統計を利用しているというところにある。
我が国の代表的な統計を網羅的に活用することで、日本を取り巻く現状を分析し、最も現実的な将来像を浮かび上がらせる。それを心掛けたつもりである。
もちろん、統計が扱うことができる時制は過去及び現在にとどまる。しかし、過去から現在に至るまでの趨勢を正確に理解することが、未来の正確な理解につながるのだと私は考えている。
少子高齢化がくびきとなっている日本において、私たちの社会はどこへ向かおうとしているのか。私たちはいったいいつまで働けばよいのか。超高齢化時代の日本社会の実相を、豊富な統計分析によって解き明かしていくこととしよう。
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