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税金を払いたくない!――なぜ日本では痛税感、重税感が目立つのか?
『税という社会の仕組み』より本文冒頭を公開

税を納めたくないという思いはどこからくるのだろう? 税制の歴史や現状の問題点、そして未来の展望を見つめて、「民主主義を実現するための税」という仕組みを考える『税という社会の仕組み』より本文冒頭を公開!

税を払いたくない思いはどこからくるのか

 私たちはなぜ税金を納めるのでしょうか。そもそも税金とは何なのでしょうか。

 経済学的には、税金とは公共財・サービスの対価です。つまり、政府は、消防や警察、道路や公園等といった公共財やサービスを提供してくれるので、それらに対して私たちは税金を支払うという形になります。

 しかし、私たちは積極的に払うのではなく、義務だから仕方なく払うものだと考えがちです。たとえば、スーパーマーケットでアイスクリームを買うときには、書かれている金額を見て、きちんとその金額を支払います。それなのに、なぜ税金は払うのが嫌なのでしょうか。

 それは私的財と公共財との違いだと考えることができます。私的財は私的に使われる財・サービスのことです。先ほどは一例としてアイスクリームを挙げましたが、服やノートや美容院、映画など、お金を払わなくては得られないもの、受けられないサービスを私的財といいます。私的財はアイスクリーム1個に対して158円、シャツ1枚に対して2980円というように財と価格が一対一の関係にあり、自分が選んだ財・サービスを得るためにいくら支払うのかがわかりやすくなっています。

 それに対して政府によって提供される公共財は、この一般道を通るためにいくら、火事で消防が出動するのにいくらなどと一つ一つ値段がついているわけではなく、一見、どれも無料のように見えます。ですから、自分たちがそれらの財・サービスを選んでいる実感がもてず、そのために税金を支払いたくないという思いが生じると考えられます(実際に選ぶことができないのか、ということについては後ほど議論します)。

 だからといって、「無税国家」や「国家なき社会」でこの社会が成り立ち得るのかと考えると、それは難しく、やはり税金を払わなくてはいけないのだということは、皆、頭では理解しています。それでも気持ちとしては、自分はなるべく払いたくないというわけです。お金は人に払ってもらって、自分はうまいことサービスだけを受けたい。このような行動をする人(あるいは企業)を経済学では「フリーライダー」といいます。「ただ乗りする人」という意味です。

 とりわけ日本では、税金というと「苛斂誅求かれんちゅうきゅう」――税金などを厳しく取り立てられること。江戸時代の農民がお上に容赦なく年貢を搾り取られる、あのような状況をいう言葉です――のイメージが強く、自分たちが税金を納めようと思える「政府を選ぶ」という実感が持てないままここまできています。あるいはそれは、「政府が決める支出(公共財)の中身に、有権者として影響を与えることはできない」という無力感の裏返しでもあるかもしれません。

税は選べるもの

 公共財・サービスへの対価は個々の財・サービスに対して支払うのではなく、消費税、所得税、〇〇税など、さまざまな政策を一括してひとまとめにしたパッケージに対して支払います。本来私たちの社会では、政策全体をまとめたパッケージを政党が提示し、国民が選挙を通じて、それらのうちのどれがよいのかを選ぶことにより(場合によっては、それで政権交代を起こして)、国民のニーズに政府の財政支出が近づけられていくことになります。

 たとえば、A政党は社会保障中心のプログラムを組み、そこに予算を多く配分するという選挙公約を掲げるとしましょう。一方でB政党は、やはりまずは誰かが稼いで、税金として納めてもらったものを分配する必要がある、だから稼ぐ人を伸ばさなくてはいけないという考えのもと、企業やお金持ちへの減税を打ち出すとします。選挙というのは単純にいえば、あなたはそのどちらを選びますか? ということであり、多くの人が選んだ方が選挙で勝って政権党になり、その後、公約に従って予算が組まれていくことになります。

 日本では政権党はあまり変わりませんが、アメリカでは民主党と共和党でしばしば政権交代が起こります。つまり、有権者は選挙で政権交代を実現することで、自ら公共財を選んでいるということになります。そのような国であれば、国家が納税の対価として私たちに便益(何らかのサービス)を与えてくれるという実感をもちやすいでしょう。他方、そのような実感がない場合は、痛税感、重税感だけが目立つことになります。

 日本では自由民主党(以下自民党)が長く政権についていますが、自民党はこれまで、農村部や、都市部であれば昔ながらの商店街など、旧来の中間層の人々に利益配分していくような政策を進めてきました。そのため公共事業が重視され、社会保障制度や教育、子育て、貧困対策などについては対応が遅れがちでした。こういった政策への不満はとりわけ都市住民の間で大きく、それが1990年代以降、日本新党、民主党、そして現在の日本維新の会に至るまで、都市の無党派層の不満の受け皿となる政策を掲げた政党が大きく得票数を伸ばすという結果につながっています。2009年には民主党が公共事業批判をして自民党に勝ち、政権が交代しましたが、自民党の公共事業偏重の財政支出が、そういった都市の無党派層の投票行動の背景要因となってきたことは間違いないでしょう。

 その後、社会の高齢化に伴って社会保障費が日本の最大の支出項目になり、現在は国の支出全体の3割超を社会保障費が占めるまでになっています。さまざまな社会保障費のうち、特に医療、年金、介護にかかる経費が多いのですが、これらの社会保障で利益を得る人(受益者)は、圧倒的に高齢者に偏っており、結果として、若者や子育て世代への支援がおろそかにされています。

 ヨーロッパの場合は、受益者として高齢者が多いのは確かですが、子育てや家族関係、住宅、勤労者に対する支援など、現役世代に向けた予算もそれなりに用意されており、バランスが取れています。特に北欧では、教育費は大学まで無料です。これが納税者の利益としてとても大きく、その分、各家庭の支出も減るということで、国民は25パーセントという高率の消費税もやむを得ないと受け入れているわけです。

 それに対して日本では、国家の財政支出のあり方と、都市の現役世代を中心にした国民のニーズとの間には依然としてギャップがあり、「税を払っているのに利益を得られない」という思いが解消されていないように思われます。



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