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日本手話で学ぶろう学校で、難聴のTVディレクターが見つけたこと

東京都品川区には、日本でただ一つの、「日本手話」を第一言語とした教育を行うろう学校があります。この学校に一年間密着したドキュメンタリー「ETV特集「静かで、にぎやかな世界」」は国内外で高い評価を受けました。実はこの番組を撮影したディレクターも難聴者です。「「共に生きる」はきれいごと?」「私は社会のお荷物?」。聞こえる人と共に仕事をするなかで、様々な葛藤を抱えていた彼女が見つけたものとは--。『手話の学校と難聴のディレレクター』より、まえがきと序章を公開します。

序章 静かで、にぎやかな新学期

 2017年4月。私は、新学期の始まりを撮影するために、ある学校を訪れていた。二階にある職員室の隣の応接室を借りて、機材の準備をしていると、窓からは校庭の桜が見えた。薄ピンクの花びらが気持ちよさそうに風に触れている。春を感じつつも、廊下の空気はまだ冷たく、寒さと緊張を和らげるために、ダウンジャケットを羽織った。
 この日は、小学部の新年度最初の登校日。廊下では、すでに登校してきた子どもたちがたわむれている。
 と、四年生の男子がすっとカメラレンズの前に顔を出してきた。そして、自分の胸の前で、パパパっと手を動かす。「なんだなんだ?」と思っているうちに、女子たちがドドドっと一気に割り込み、さらに手を動かしてくる。端に追いやられそうになった男子が、「これだけは言わせて!」とでも言うように、再びカメラに向かって手を動かす。女子たちは笑い転げている。でも、そこに声はない。校内はシーンと静かだ。
 私が訪ねたのは、東京・品川区にある私立のろう学校、「明晴学園」。幼稚部から中学部まで、耳の聞こえない〝ろう〞の子どもたち57人が通う(当時)。子どもたちの言葉は、「手話」だ。声は一切出さず、手の言葉でコミュニケーションをとる。その手の言葉は、ジェスチャーでもなく、日本語に合わせた動きでもない。

 私も耳が聞こえないが、ふだん、子どもたちのように手話では会話しない。補聴器をつけて、音声の世界で生活する難聴者だ。そのため、子どもたちの手話をじーっと見ていても、何を言っているのかまったくわからない。そこで、ロケに同行する手話通訳者が、ワイヤレス・ピンマイク越しに、子どもたちが何を話しているのか、ヒソヒソと手話を日本語に翻訳してくれる。しかし、私はその声を聞き取ることができないので、現場には、「文字通訳」と呼ばれるスタッフが付き添い、私の耳の代わりとなって、声を文字に書き、伝えてくれた。それを読んで、私は何が起きているのかを把握していた。
 最初にカメラへ寄ってきた男子が話していたのは、キャスター風にきりっと、「手話ニュースを始めます。今日の主な項目です」。次に、女子たちに追いやられながらも、いたずら顔になって、「僕たちの先生は、誰でしょう⁉」。
 実は、小学部では各学年の担任がまだ発表されていなかった。子どもたちのドキドキはピークに達していて、とにかくはしゃぎまくっていた。男子からカメラ位置を奪い取った女子たちは、「あっちに、イケメンがいます!」「彼は一番モテます」と、私たちにリポートしてくれていたのだった。指名されたのは、カメラをよけていた五年生の男子。「僕じゃない! 僕じゃない!」と、照れて逃げ出す。それでも女子たちは実況を続ける。「彼には、ファンが一万人以上いるそうです」。子どもたちの小さな手は止まらない。次から次へと何かを話しかけてくる。私は思わず、「うるさーい! 早く席につきなさーい!」と、叫んでいた。静かな廊下で、だ。
 と、二階から小学部の先生たちがゾロゾロと降りてきた。さっきまでの騒がしさが噓のように、子どもたちは一目散に教室へ駆け込み、バタバタっと席につく。先生たちは大名行列のように歩き、自分が担任する教室の前に来ると、一人ずつ列を離れていく。子どもたちは、どの先生が自分たちの教室に入り、担任を名乗るのか、それがわかる瞬間をいまかいまかと待ち構えていた。
 特に六年生は、小学部最後の一年。緊張と期待が入り交じったような表情で、姿勢を正して座っていた。教室に足を踏み入れたのは、がっちりした体格の小野広祐先生。さっと右手をあげ、手話で挨拶する。
「おはようございます!」
 その瞬間、児童二人が、がくっと姿勢を崩した。レイラが天井を見上げて叫ぶ。「嫌だ〜! 六年間!」ハルカが諦めたようにつぶやく。「やっぱり。六年間同じだなんてひどい……」。小野先生と六年生は、この日をもって小学部最後の六年目も一緒に過ごすことが決定した。手話通訳の声を通して聞いていた私たちは、笑いをこらえるのに必死だった。
 何度も言うが、そこに声はない。手話を知らずに、その光景を見ていたら、私は気がつかなかっただろう。とびきり、にぎやかな新学期が始まっていたことに。

 私は、この日から、およそ一年間にわたり、明晴学園の学校生活を記録することにした。この学校を撮影しようと思った一番の理由は、とにかく明るく元気な子どもたちの姿に惹かれたからだ。手話でありのままに自由にコミュニケーションをとる姿が、とても輝いて見えた。
 聞こえない〝ろう〞のままの自分を思いっきり楽しむ子どもたちの姿から、社会の「当たり前」を覆してみたい。共に生きるってどういうことか、視聴者に〝一緒に〞考えてほしい。そんな思いから、子どもたちに密着する日々が始まった。
 

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