ちくま新書

世界との比較から日本の教育を考える
『日本の教育はダメじゃない――国際比較データで問いなおす』「はじめに」より

昨今、日本の教育については否定的な意見ばかりが目立ちますが、それらは本当なのでしょうか? 本書では、専門分野も国籍も異なる気鋭の研究者2名が、国際比較データを駆使して日本の教育への様々な疑問に答えます。ここではその「はじめに」を公開いたします。

日本の教育を壊さないために

「日本の学校教育はダメだ」
 そのように言う人はたくさんいます。あるいは「日本の学校教育は創造性を育まない」「日本の学校はいじめの温床になっている」、そういう話をしばしば耳にしますが、日本の学校教育を褒める人はあまり多くありません。
 それはある程度、仕方のないことかもしれません。日本の学校教育について議論する人は、日本の学校教育を良くしたいと考えて議論をするわけです。なので、改善すべき点が議論の中心になり、そのためには自然と「日本の教育はダメだ」という前提を取らざるを得ないのかもしれません。もちろん、改善すべき点を議論をするのは重要なことですし、議論の中には一考に値するものも多くあります。
 ただ、「日本の学校教育はダメだ」という話が社会に蔓延し、そういう話ばかりを人々が聞き続けることには問題もあります。それは私たちが、日本の学校教育があらゆる点で徹底的にダメだと勘違いしてしまいかねないことです。そう思ってしまうと、教育改善のための建設的な議論ができなくなってしまいます。
 建設的な議論をして、日本の学校教育の問題を実際的な形で解決(あるいは、軽減)していくためには、「日本の学校教育のこの部分は良いがこの部分に問題がある」というような現実的な理解が欠かせません。それを欠いたたま、「日本の学校教育はダメだ」と漠然と考えていても、教育の問題を解決していく手がかりを見つけることはできないからです。
 さらに悪い場合には、日本の学校教育があらゆる点で徹底的にダメだと、政策決定に関わる方々も勘違いして、実現可能性のほとんどないような「改善策」に飛びついてしまうこともあり得ます。私たち著者の観察によると、この40年ほどの間に行われた「教育改革」の中には、そのような例が少なくありません。
 こういう「改善策」はほとんどの場合、あまり良い結果をもたらしません。学校教育の現場を混乱させ、税金を浪費し、学校の先生を多忙にし、さらに保護者を不安にします。それだけでなく、その「改善策」を実施することで、本来解決しなければならなかった問題が放置されてしまうこともあり得ますし、今の学校教育にある良い点を損なってしまうことも考えられます。とても残念ですね。もともとその「改善策」は、日本の学校教育を良くしようという動機に基づいて考えられたはずなのに。
 こうした現状を踏まえて、本書では、日本の学校教育のどこがどうダメなのか、またどこは大丈夫なのかを、データを使って明らかにし、日本の学校教育に対する現実的な理解を作っていきたいと思います。「データ」と聞いて「難しそう」と身構えた方、大丈夫です。安心してください。難しいものではありません。本書には難しい統計解析などは出てきません。アマゾンや楽天などの通信販売サイトで買い物をするとき、商品を価格で並べ替えたり、レビューの評価で並べ替えたりしますね。本書でやるのもその程度のことです。その程度のことでも、実際にやってみると、ずいぶん物事が違って見えるようになるものです。

他国との比較から日本を見る
 さて、本書でデータを使うときに1つポイントがあります。本書では、日本のデータだけを見るのではなく、それを他国のものと比較します。ここが大事です。とても大事です。
 もし、日本の学校教育のデータだけを見ていたら、やはりダメな点だけに目が行きがちだからです。日本の学校教育はもちろん完璧ではありません。例えば、日本の学校教育は、「すべての子どもがすべての学習内容を完璧に理解する」という理想を実現できていません。
 でも、当たり前ですが、完璧な学校教育など世界のどこにも存在しません。「すべての子どもが、指定されたすべての学習内容を完璧に理解する」というのは、学校教育の理想ではありますが、その理想を実現している国などないのです。頭の中で描いた完璧な学校教育と比較したら、世界のどの国の学校教育もダメなのです。理想を持つのは大事なことですが、その理想との比較から現実を否定し続けても、学校教育を改善していくことは難しそうです。
 ですので今必要なのは、日本の学校教育を、頭の中で描いた完璧なものと比較するよりも、世界のどこかに実際に存在するものと比較することです。この比較を通じて、私たちは日本の学校教育を相対的に理解し、現実的に改善していく方向性を見出せるはずです。理想の十全な実現を諦め、相対的に物事を考えるというのは、ずいぶん現実と妥協をしているように聴こえるかもしれませんが、長期的にはそれが日本の学校教育を良くしていく近道ではないかと、私たち著者は考えています。
 幸いなことに、日本の学校教育を他国と比較することは、以前よりも容易になりました。詳しくは本文で説明しますが、この数十年で学校教育の国際比較のための調査が数多く行われるようになったからです。
 ピザ(PISA)という調査を知っていますか? 知らなくても大丈夫です。本文で説明しますから、とりあえずそういう調査があるのだと思って読んでください。このピザという調査は、世界各国の子どもたちの学力(数学、理科、読解)や学習習慣(勉強時間など)、さらにはいじめの有無に至るまで、学校教育の様々な面について調べています。しかも最近では、この調査に世界の80カ国近くが参加しています。
 こうした調査で得られたデータを使わない手はありません。ただ残念なことに、ピザなどのデータを十分に利用して日本の学校教育を評価し、今後の教育政策のあり方を検討した事例は、今のところびっくりするほど少ないのです。ですので、私たちがその任を担おうとしているのです。

完璧な住宅などない
 ある意味で、私たち著者が本書でやろうとしていることは、引っ越しを考えている人に不動産情報を提供することに似ています。あなたが、ある賃貸住宅に10年住んでいると想像してみてください。あなたはきっと、10年も住んだ経験から、今の住宅に不満を持っています。「ちょっと家賃が高いなあ」とか、「もう少し部屋が広いとありがたい」とか、「水回りの設備が古い」とか。
 この時あなたは、今の住宅を、「家賃が安くて、部屋が広く、しかも設備が新しい」という完璧な住宅と比較しているわけです。このこと自体は悪いことではありませんが、完璧な住宅を頭に描いて、それをもとに今の住宅を否定しているだけでは、現状を改善していく方策を見つけることができません。
 そこで、普通は賃貸住宅情報の載っているウェブサイトなどを見ることになります。そうすると、今の家賃より安い物件は、部屋が今よりも狭かったり、設備が古いということがわかってきます。実際にある住宅を知ることによって、完璧な住宅など存在しないことがわかるわけです。
 完璧な住宅などないということがわかれば、あなたはきっと今の住宅を、現実に存在する他の物件と、相対的な形で比較し始めるでしょう。具体的には、今の住宅と他の物件を、家賃、面積、築年数などの点から比較するわけです。こういう相対的・現実的な比較によって、今の部屋もさほど悪くないと思えば、今の部屋に住み続けるかもしれませんし、どうしても面積が広いことが重要だと思えば、家賃や築年数では多少妥協して、面積の広い部屋を新たに借りるかもしれません。とにかく、相対的な比較によって、現実的な方策を見出すというのが重要な点です。
 私たち著者がこの本でしようとしていることも同じです。不動産情報のウェブサイトがそうであるように、本書が、読者のみなさんの日本の学校教育についての思考を、相対的・現実的なものにすることを期待しています。そして最終的には本書が、日本における学校教育についての議論や政策決定を少しだけ現実的なものにするのに貢献できたら、大変嬉しく思います。

本書の対象
 本書の対象範囲についての補足をします。対象とするのは、小学校から高校までの教育で、大学は検討の対象外とします。また、本書は特に最近20~30年の学校教育について検討し、それ以前の歴史的側面についてはほとんど扱いません。
 この期間に注目するのは、第1に、国際比較のためのデータが最近のものしかないという実際的な事情によります。ただ、最近20~30年というのは、経済成長が概ね終了し、日本という国がこれから向かうべき方向を模索している期間でもあります。その期間に注目して、日本の学校教育の強みと弱みを検討することは、これからの日本社会のあるべき姿を描く基礎を準備するという意味合いもあります。いささか前置きが長くなりました。これ以上のことは本文中でお話ししましょう。それでは、本文をどうぞ。

 

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