ネにもつタイプ傑作選

ネにもつタイプ・五輪傑作選・3

この期に及んでなお止まる気配のない東京2020オリンピック。しかし、ほぼ無観客も決まり、さしもの五輪も往年のかがやきを失い瀕死の体です。そしていよいよ、長年、オリンピックぎらいを公言してきたキシモトさんが五輪を粉砕しとどめをさすべく立ち上がる!? というわけで、PR誌「ちくま」の連載「ネにもつタイプ」の中から五輪関連のエッセイを選び、ここに謹んで再録いたします。ネにもつタイプ・五輪傑作選、お楽しみいただけると幸いです。

名は体を


 名前とその人の関係、というのがいつも気になる。
 たとえば食べ物の名前が含まれている苗字の人を見かけたりすると、その人がその食べ物にどういう感情を持っているか、訊いてみたくてしかたがない。
 たとえば桃井さんは、桃を食べ物として好きだろうか嫌いだろうか。桃を食べるたびに自分を食べているような気分になるだろうか。生まれた時から「桃」という言葉を何万回と聞いたり言ったり書いたりしすぎて、もういいかげん桃にはうんざりだろうか。それとも逆に感覚が鈍麻してしまって、特に何の感興もわきおこらないのだろうか。他の、たとえば柿本さんとか梨田さんとかに対して、ほのかな連帯感もしくはライバル心をいだいたりするのだろうか。
 私などは桃が好きだから、もし何かの理由で自分の名前が急に桃井や桃川に変わったら、きっと朝から晩まで唾がわいて仕方がないのではないかと思う。
 そのあたりのことを当事者に聞いてみたいが、あいにくと桃のつく知り合いがいない。(ちなみに同じくらい好きな栗については、田栗さんという友人にいちど思い切ってたずねてみたことがある。返ってきた答えは「栗は好きだし、自分の名前がけっこう嬉しい」というもので、「やはりそうか」と思うと同時に、ますますうらやましくなった。)
 だが逆に、体質的にどうしても受け入れられない食べ物が自分の名前に入っている、ということもあるかもしれない。
 たとえば、海老アレルギーなのに海老蔵を襲名してしまった、ということも起こりうるのではあるまいか。名乗ったり呼ばれたりするたびにアレルギーの嫌な思い出がよみがえり、つらくはないだろうか。それともそこは芸の道、血のにじむ努力の末に精神的な隔壁を形成し、名前と自我を切り離すことに成功するのだろうか。しかしそれでは名前とともに受け継いでいくはずの芸が、いつまでも身につかないということになりはすまいか。心配は尽きない。
 名前が先か、人間が先か問題についてもよく考える。
 そう、星出さん問題だ。スペースシャトルか何かで宇宙に行ったり帰ってきたりまた行ったりしているあの星出さんは、もし田中という名前だったとしても、やっぱり宇宙に行っていただろうか。たまたまこの名前であったがために星に興味をもつようになり、長じて宇宙飛行士になって、本当にこの星を出てしまったのではあるまいか。

 

 

 それとも、何もかも完璧な優等生が「出木杉くん」であるように、宇宙人に居候される男子が「諸星あたる」であるように、ムカデに変身する会社員が「ザムザ」であるように、宇宙に行くキャラだから「星出さん」なのだろうか。この世界は本当はペラペラした作り物の書き割りで、見えないどこかで誰かがそういうことを全部決めているのだろうか。名は体を表しすぎている星出さんの名前を見るたびに「はは、おもしろ」と思ったあとで、何となく体のどこかがスウスウするのは、そのせいなのだろうか。
 そういえば何年か前のオリンピックで、ハンマー投げ金メダルの選手のドーピング疑惑がもちあがり、メダルを剥奪されたために日本の選手が繰り上げで一位になったことがあった。尿検査の際にカプセルに入れた他人の尿を肛門に隠していたという疑惑だったのだが、その選手の名前はアヌシュさんだった。
 オリンピックは嫌いだが、このエピソードだけ、ちょっと好きだ。

(「ちくま」2012年9月号、『ひみつのしつもん』筑摩書房に収録)
 

 

2021年7月21日更新

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岸本 佐知子(きしもと さちこ)

岸本 佐知子

翻訳家。訳書にルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』、リディア・デイヴィス『話の終わり』、ジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、スティーブン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』、ショーン・タン『セミ』など多数。編訳書に『変愛小説集』『楽しい夜』『居心地の悪い部屋』ほか、著書に『なんらかの事情』『ひみつのしつもん』ほか。2007年、『ねにもつタイプ』で講談社エッセイ賞を受賞。

クラフト・エヴィング商會(くらふとえう゛ぃんぐしょうかい)

クラフト・エヴィング商會

吉田浩美、吉田篤弘の2人による制作ユニット。著作の他に、装幀デザインを多数手がけ、2001年、講談社出版文化賞・ブックデザイン賞を受賞。著作リスト○クラフト・エヴィング商會・著『どこかにいってしまったものたち』『クラウド・コレクター/雲をつかむような話』『すぐそこの遠い場所』『らくだこぶ書房21世紀古書目録』『ないもの、あります』『テーブルの上のファーブル』(以上、筑摩書房)『じつは、わたくしこういうものです』(平凡社)○クラフト・エヴィング商會プレゼンツ・吉田音・著『Think/夜に猫が身をひそめるところ』『Bolero/世界でいちばん幸せな屋上』(筑摩書房)○クラフト・エヴィング商會プレゼンツ『犬』『猫』(中央公論新社)○吉田浩美・著『a piece of cake ア・ピース・オブ・ケーキ』(筑摩書房)○吉田篤弘・著『フィンガーボウルの話のつづき』『針がとぶ Goodbye Porkpie Hat』(新潮社)『つむじ風食堂の夜』『百鼠』(筑摩書房)。

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