爆心地
私の度重なる抗議にもかかわらず、今年もまた冬季オリンピックは開催された。
朝から晩まで勝った負けた勝った負けた勝った負けた、メダルを取ったの取らないの取ったの取らないの取ったの取らないので世の中が埋め尽くされる地獄の何週間かが始まってしまったのだ。
しつこいようだが、私にはどうしてもあの人たちが正気だとは思えない。
冬は寒い。ただ屋外に立っているだけで大変につらい。下手をすると死ぬ。そんな生物にとって過酷な環境下にわざわざ重装備で出ていって、わざとこぶをつけた危険な斜面を滑り下りたり、ばかに高い坂を滑降したあげくに宙を跳んだり、ミャーーーなどと叫びながら石を押し出したりといった、ふつうの生物なら決してやらない数々の異常行動をとり、あまつさえそれらに順位までつけて喜んだり悔しがったりするのだ。やるほうもやるほうだが、それを観て同じように喜んだり悔しがったりするほうもするほうだ。
そんなわけだから、オリンピック開催中の私はなるべく目と耳と口を閉じ息もできるだけ吸わないようにして、オリンピック関係のことを極力見聞きしないようにする。だがそれだけやっても完全に情報を遮断することはできない。
このあいだうっかりテレビをつけたら、全身タイツを着用した男二人がぴったり上下に折り重なり、仰向けに合体した姿のまま、ものすごい速度で氷のトンネルの中を滑走していた。あれはいったい何だったのだろう。
しかしまあ、そうは言ってもオリンピックというのはたいていどこか遠いところで開催されるもので、時差などにも守られて、いわば対岸の火事だった。
だが、ついにその最後の砦【とりで】すら破られる時が来た。何年後かに東京五輪が開催されるという聞き捨てならない噂があるのだ。
こんな、遠いロシアの聞いたこともないような土地でやっていてさえこれだけ私の生活に侵入してくるのだ。東京で五輪が開催されることになったらどうなるのか。
テレビラジオ新聞ネットその他あらゆる媒体は一日じゅう一秒の隙間もなく五輪情報を流しつづけるだろう。
街は五輪に脳を侵されゾンビ化した人々と選手と観客で埋め尽くされるだろう。
いや、そんな甘いものではあるまい。五輪の爆心地ということになったら、おそらくもう五輪はいたるところに遍在するのにちがいない。
たとえば、ふと角を一つ曲がったらもうそこに五輪が待ち構えている。
地下鉄に乗ったら車両内で五輪。
会社や学校に着いてみればそこはもう五輪。
頼んだラーメンのスープの中から五輪がじっとこちらを見つめ返している。
体重三千グラムの健康で玉のようにかわいらしい五輪を産み落とす。
蛇口をひねったら五輪がこんこんとあふれ出す。
五輪は大気中に満ち、呼吸によって体内に取り込まれ内側からじわじわと人体を侵しついにはマタンゴのように五輪人間に変身させてしまう。
一日じゅうそれらから逃げまわり、夜やっと安らかな眠りにつこうとベッドに入ると、中から血まみれの五輪の生首が出てくる。
闇夜を切り裂き、私の絶叫が響きわたる。
(「ちくま」2014年4月号、『ひみつのしつもん』筑摩書房に収録)