現代文解釈の基礎

『現代文解釈の基礎』と出会って、僕は人になろうと思った

『着眼と考え方 現代文解釈の基礎〔新訂版〕』復刊秘話 読書猿さんインタビュー

現代文の名参考書として知られる、遠藤嘉基/渡辺実 著『着眼と考え方 現代文解釈の基礎〔新訂版〕』が、10月11日にちくま学芸文庫より文庫化して刊行されました。文庫化発表直後から大反響となり、またたく間に3万部を突破。大きな反響の火付け役は、ベストセラー『独学大全』(ダイヤモンド社)で10ページ以上にわたり本書を紹介した読書猿さんでした。本書の解説も手掛けられた読書猿さんに、『現代文解釈の基礎』への熱い思いと、復刊までの道のりをインタビューしました。

聞き手:斎藤哲也さん(ライター・編集者)&筑摩書房編集部

▼復活劇の舞台裏

――今回、ちくま学芸文庫から『現代文解釈の基礎』が復刊されることになりました。読書猿さんのツイートが弾みとなって、ちくま学芸文庫としては異例の初版部数であるばかりか、発売前に重版が決まったとうかがっています。  
 読書猿さんは、『独学大全』にある国語の独学法を指南するパートの教材として、『現代文解釈の基礎』を取り上げ、今回の文庫解説も執筆されています。また、『独学大全』が出る以前から、この本を激賞していました。読書猿さんも本書の復刊を強く望んでいらっしゃったんでしょうか?

読書猿 それどころか、『独学大全』で『現代文解釈の基礎』を取り上げたのも、ちくま学芸文庫から復刊してほしいというメッセージを込めていたんです。だから、今回の復活劇は本当にうれしく思っています。  
 いまご指摘いただいたパートで私は、図書館の司書役の人物にこんなことを言わせています。

 「最近は、昔学んだ教科書や参考書で学び直したいって人も多くて、往年の名参考書みたいなものは一般書で復刊することもあるので。現代文についてもいろいろ出てます。例えばこれ、ちくま学芸文庫の高田瑞穂の『新釈現代文』。『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』というのもありますね。うん、もう少し網羅的に探してみましょうか」  

 この後で、わざわざ絶版になっている『現代文解釈の基礎』を出して、現代文の学習指南をしていますから、そのメッセージは明らかでしょう?

――ちくま学芸文庫さん、お願いと。

読書猿 はい。ただ、正直『独学大全』がそんなに売れると思ってなかったので、難しいだろうなと。そのときは、自分で代替となる国語参考書を書いて責任を取ろうと考えていました。だから、解説の依頼をいただいたときは、自分の本のように喜びましたね。
 僕からも逆にお聞きしたいんですが、どういう経緯で今回の復活劇が実現したんですか。

――発端としては、私(斎藤)が『独学大全』を読んで、『現代文解釈の基礎』が大々的に取り上げられていることを知り、今日、同席してくれている編集者のKさんと雑談しているときに「これ、ちくま学芸文庫で復刊してほしいなぁ」と何気なく話したんです。2020年の10月ごろですね。

K さっそく『独学大全』をチェックしてみて、これは、学芸文庫が名指しで指名されていると思いました。でも、古書は2万、3万円ぐらいで取引されていて、なかなか手が届かないなと思ったら、斎藤さんが持っているというのでお借りして。読んでみて、ものすごい本だと驚きました。教科としての「現代文」という枠にとどまらず、高校生だけでなく、すべての大人にも読んでほしいと思い、すぐに復刊に向けて動き出しました。

読書猿 斎藤さんが重要な媒介者だったんですね。

――いやいや、単に持っていたというだけで(笑)。でも、調べる限り図書館でもほとんどないですよね。

読書猿 学習参考書って、図書館にない本のひとつですよね。国会図書館のデジタルコレクションには入っていますが、公開されていないので、図書館まで行かないと閲覧することができません。今回解説を書くにあたって、新訂版以前の、元の本が刊行された当時の序文を読みたかったので、コロナが比較的収まっていた時期に足を運んでなんとか見ることができました。

▼国語なんていらないと思っていた

――読書猿さんは『現代文解釈の基礎』とどのように出会われたんでしょうか。

読書猿 じつは大人になってからなんです。学生時代は勉強がほんとに苦手で、参考書を使って勉強したことなんてほとんどありませんでした。読書猿名義で、ネットで物を書き始めたような時期に、「国語力を鍛え直さないとやばい」と思ってたどりついた本です。
 当時、母語である日本語の書き言葉の能力をマシにするにはどうしたらいいかという課題設定の中で、いろいろ本を探したんですが、これが一番目的に合っていました。だから、僕の独学人生のなかでもとても重要な本なんです。
 大人になってやっと『現代文解釈の基礎』の価値がわかるようになった。その手前に何があったかといえば、文章は基本的に読んでもわからないものなんだ、ということがやっとわかったんです。みんな書けないとは言うんだけど、読めないってなかなか言いませんよね。  
 なぜかというと、読めない方は逃げ場がいっぱいあるんです。自分でもわかる文章が世の中にはいっぱいあって、自分の読めるものだけ選んで読んでいけば延々と逃げることができる。  
 今回の文庫の解説にも書いたように、中学、高校の頃は国語なんて科目はいらないと思ってました。日本語なら、わざわざ習わなくたってなんだって読めると思い込んでいたんです。それがいかに愚かな考えだったか、大人になってわかりました。  
 手紙であれ史料であれ、文脈を共有しない人たちが書いている文章を読んでもわからないじゃないですか。書かれたものって、いまここで話していることではないので、文脈は違っているのが当たり前なんですよね。僕は、文章を読むことって、他人宛ての手紙を盗み見るようなもんだってよくいうんです。無策で文章とにらめっこしていても、理解することは難しい。そこで、読むための技術や工夫が必要になってきます。現代文という科目は、そのためにあるわけです。  
 その意味で、『現代文解釈の基礎』は、自分がいかに読めていないかを教えてくれる本なんですね。最初はそんなに難しくないんですが、終わりに近づいていくと、ものすごいレベルまで連れていかれます。単に内容がわかればいいんじゃなく、なぜ著者はこういう表現で書いているのか、そこには著者のどういう価値観が反映しているのか、というところまで読解していくわけですから。  
 おそらく、現在の大学受験ではそこまで問われることはないでしょう。でも、人文学では、そういう読み方が基礎の基礎です。だから、この本は人文学の超入門にもなっていると思います。

▼文学をロジカルに読む

――現在流通している現代文の参考書は、もっぱら評論文の読解が中心で、文学や小説はほとんど扱われていません。というのも、小説を入試に出す大学や学部は限られているからです。その点でも、本の半分を文学的な文章の解釈にあてている『現代文解釈の基礎』は価値があるように感じました。

読書猿 文学をロジカルに読むことって、天賦の才能でもないかぎり、普通は教わらないとできないんですよ。僕はもともと科学少年だったので、国語という科目のことを、なんて論理的じゃないんだと長らく思ってましたが、数学や科学とは違う論理が必要なんですね。  
 この本が例題文に付している問いや解説は、まさに解釈の模範演技のように読めると思います。著者は「これ以外の解釈が成り立つというなら、ロジック込みで言ってみろ」と迫ってくる(笑)。  
 この本が提示する小説解釈の考え方を身につければ、ダメな小説ってすぐわかるようになります。ダメな小説って、人物とその行動につながりがないんですよ。こういうキャラクターとして設定しているんだから、こういう行動を取るはずだという蓋然性のロジックがない。その蓋然性のロジックをどこまで緻密に読み込めるかが、小説をロジカルに読み解く第一歩になるわけです。  
 これは当然、日常生活にも役立つ実践知なんですね。だって人の気持ちがわかるためには、その人の言動から気持ちを蓋然的に推論することが必要じゃないですか。数学の証明と違って、実生活には完全な解を導くような条件や情報は揃っていません。だから必ず正しいとまではいかないけれど、そのかぎられた材料を使って、いちばんマシな解や結論を導くときのロジックって、まさに現代文を解釈するロジックが基本になるんですよ。  
 100%正解することだけをロジックと考えていると、世の中のほとんどの営みが成り立たくなりますよね。会話一つにしたって、話を聞いてうなずくとか、同時に話さないとか、無数のルールのうえに成立しています。そして、会話をしながら、私たちは相手の気持ちを推し量ると同時に、いま採用されているルールはどれなのかを推論し、途中で間違いに気づいたら何度も仮説を修正して、応答の仕方や次の言葉を準備しているわけです。「そんなことは日常生活で学べることだ」と思うかもしれませんが、いやいや、もしそうだったら世界はもっと平和になっていますよ。

▼なぜ書き言葉を学ぶのか

――毎日のように分断や炎上が起きているのを目にすると、現代人は人の心を読んだり考えたりする力が衰弱しているようにも感じてしまいます。その意味で、『現代文解釈の基礎』は、人間を再起動する書とすらいえるかもしれません。

読書猿 自分の生まれ育ったコミュニティで一生暮らすのであれば、ざっくばらんに話すことさえできればいいのかもしれません。でも、一歩コミュニティの外に出て、コンテクストが共通しない人たちと集団や社会をつくっていくときには、コンテクストフリーな言語能力が必要になる。そして、この力が身についていることを証明するために、書き言葉を読む力、書く力が求められる。だからこそ、入試や就職も含めて、書き言葉が問われるわけです。  
 古代ギリシアのイソクラテスが「教養とは、運命として与えられた生まれ育ちから自分を解放するもの」と定義したように、生まれ育った集団を離れて生きる学びという含意が人文知にはあります。

――なるほど。実践知としての教養の出発点は書き言葉の修練にあると。

読書猿 実際にいま僕らは、学校、会社、趣味のサークル、地域グループなど、複数のコミュニティを渡り歩いて暮らしていますよね。いくつもいくつも集団を渡り歩いて異郷で暮らさなければいけない社会で生きる以上、「人になる」ことがやっぱり必要であり、そのために国語という科目を通じて書き言葉を学ぶわけです。  
 書き言葉の言語能力は実利的にも役に立つけど、人間になるという抽象的な理念の実現にも役に立つ。まさに僕自身がそうでした。読書猿と名乗ったころにこの本と出会い、猿から人になろうと思ったのです。

▼『現代文解釈の基礎』の歴史的価値

――『現代文解釈の基礎』の文庫解説では、同書の来歴や著者二人を非常に詳しく紹介されているのが印象的でした。

読書猿 解説を書くにあたって、著者はどういう人たちだったのかを調べていくと、僕が思っていた以上に、この本の歴史的な価値が浮かび上がってきました。  
 遠藤嘉基先生とそのお弟子さんの渡辺実先生は、ともに戦後の国語学研究の中枢で活躍した人物です。遠藤先生なんて、国語学会の創設メンバーで、国語審議会の委員ですからね。つまり、当時の文部省のなかで国語政策を議論している研究者が、同時に参考書も書いていたわけで、国策から参考書まで一気通貫の体制がおのずとできあがっていたんです。  
 これは、翻訳家の高橋さきのさんから教えられたことですが、第二次大戦後という、日本語の書き言葉が激変した時期に、日本語を観察・研究する立場の国語学者たちは、その変化を見て取るだけでなく積極的にコミットしていった。学習参考書もまた、そのコミットのステージのひとつだったと考えられます。  
 ところがその後は、国語学者たちが研究の方に重心を置くようになり、政策科学的なコミットの仕方からも国語教育からも距離を取るような時代になっていきました。『現代文解釈の基礎』や、当時の国立国語研究所の国語学者勢揃いの感がある『悪文』(岩淵悦太郎編著・角川ソフィア文庫)などに、当時の残り香がかろうじて漂っているわけです。

――国語学と学参との関係性というのは、非常に面白い視点ですね。

読書猿 さらに踏み込んでいくと、戦前明治からずっと続いていた文語文が、戦後に一掃されたわけですよね。それが成功して、書き言葉がすべて口語で書かれることを、誰も不思議と思わなくなりました。そこから、書き言葉は話し言葉に近いものだという大いなる誤解が生じてしまった。実は違うんだけど、そういう誤解が生じるぐらい、口語文を定着させることに成功したわけです。  
 だからこそ、話せるのなら読めるし書ける、という思い込みが生まれ、国語という科目に対するリスペクトが失われていったんじゃないかと僕は見ているんです。

――なるほど、ある意味では、口語を現代文に定着させるという戦後国語学の成功が、国語軽視を生み出したという逆説があるわけですね。

読書猿 そのとおりです。でも、誤解はすぐに解体します。なぜかというと、書けませんから。ちょっとでも原稿用紙やキーボードに向かってみれば、話せれば書けるなんて噓だということはすぐわかる。  
 それがなかなか理解されないのは、企業のような組織のなかでは、日本語能力のある社員が一部いるので、上司が「レポート書いとけよ」とか「報告書上げろよ」とか言って部下に命令することで、タダで日本語能力を使えるからです(笑)。  
 だからこそ、日本語能力なんて水のようなもんだと思っていられるんですけど、自分で資料調べて、8000字のレポート書くなんて大変ですよ。プレゼン資料をひとつ作るにしたって、膨大な日本語能力をそこに投資しないと、まともなものは作れない。現代文の読み書き能力なしに、会社みたいな大きな集団を維持することなんてできないんですよ。

▼レイアウトを見て驚いてほしい

――今回、『現代文解釈の基礎』を文庫で復刊されるにあたって、レイアウト面で心配する声もありました。構成もレイアウトも複雑なことに加え、A5版の判型が文庫サイズになります。実際、ご覧になったときどういう印象でしたか。

読書猿 ツイートもしましたけど、50年間で日本語のブックデザインはここまできたのかと感動しました。おっしゃるように、復刊を待ち望んでいたみんなが心配していた部分だと思うんですよ。その中の何割かの人は、原本のまま縮小して文庫サイズにしちゃうんじゃないのかって。それは、筑摩書房を甘く見すぎです(笑)。  
 二色刷りが一色になってしまうことを懸念する声もありましたが、それも杞憂です。網掛けの使い方とか強調の仕方に工夫があり、原本と比べて遜色がないどころか、今回のほうが読みやすいとすら思います。本当にレイアウトには感服しました。

――Kさんにうかがいますが、レイアウト面ではどういう苦労がありましたか。

K 元の本を見せたとき、編集長から「無理」って言われました(笑)。

読書猿 わかりますよ。原本では、3分の1ページの上段と、3分の2ページの下段に分かれていて、それを文庫化するとなったら、普通だったら頭を抱えてしまいます。

K 昔の参考書にはけっこうあったスタイルなんですが、いまの現代文の参考書は、解答・解説を別冊にするのが定番になっています。だから、「これも別冊にしたら?」という意見もありました。でも、そうすると、往還する読みができなくなってしまうので、段組みはこだわったほうがいいだろうと。そこでなんとか説得しなきゃと思い、別の本でデザインをお願いした宇那木孝俊さんに、レイアウトの見本を作ってもらえないかと頼んだんです。それが出来上がって、ようやく社内でゴーサインが出ました。

読書猿 こだわっていただいて、本当によかった。この出来栄え、みんなに驚いてほしいです。

K その後も、問題文の出典との突き合わせや著作権の許諾などには、けっこう時間がかかりました。

読書猿 小説も複数バージョンありますからね。雑誌と単行本、全集で全部違うこともあり得る。それを突き合わせるのは、さぞかし大変な作業だったと思います。

K でも、文学的文章はテキストや著作権がだいたいはっきりしているから、原典を探し出すのはそれほど難しくありません。むしろ、論理的文章の原典を探すほうが大変で。じつはそこでも、読書猿さんに助けていただいて、著作権者の方と連絡が取れた文章もありました。

――そんな楽屋裏もあったんですね。

読書猿 僕らは出来上がった完成品しか見ていないけれど、一冊の書物がぼくらの手に届くまでに、本当に大勢の人の尽力があるわけです。その一方で、これだけ優れた書物であっても、様々な事情や時代の移り変わりによって、僕らの前から消えてしまい、簡単には読めなくなることだってある。それでも、解説の最後に書きましたが、書物は求める人がいる限りなくならないんです。この本のことを皆さんに知ってもらって、その復活を手助けができたことを、ぼくは誇りに思います。 

――いろんなハードルを乗り越えて、この本がよみがえったことがよくわかりました。今回の復刊で、多くの人に現代文を読解することの奥深さや面白さが伝わるといいですね。今日はどうもありがとうございました。

(聞き手)斎藤哲也
1971年生まれ。大手通信添削会社で国語・小論文教材の編集を担当後、2002年に独立。人文思想系を中心に幅広い分野の書籍の編集・構成や、通信添削問題や模擬試験(現代文)の作成も手がける。著書に『読解 評論文キーワード〔改訂版〕』(筑摩書房)、『試験に出る哲学』(NHK出版新書)など。  

2021年10月30日更新

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ブログ「読書猿Classic:between/beyond readers」主宰。自分自身の苦手克服と学びの共有を兼ねて、1997年からインターネットでの発信(メルマガ)を開始。2008年にブログ「読書猿Classic」を開設。ギリシア時代の古典から最新の論文、個人のTwitterの投稿まで、先人たちが残してきたありとあらゆる知をカテゴリごとにまとめ、独自の視点で紹介し、人気を博す。現在も昼間はいち組織人として働きながら、朝夕の通勤時間と土日を利用して独学に励んでいる。著書に『独学大全』(ダイヤモンド社)、『アイデア大全』『問題解決大全』(共にフォレスト出版)、共著に『ライティングの哲学――書けない悩みのための執筆論 』(星海社新書)など。

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