ちくま新書

サヨナラを言うために
『情報生産者になってみた ――上野千鶴子に極意を学ぶ』まえがき

上野ゼミ卒業生チーム著『情報生産者になってみた』は、上野ゼミの「受益者であり被害者」である元ゼミ生たちが、上野ゼミで受け取った情報生産の技術について書いた本です。『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』をはじめとするいくつかの先行研究があるなかで、なぜこの本は書かれたのでしょうか。まえがきを公開します。

 あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
(上野千鶴子 2019「平成31年度東京大学学部入学式祝辞」東京大学HP)

 朝起きて、テレビのリモコンを押して、ふとニュースを見たら、そこに映っていたのは、よく見知った人の顔であった。そこに映し出されていたのは「上野千鶴子」。上野さんが東京大学の入学式で式辞を述べた様子を伝えるものであった。
 本書は、上野千鶴子が1993年4月から2011年3月までの間、東京大学で主宰していた東京大学文学部上野千鶴子ゼミ、通称「上野ゼミ」(そして、立命館大学大学院における「上野ゼミ」)について、かつてそのメンバーであった者たちの手によって、上野ゼミとはどのようなものであったのかが書かれた本である。ゼミにおいて学生たち――正確に言うと、上野ゼミに出入りしていた者は必ずしも学生とは限らない――は上野さんから一体どのような「教え」を受け、そして上野さんから「学んだもの」を自分の人生やキャリアのなかでどのように生かしていったのかについて述べられている。
 上野千鶴子は、おそらく日本でもっとも知られた社会学者のひとりであり、フェミニストである。現在、日本には約800の大学があり、そこでは数多くのゼミが開講されている。だが、大学で開講されている数多あるゼミのうち、いったいどれだけのゼミが他者に言えばわかってもらえるような、つまり、「あの人のゼミね!」と理解してもらえるような「冠番組」ならぬ「冠ゼミ」であろうか。正直言って、そのようなゼミはほとんどないだろう。そのような点で、上野ゼミというのは「冠ゼミ」であり、もっと簡単に言うならば、上野ゼミという「記号」はひとつのブランドになっているのである。
 とはいえ、大学における、現実の上野ゼミは、すでに存在していない。もちろん、記憶のなかで「上野ゼミは不滅です!」と言うこともできるし、WAN(Women’s Action Network)上野ゼミのような形で、大学の外で上野ゼミは続いている。しかし、大学の教育課程の一部、あるいはひとまとまりのプログラムとしての上野ゼミは開講されていない。
 現時点では存在しない上野ゼミがどのようなものであったかについて書いておくことは、そもそも必要なのだろうか。それに対し、本書の執筆者たちは――そして本書に協力してくれた元ゼミ生たちもそうであってほしいが――、上野ゼミについて書き残しておくことは社会にとって有益なことである、と考えている。
 さらに、「上野ゼミについて触れられた書籍はすでにたくさんあるのでは?」「なぜまた書くのか?」と思われた方もいるだろう。確かに、上野ゼミについて書かれた書籍として、遙洋子さんの『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(筑摩書房)あるいは、千田有紀さん編集の『上野千鶴子に挑む』(勁草書房)が既に存在する(まさに、先行研究!)。だが、どちらも「大学院の上野ゼミ」について書かれたものであって、「学部の上野ゼミ」ではない。この違いは非常に大きい。なぜなら、目的が違うから。最近では変わってきた面もあるが、大学院のゼミ、特に博士課程はプロの研究者を育てる場所であるのに対し、学部のゼミはそのような場所ではない。特定の職業を想定しているわけではないのである。そのような点で、本書には「本邦初公開!」の情報も含まれている。
 本書は、本書と同じ筑摩書房からすでに刊行されている上野千鶴子著『情報生産者になる』の姉妹本となるように作られた(姉妹というよりは「親子本」と言ったほうが良いかもしれない)。『情報生産者になる』が、上野さんが伝授した「技のレパートリー」、あるいは「技のレシピ」について書かれている本だとするならば、本書は「技の使い方」や「技を具体的にどう使ったのか」について書かれたものである。換言するならば、『情報生産者になる』は、どのような技を上野さんが「伝授」していたのかという「教える側」から書かれた本であるが、本書は、上野さんの言葉を借りるならば「受益者であり被害者」である元ゼミ生、つまり「教えられた側」から見た技(=「伝授されたもの」)について書かれている。
 本書の執筆者は、普段それぞれが、社会起業家や実践家、ジャーナリスト、研究者、教育者というように、別々のフィールドで活動している。だが、その一方で、執筆者全員が「情報生産」を担っているという点においては共通している。そしてもちろん、かつて上野ゼミ生であったということも。
 今や「情報生産者」としてそれぞれがフィールドをもって日々の生活を営む私たちが上野さんから何をどのように学び、その教えをどのように応用してきた/しているかについて、さらにどうやって情報生産者になっていったのか、本書では具体的に述べられている。
 本書を通して、ひとりでも多くの情報生産者になりたい人が増えることを願う。
 最後に、やはり上野さんの言葉でこの「まえがき」をとじたい。

 書くという行為は、いつでも、思想にかたちを与え、それにケリをつけるためにある。人はいわばサヨナラを言うために、それについて書くのである。
(上野千鶴子 1986「マルクス主義フェミニズム」『思想の科学』No.73-3、80頁)

 ようこそ、上野ゼミの世界へ。