「何を教えるかはコントロールできても、何を学ぶかはコントロールできない」と上野千鶴子氏は本書の座談会の中で語っている。突き放したようにも聞こえるが、教え子への信頼が感じられる。教師でなくても、あなたも誰かにものを教えたことがあるだろう。後輩の指導や子育てでも同じだ。人はうんと渇いているときにしか、水の旨さはわからない。教育を水とするなら、際限なく水を吸い込む最も渇いている場所を自ら探り当てれば、そこが言葉の湧き出る泉であることに気づくだろう。学びが苦しいのは、その掘削の痛みゆえかもしれない。
本書は、上野氏が東京大学文学部で1993年から2011年まで主宰していた学部生向けのゼミの体験記である。執筆陣は、80年代前半生まれの卒業生たち。研究者やジャーナリスト、社会起業家など、いずれも世に名を知られた人たちだ。すでに刊行されている上野千鶴子著『情報生産者になる』(ちくま新書)の姉妹本、というよりは「親子本」という位置付けで作られたというが、むしろ本書を先に読んだ方が、上野氏が若者たちに伝えようとしたことが立体的に見えてくる。上野氏が彼らに授けたのは「自分にしか書けない、知の公共財としての情報」を生み出すための具体的な技術だけでなく、「あなたの問いには価値がある。あなたは不完全だが、そこにいていい」という受容と歓迎のメッセージだったのではないか。少なくとも、ゼミ生たちはそう感じていることが窺える。
上野氏に対して漠然と「なんか怖い。怒られそう」というイメージを抱いている人も多いだろう。だから受容や歓迎というのはあまりピンとこないかもしれない。実際、上野ゼミの日々は厳しい。学生は自らの研究内容について上野から、そして先輩や同輩、後輩からも容赦ない指摘を浴びせられ、多くの脱落者が出る。筆者たちは、この本には生き残った者だけが過酷な体験をいい思い出として語るいわゆる「生存者バイアス」がかかっていることを認めているが、視点を変えれば、生き残った者たちにはそれほど切実に上野ゼミという場所が必要だったということができるだろう。毎度脳天から腹の底まで鍬を打ち込まれるような上野ゼミでの日々を通じて、ゼミ生たちはやがて自分の問いには価値があると信じられるようになっていく。どうしても手放せない個人的な問いを起点にして社会に目を向け、それを一人語りで終わらせずに知の公共財に変えるための技術を身につける。上野は、どんなに突飛でも卑近でも、学生の問いをジャッジしない。それは私の問いではないから、という上野の言葉は冷徹さゆえではなく、他者を尊重する姿勢の表れといえよう。上野氏は、学生時代に京都の下町で子ども相手の塾講師をしていたときに「学校でも家でも息抜くところあらへんのや」という子どもたちの話を聞いて以来、自分の役割を「子どものための赤ちょうちんのおかみ」と任じてきたという(上野千鶴子著『情報生産者になる』より)。上野ゼミの卒業生たちが、厳しいことで知られるゼミを同時に「東大の保健室」「自分を救ってくれた場所」と呼ぶのにも通じるものがある。「あなたの問いは何か」という問いは、存在の受容でもある。
東大に入る学力がなくても、人は情報生産者になれる。情報生産者とは受け売りでものを言う人でも、溜め込んだ知識で他人を殴る人のことでもない。自ら問いを立て、その「個人の問いを社会の問いにつなげる」ことができる人だ。胸の内のモヤモヤを言語化するにはどうしたらいいだろう? それを説得力ある形で人に伝えるにはどうすればいいだろう? と悩む人は、本書を読めば具体的な方法や励ましをもらえるだろう。そして欲しかったのはノウハウではなく、生の肯定であったと気づくかもしれない。