かつて私は母とふたりでイギリスを旅行したとき、一緒に、「モンクス・ハウス」を訪れた。イギリス、イースト・サセックス州ルーイス。作家、ヴァージニア・ウルフと夫の男、レナードが暮らしたその家は、ミュージアムになっていて、私たちは、彼女の部屋を見学した。
タイルで装飾された小さな暖炉、本が並ぶ書棚、小さなベッド。窓から見える庭には、水仙や臙脂色のチューリップ、イングリッシュブルーベルの花が咲き誇り、陽の光が降り注いでいた。
そこからほど近いところにある、ウーズ川へも行った。
彼女が、ポケットに石を詰め込み、入水自殺した川である。
川へ続くのどかな田園風景の中を歩きながら、私の母は、まだ学生だった頃、彼女の本を夢中で読んだんだ、と私に教えてくれた。とくに『自分だけの部屋』。あの本は、みんな小脇に抱えていた。でも、ようやく、わたしが、自分だけの部屋を持てたのは、パパが死んではじめてだったよね、とも。
私たちがその川を見たとき、水位は驚くほど低くて、川底のごろごろした石ばかりが見えた。
大きな犬を連れて散歩していた近くの人が、海の潮が逆流して、水位が上がることがあるのだと、教えてくれた。
イギリス、ロンドンに生まれた彼女は、文学に造詣の深い父と母のもとで育った。やがて姉のヴァネッサは画家、兄のトビーは作家、弟のエイドリアンは精神分析家になる。彼女たちが暮らしたブルームズベリーの家には、知識人や芸術家たちが集まり、「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれ、彼女はそのなかで出会った批評家のユダヤ系の男、レナード・ウルフと結婚するが、女性とも関係を持っていたことも知られている。彼女は夫である男とともに出版社「ホガース・プレス」をつくりあげ、彼女は自らの著作にくわえ、T・S・エリオットの詩集なども出版した。
彼女が自殺するのは、五九歳。長年、神経衰弱と躁鬱に悩まされていたという。
かつて『ダロウェイ夫人』で、第一次世界大戦後のロンドンの街、かつての戦争の記憶を引きずりながら一日を生きる人々を描いた彼女は、やがて、ふたたびはじまった大きな戦争の中を生きることになる。第二次世界大戦、ロンドンの街はドイツ軍に空襲され、かつて彼女が小説を書いた部屋も瓦礫になった。
その日記には、絶え間なく空襲の記述が繰り返されている。それから、その中で続ける『幕間』の執筆、すっかり本の売れ行きが落ちてしまったこと、原稿で稼ぐことができる金のこと。
彼女は、彼女の家のすぐそばnお河辺にドイツ軍が落とした、まだ爆発していない爆弾を見た。白い木の十字架の印がつけてあった。彼女は、爆弾でどんなふうに殺されるものかを想像し、書く。「私は思うことだろう――ああ、あと一〇年欲しかった」
しかし彼女が自ら死ぬのは、彼女がそれを書いてから半年も経たないうちのことになる。
私が「モンクス・ハウス」を訪ねたとき、そこには大勢の観光客がいた。ロンドンのブルームズベリーにある公園には、彼女の銅像が建っていた。彼女の本は、あの大戦が終わった後、ずっと未来のいまを生きる私たちにとってもなお、切実なものでありつづけている。
とはいえ、いま、私のまわりに広がるこの世界をみまわしたとき、けれど彼女が生きた時代よりも私は、少なくとも私自身は、ずっと生きやすい時代を生きている。
それは私の母が、母たちが、上の世代のひとりひとりが、この遥か遠く日本の地でも、その小脇に彼女の本を抱え、それぞれの場所で、ときには台所で、ときには職場で、ときには学校で、ときにはそのどれでもない場所で、小さな日々を積み重ねてきてくれた結果なんだ、と私はこの頃よく考える。ちょうど彼女が、その死の直前でも、戦争や空襲のただなかでも、絶え間なく、書き、食事の用意をしつづけていたように。
私はいま、小さな子どもを育てながら、それでも自分だけの部屋をなんとか守り続けようと躍起になっている。
私は私の母と見た、あの川のことを何度も想う。
川はときに深く流れが速くなるけれど、ときに驚くほど浅くもなる。
引用文献
「ある作家の日記」ヴァージニア・ウルフ・コレクション 神谷美恵子訳 みすず書房