小説/演劇の外へ広がっていく
―― 今日はお忙しいところ『T/S』の刊行記念対談ということで、ご足労いただきありがとうございます。
『T/S』は基本的には演劇作家・藤田貴大の自伝的事実に基づいた小説ですが、メインの語り手が「さやか」という女の子であるという虚構が入り、その上で藤田貴大の演劇論や虚構論が展開されるハイコンテクストな話でもあるので、藤田さんと長年の付き合いがあり、また実際に演劇作品をコラボもしている穂村さんとお話しいただけたらと考えました。
まずは『T/S』の感想からうかがえますでしょうか。
穂村 この本は当然かも知れないけど藤田くんの芝居を観ている人と観ていない人で、見え方が違うと思うんだよね。でも、どちらにしてもものすごくぶっちゃけて本当のことを書こうとした本ということは伝わると思う。
自伝的な部分に対してフィクショナルな部分、お父さんがずっと眠っているとか、 恋人のような人も眠っているとか、あとはさやかの存在とかあるわけだけど、それらは小説的なフィクションというよりも、本当のことを書くために必然的にそうなった装置というか、真実にアクセスするためにそう書かねばならなかったという印象がありました。
藤田 そもそも小説という表現に抵抗感があって、僕が書くのであればただの小説にはしたくないという気持ちがありました。小説って、買っても二回以上読むものって数えるほどしかないんですけど、せっかく書くんだし『T/S』という作品は二回目、三回目と読めるものにしたいと思いながら書きました。自分が思う演劇の“本当さ”は、演劇に限らずこれから表現に携わる人たちに何回か読んでほしい、届いてほしいと思って。
穂村 ただの小説みたいなものを書きたくないと言ったけど、藤田くんの演劇も、これは演劇なのかなという感じが常にあって、演劇というジャンルの拡張や更新なのか、それとも演劇ではないのか、いつも考えさせられるんだけど、『T/S』も同じ印象がある。小説の拡張なのか、あるいは小説ではないのかというあわいを感じる。
この小説は空間と時間の話から始まって、もちろん演劇は空間と時間を扱うというか時間の空間的変換みたいなイメージがあるんだけれど、そこを毎回ゼロからやろうとする感じが藤田くんの作品にはいつもある。そうすると、マームとジプシーのこれは演劇なのかな? 『T/S』は小説なのかな? とパラレルなものとして、 マームとジプシーは劇団なのかな? というのもあって、劇団という形態の拡張なのか、あるいはぜんぜん別のものなのかということも思う。海と陸はどこからが海でどこからが陸なのかみたいに、時々、自分もマームとジプシーかなって思ったりもする(笑)。それは実際にコラボをしたからということもあるけど、それだけじゃなくて、同様に客席にいるお客さんもマームとジプシーかなと思うこともあるんです。つまり、本人の自覚とは別に、あそこの空間に身を置いて、 外の明るい現実の新宿の街に出ていったとき、その人はうっすらマームとジプシーの一員として街の中に出ていくイメージがある。そこが藤田くんの世界の面白さというか魅力を感じるところですね。
藤田 五月の始めに唐十郎さんが亡くなって、あらためて唐さんの戯曲を読んだんですよ。あるいは僕が演出して穂村さんにも出演してもらった『書を捨てよ町へ出よう』の寺山修司さんにしても、彼らが戯曲に書いていたことは、現在僕が書いているような戯曲よりもずっと内と外の境界があいまいだという印象を持ちました。つまりテントという装置、市街劇という形式、六〇-七〇年代の社会の状況や、新宿という街など、そういう戯曲より外側の環境が、わざわざ戯曲のなかで描かなくても自然と作品のなかに含まれていた。いわゆる演出的な領域による作用も大きかったんだろうなと想像できるし、言葉にする必要もなかったんじゃないか、と。もう、一歩外に出ればわかる、というか。でも現在はあのころのような、そういう時代でもないから――いや、一方でなおさらそういう時代でもある気がしますが――戯曲のなかで内と外の関係や対比をはっきりしていかなくちゃいけない意識は、最近ますますありますね。演出だけに頼るのではなく。
GWに上演した『Dream a Dream』は、新宿・ルミネゼロという場所もあって、彼らの演劇と新宿の街との関係を、どういうわけか意識してしまいましたね。意識せざるを得なかった、というか。
穂村 本の中に「マームとジプシー」っていう言葉を獲得するシーンがあって、屋久島の「ときどき滝がみえる」というお店での話なんだけど、「ときどき滝がみえる」というお店の名前も、お店と滝のある外部の境界が時間的にも空間的にも揺らいでいるんだよね。滝は外にあって、しかもいつも見えるわけじゃないから。偶然、滝が見えた時にだけ、見ている人と滝が繋がるというかね。そこで「マームとジプシー」という言葉がキャッチされて、現在の形態に至っているのは、すごく腑に落ちる気がする。
藤田 そういう風に書けばよかった(笑)。
穂村 だから、一日目で見られないのがいいんだよね。通ってるうちに、何日目かでヒットするのがいい。
藤田 あれは実際に体験したことを書いたんですけど、すごく不思議な時間でしたね。 あそこは一湊っていう地域で、いまは「一湊珈琲焙煎所」って改名したらしいんだけど、僕が行ったときはオープンしたてで、「ときどき滝がみえる」という作品のタイトルみたいな名前だったんです。
穂村 藤田くんのそういう感じは常にあって、キャスティングということで言うと、まず舞台の上に演者がいる。その外側に衣装を作ったり、照明や音響や受付といったスタッフがいる。さらにその外側にライターの橋本(倫史)さんやデザイナーの名久井(直子)さんやぼくなんかがグラデーション状にいるわけだよね。その輪が広がって関係性がどこまで薄れていっても、藤田くんにとっては、みんなキャスティングなのかもという気がする。うっすらそう感じていたけど、この間、ヤギ(青柳いづみ)とゆりり(川崎ゆり子)に冗談交じりに「穂村さんはとっくに取り込まれてますよ」と言われて驚いた(笑)。
藤田 怖いこと言われてますね(笑)。
穂村 オーディションとかなくても、マームの俳優じゃなくても、まったく無関係な僕の父の音痴な歌とか、その場の景色とかさえ いつでも採用できるように見ていて、藤田くんが目配せすると、召田(実子)さんがすかさず舞台の上の素材にすべく記録している。
『T/S』を読むと、藤田くんがずっとそういう演劇サイボーグのような人だったことがわかるんだよね。で、そういう人格が、生身の女性からめちゃくちゃディスられるシーンがあって面白い。「死ね!」とか「クズ」ってひたすら罵倒されて、本当にこういうことがあったんだろうなと思わせる(笑)。たぶん、世界のすべてが演劇で、他人をその素材として見てしまう人と暮らすと、こうなっちゃうんだろうね。その成果である舞台を観てる我々はウィン・ウィンだからいいけれど、現実の生活的には問題になる。
谷川俊太郎の「世間知ラズ」に、「私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの/世間知らずの子ども/その三つ児の魂は/人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま/百へとむかう」という詩があるけれど、やはり近しい人を傷つけて失語症にするくらいのダメージを与えてしまったことが記されている。谷川さんもそうなんだということに、僕はほっとするものがあった。
藤田 なんかいま、涙が出そうだった。作品のことばかりを追いつめていると、その間に無自覚に周囲を置いていっていたり、傷つけたりしているんですよね。わかってしまいますね。
穂村 これは、有罪なのかしら、それとも少しは免責される?
藤田 されないでしょうね(笑)。たとえば、僕の言動で、どうも誰かはこう思って、結果的に傷ついてしまったらしい、ということが起こるとする。「ああ、こう言ったから、こう思ったんだな」と反省はするんだけど、次の瞬間にすぐさま「でも今回のことって、じゃあシチュエーションがこうだったとしたら、シーンとしてはめちゃくちゃ面白いな」みたいに、演劇的な妄想をして頭のなかで処理してしまうんですね。現実に起こったことを、演劇で上塗りしてしまう。それは、やばいしダメだよね。
穂村 あとは、みさきちゃんのシーンも好きだったな。さやかが上京する前に、小学校のクラスメイトだったみさきちゃんが亡くなったと聞かされて、「みさきちゃんは、にわとりこわい。みさきちゃんは焼却炉のところで空を見あげていた」って、ばーっと思い出していくところ。
それといよいよ上京するときに「本当に東京のひとはみんな、ナイフ持ってるのかな」と思うところとか。
藤田 上京するとき、同級生たちに真顔でそういうこと言われましたね。東京に対してのイメージって、かなりエスカレートしたところに行っちゃってますよね。調べればなんでもわかるような時代になっても、そうなんだろうな。
僕が上京したときは、二〇〇三年か〇四年で、飛行機じゃなくて八戸まで特急で行って八戸から新幹線で上京したんだけど、東京駅に着いたら同時多発テロの影響で、東京でもテロがあるかもということで、ゴミ箱がぜんぶ撤去されていた。自衛隊もそこらにいて、めっちゃ怖かった。
レオパレスだったから、炊飯器だけ持って上京したんだけど、レオパレスに炊飯器を置いてすぐさま下北沢に行ったんです。古着が買いたくて。そうしたら、改札口で松尾スズキさんとすれ違って、東京に来たって感じがしましたね。二度見して、「やっぱ、松尾スズキ、下北沢にいるんだ」って(笑)。
穂村 その話、入れればよかったのに。
前足を怪我した猫の話もよかったよね。怪我をしている野良猫を一所懸命救おうとするんだけど、すごく無力感が漂ってて。頑張ってるのに、空回り感があって、誰にも感謝もされない。
藤田 あのあたりを連載していたときのことは、なんか妙に憶えていますね。大きめの舞台をつくっていたと思うんだけど、なにかと辛かった記憶がある。