ちくま文庫

ブレーズ・サンドラール『世界の果てまで連れてって!…』解説

2月刊、ブレーズ・サンドラール『世界の果てまで連れてって!…』(生田耕作訳)の解説を公開いたします。

 そして想いはおのずから、訳者・生田耕作へと向かう。「生きるということは一種の魔術だ」とか、「臀(けつ)に魂はない」とか、章題からして颯爽たる痛快さだが、そこにサンドラールとあわせ生田の文才を見ずにはいられない。かつて生田耕作の名は、刺激に満ちた文学的冒険への誘惑と同義だった。ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言集』、ピエール・ド・マンディアルグの『黒い美術館』、セリーヌの『夜の果てへの旅』。どれをとっても読者の胸に刻印を残さずにはすまない本ばかりだ。さらにはヌーヴォーロマンや現代思想をばっさり切って捨てた評論集成『るさんちまん』一巻も忘れがたい。フランス文学にあこがれる青二才にとって、まこと強烈なる先達だった。そしてまた、こういうお方が教壇に立つ京都大学というのもなかなかすごいところだと思わされた。
 そんな生田さんに会ってみたくなって、いきなりご自宅に電話したのだからわれながら無茶な話である。中学以来の親しい友人に、京大に入った男がいた。農学部で学ぶ学生だが、ブルトンやシュルレアリスムを愛し、フランス語学習に熱を入れていた。わが友ながら立派ではないか。東京から出かけて行ってその友人の下宿に転がり込み、京大の様子を聞くと、掲示板の休講欄にはいつも生田先生の名札が下がっているという。それなら直接会いに行くしかないだろうということに相談がまとまった。当時のことだから教官宅の電話番号など名簿ですぐ調べがついた(のだったと思う)。電話口の向こうに奥様と思しき方が出られて、生田はしばらく家に帰っておりませんとおっしゃった。訪問計画は一瞬にして頓挫したのだった。
 もし生田さんがご在宅で、門戸を開かれたなら、われら二人組はいったいどんな挨拶をし、何の話を伺うつもりだったのか。思い返すだに冷や汗が出る。しかし、翻訳する本をどういうふうに選ぶのですかという質問は、ぜひしてみたかった。早い話がこのサンドラール作品である。「大瀑布的文体」とはよく言ったもので、翻訳者にとっては一瞬も息を抜くことの許されない試練の連続だろう。だが生田訳を読んでいると、奔流に嬉々として身を投じ、存分に泳ぎ回り、流れの隅々まで知り尽くしたうえで成し遂げられた翻訳という印象を受ける。剛毅で清冽な日本語の使い手が、その日本語をさらに押し広げてくれる原作を求め続けた。その結果がかくもあっぱれな訳業として、ぼくらに残されたのではないだろうか。