ちくま文庫

ブレーズ・サンドラール『世界の果てまで連れてって!…』解説

2月刊、ブレーズ・サンドラール『世界の果てまで連れてって!…』(生田耕作訳)の解説を公開いたします。

 なんという破天荒な小説だろう。主人公は長い芸歴を誇る女優テレーズ・エグランチーヌ。御年79歳のいま、歯は総入れ歯、髪はごっそり抜け、脚は無残にも骨と皮。だがご本人は老残の身だなどとは思ってもいない。『ごろつきマダム』なるぴったりの脚本を得て、これぞ起死回生の大一番とばかり勝負に出る。
 テレーズが文字どおり、おのがすべてを舞台の上でさらけ出したそのとき、パリの観客は息を呑み、そして大喝采を送るのだ。
 センセーショナルな女優のキャリアの到達点、さらには終着点までを、ブレーズ・サンドラールは、こちらもまた作家人生の終盤を迎えていたとは到底思えない、猛烈な言語パフォーマンスによって語り尽くす。「黴毒め(ヴェロール)!……」の荒々しい一語とともに開巻早々、読者は老女優と外人部隊兵士のくんずほぐれつの現場に立ち会わされる。愛欲まみれ、嘔吐(へど)まみれのすさまじい情景のなかで、老年をめぐるステレオタイプはたちまちにして吹き飛ばされる。
 「世界の果てまで連れてって!…」これは不屈の女傑テレーズにこそ似合う名文句なのだった。彼女のおもむくところ、都市はそのもっとも庶民的かつアナーキーな活力を誇示し、グロテスクでも一途でもあるような男女の生態があぶり出される。演劇関係者たちの思惑やかけひきを活写する、一種のバックステージ物としても秀逸だ。だれもが怪気炎を吐き、何ものかに取りつかれたように喋り、飲み、愛する。さらには殺人を犯す者まで現れる。多国籍的な面々をそろえ、"異形"の者たちも存分に活躍させるカーニヴァル的な絵巻は、驚くべき多様性を誇る。それと同時に、パリの核心部に深く根を下ろしたローカル性もまた、その大きな魅力なのである。テレーズのパリ賛歌に耳を傾けよう。
 「ああ、わがパリ! 世界広しといえどもおまえほどひたすら恋のために捧げられた都会は他にないわ。おまえのどの町々もみなわたしにはお馴染みよ。どの町でも恋が人の頭を狂わせている」
 パリといっても、テレーズにとっては、中央市場(レ ・アール)からサン= マルタン界隈まで、「生粋の下町っ子」の暮らすあたりが中心である。物語もセーヌ右岸のその一帯をおもな舞台とする。セーヌ左岸、カルチエ・ラタンだのソルボンヌだのといったインテリが棲息する地帯は間違っても出てこない。冒頭、テレーズが外人部隊の兵士を「拾い上げた」のが中央市場(レ・アール)だ。中世にさかのぼる長い歴史をもつこの「パリの胃袋」は、1960年代初頭には移転・解体が決まっていた。本書が、消え去りゆく猥雑にして活気に満ちたパリへの挽歌という側面をもつゆえんだ。さいわい、レ・アール脇に店舗を構えるテレーズ御用達の「オー・ペール・トランキル」は、21世紀の今日も健在である(いつかまたあの店で、テレーズも好んで注文した熱々のスープ・ド・ポワソンを食したいものだ)。
 中央市場を振り出しとして、本書は特異なパリガイドとしての性格を帯びる。たとえばテレーズによる「リヴォリ通り」の紹介はこんな具合だ――
 「リヴォリ通りは美しい町よ、チュイルリ公園に臨んだあの地味な、荘重な、灰色の古めかしい家並みを知ってるでしょう。この話ならあすの朝までだって続けられるわ。どの階にも気狂い、恋の気狂いがいるのよ。246番地にも、232番地にも、226番地にも、202番地にもね」
 パリ市庁舎からルーヴル美術館へと延びていく、日本人観光客におなじみの大通りだが、いかめしいファサードの裏にそんな情熱を宿していたのか。番地まで詳細に挙げられているが、それぞれにどんな秘密があるのやら。そこでは木馬を鞭打ったり雄鶏のまねをしたりする「公爵」のような人々が、奇態な享楽の日々を送っていたのだろうか?

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