レオ・ペルッツは1882年にプラハで生まれたドイツ語作家で、その執筆活動は主にウィーンで行われた。同時代人からの評価は高く、たとえばテオドール・アドルノは『文学ノート 1』に収められたエルンスト・ブロッホ論でペルッツの『最後の審判の巨匠』を「天才的なサスペンス小説」と形容し、エリック・アンブラーは自伝で『九時から九時まで』からアイデアを一つ盗んだと告白し、ヘルマン・ブロッホは『ボリバル侯爵』を扱った書評でその「必然性のファンタジー、驚異的なものの論理」に感嘆し、またイアン・フレミングは『どこに転がっていくの、林檎ちゃん』を読んで作者にファンレターを送り、「あなたのスタイル、あなたの言葉、作品の隅々にまでおよぶあなたの技巧」を讃えている。
このようにうるさ型の批評家からもエンタテインメント作家からも等しく評価されるところにペルッツ作品の包容力の大きさがある。つまり彼が書くのは誰にとっても面白く読みごたえのある小説なのだ。
だが、これら諸家の評価が初期作品に集中していることからうかがえるように、やがてペルッツの作品は読まれなくなっていく。1938年にナチスの手を逃れ亡命した先のテル・アヴィヴから、彼は「私はヨーロッパでは忘れられた作家です」と友人に書き送っている。
しかし作品の質からいえば「忘れられた」30年代以降にも瞠目すべき傑作群が書き続けられている。読者が消えたのは、ユダヤ人であることが災いしてナチス当局から禁書に指定されたためである。第二次大戦が終わってもそのまま長く忘却の淵に沈んでいたが、80年代ころから、現代文学を先取りしたようなその知的な作風のゆえに再評価がなされはじめた。
彼の作品の舞台は多岐にわたる。たとえばルネサンス期のミラノ(『レオナルドのユダ』)、スペイン侵攻時のアステカ王国(『第三の魔弾』)、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世治下のプラハ(『夜毎に石の橋の下で』)、北方戦争期のシレジア(『スウェーデンの騎士』)、リシュリュー宰相時代のパリ(『テュルリュパン』)、共産革命進行中のロシア(『どこに転がっていくの、林檎ちゃん』)、ナチスが政権を掌握する直前のドイツの片田舎(『聖ペテロの雪』)というように。
細部までリアルに描き込まれたそれらの舞台に、突拍子もない発想を一つ投げ入れて、ページをめくり続けずにはいられない波乱万丈の物語をペルッツは繰り広げてみせる。その背後には作者独特の宿命観が見え隠れして読む者の心をうつ。
そうしたペルッツ作品をちくま文庫から出すにあたっては、藤原編集室と相談のうえ、文庫という媒体を鑑みて、広い読者層に親しみやすいものをまず優先することにした。かくてこの文庫の初ペルッツは、彼になじみのない読者にも手軽にその面白さがうかがえる中短篇集『アンチクリストの誕生』になった。
これが幸いにして好意的に受け入れられ、おかげで第二弾として『どこに転がっていくの、林檎ちゃん』を出すことができた。これはヨーロッパ全域からある一人物をいかにして探し出すかという推理小説的な趣向と、立ちはだかる邪魔者を次々と倒していく冒険小説的な興趣が一体となった傑作である。
そして真打として今回出る『テュルリュパン』は、歴史上のifを追求した奇想性においてはペルッツ作品の中でも随一のものといえよう。ホメーロスの『イーリアス』や『オデュッセイアー』では天上の神々がしばしば英雄たちの前に姿を現わし彼らの加勢をする。それと同じようにこの作品でも神の手が働いているとしか思えない出来事が要所要所で起こる。普通ならご都合主義として排斥されるはずのそんなプロットが、不思議にもここでは芳醇な味わいとなり読者を酔わせる。このたぐいまれなる作品世界をぜひ一度ご賞味いただきたいと思う。