ちくま新書

ヒンドゥー教と、そのライバルで読み解くインド文明

仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教、イスラム教、シク教との対立、融和。インドにおける教え

インドは、歴史的に多くの宗教が生まれ、また外来の宗教からの攻撃にさらされてきた。しかし、ヒンドゥー教はそれら全部を飲み込みながら拡大してきた。この宗教関係史からインドの本質に迫る6月刊ちくま新書『インド宗教興亡史』冒頭を公開します。

序 章 比較文明学と宗教

†復活する近代以前の文明
 本書はインドの宗教思想の興亡を鳥瞰する書物であるが、その意図は混迷する世界情勢を乗り切るために、近い将来その存在がいっそう重要となるであろうインド文明への理解を深める一助となることを目指したものである。既存の世界構造が崩れようとしている今日、我々日本人は何をなすべきか。その答えを導く一つのヒントを、本書は読者の皆さんに提供できればと願っている。
 国際社会でのアメリカのプレゼンスの後退、それに反比例するかのような中国やインドの台頭は、たんに現今の国際秩序の変更のみならず、古くて新しい時代へと雪崩を打って変化しつつあるように見える。この先にいかなる世界が待ち受けるのかは、いまだに不明であるが、しかしヒントはある。
 約三〇〇年前、つまり現在のように欧米諸国に富と政治的・軍事的な力が集中していなかった時代、中国とインドは超大国だった。産業革命による生産力が世界を席巻する以前、西洋からの使節団に対して、ムガルの皇帝が「世界には三つの中心がある、インドと中国とトルコである」と、言い放った世界である。もちろん来たる世の中が古代や中世に回帰するわけではないが、優れた文明を形成してきたそれらの地域の復活劇が、いま始まろうとしているのだ。この事実を視野に入れた新たな国際的なビジョンを考えることは、我々には必要な視点ではないだろうか。
 近代以降の日本は、西洋文明への同一化によって恩恵を享受してきた。そのため中国やインドがトップを走る世界像を構築できていない。欧米優位の近現代が揺らぐ未来の文明のビジョンが描けていないのである。いわゆる「失われた三〇年」などと表現される日本の政治的・経済的な長期停滞も、西洋文明の衰退によってモデル(模倣する対象)を喪失し、膠着状態や泥沼に陥ってしまっているからといえるのではないだろうか。
 西洋に追随することが日本の利益となった時代は終焉しつつある。少なくとも、主要なアクターが、かつて日本が模範とした西洋だけという舞台は終演した。
 ところが、西洋文明的な思考に慣れ親しんだ現代の日本人に、インド文明の理解は、はなはだ困難を伴う。というのも、近代的な思考の対極にあるのがインドだからである。しかし近代以前の日本人は、インド的な考え方と、実は親和的であった。
 日本文明の基礎部分の多くは、仏教などを通じてインド文明とつながっている。包括的で多様なインドの構造に、日本人は親近感を抱いているのである。日本文明の底流には、いまなおインド文明に通底する要素が流れている。


†インド文明とは何か
 本書でいう「文明」に関して、まず簡単に説明しておきたい。
 文明とは、近代の西洋哲学あるいは人類学において、人間社会の営みを最大規模で把握するために考え出された概念である。どの文明も基本的な方向性は一定であるという点は比較文明学の共通理解であるが、他地域に敷衍(ふえん)するには、一種の翻訳ともいえる置き換えが必要である。
 文明という言葉は、ラテン語の「市民」および「都市」から派生した[civilizatio]、英語ならcivilization である。自然の支配から解き放たれた都市という生活空間が形成され、人間はそこに居住することで、人間独自の生活形態を継続的に送ることが可能となった。それを筆者は「都市とは、人間による、人間のための、人間中心の生活空間」と表現する。文明には、文化はもとより政治システム、経済システム、技術システムという、人間が社会生活を営むための仕組み、最低限の制度がそなわっている。その形成には、ハード面として都市だけでなく、ソフト面としての人々を結びつける「核」が不可欠なわけだが、宗教ほど、時代や地域を超えて教理や価値観が再生される形態は、他に存在しない。
 都市の発生と時を同じくして、創唱宗教(創唱者によって創始された宗教)や普遍宗教(人種や国籍、階級などを超えて世界規模で浸透している宗教)が生まれた。そうした宗教は、社会がなくては生きていけない人類の、精神的な結合手段として生み出された。都市社会に則した宗教が求められたために、創唱宗教や普遍宗教という新たな宗教形態が創出されたというのが、筆者の理解する文明と宗教の関係である。もちろん自然から自律した都市だけでなく、自然との共生を余儀なくされる村落でも、人間がいればどこにでも文化・政治・経済があり、どこにでも生活を支える各種の技術が存在する。それらを有機的に統合する溶媒または接着剤として、宗教は大きな役割を担ってきた。都市の発生以前から存在した民族宗教も、社会の都市化にあわせて変革した。
 著者の理解では、独立した宗教により形成される連続的な社会を文明と呼ぶが、いろいろな宗教を内包したインドを一つにまとめてインド文明と言い切ることができるのか。この点を厳密に議論することは本書の目的ではないが、簡単に説明する。
 キリスト教圏やイスラム教圏では、その地を支配する一神教と対峙するほどの宗教は、ほとんど存在しなかった。文明の下位概念として着目するのは、時代性や地域性であり、それによって上位概念に迫ることが一般的である。
 一方広大なインド亜大陸という空間においては、数千年来多様な宗教形態が繰り広げられてきた。そのため時代性や地域性に加えて、それぞれの宗教が下位概念だといえる。それぞれの宗教が、インド亜大陸という坩堝(るつぼ)の中で相互に影響し合って、総括的にインド文明と呼べる共通性を形成した、というのが筆者の考えだ。併存する異なる宗教(文明)で高位の文明(インド)を形成するというのが、多宗教社会の特徴ということになろう。
 本書では、インド亜大陸という地理的空間において展開された人間の営みの総体をインド文明ととらえ、民族宗教と巨大な普遍宗教による社会集団を中心に把握して、それら(バラモン・ヒンドゥー文明、仏教文明、インド・イスラム文明)の変遷や相互の関連性から、インド文明に迫ることを目指したのである。

†外来宗教の相克さえ多様性
 インド文明の特徴は、宗教間の関係が他の諸文明より、よくも悪くも複雑で密接なため、それぞれの宗教の歴史的、思想的な関係性がその理解のカギとなる。ヒンドゥー教とイスラム教と仏教という三者の相互関係が主軸ながら、ジャイナ教、シク教、キリスト教、ゾロアスター教(パールシー)も、インド文明の要素として非常に重要である。ゆえに、中心的な宗教をまず核として独自の宗教文明と理解することで整理した。
 本書では、従来の学説や常識から多少距離を取った。本書の宗教認識がこれまでの学説と少し異なると感じる読者がいるかもしれないが、それは以下の理由による。
 たとえばインド文明の基礎としては、ヴェーダの宗教を位置づけるのがふつうであるが、先住民ダーサなどの宗教形態を重視した。現在我々が理解するインドの宗教にはいわゆるダーサの宗教の伝統が非常に大きな役割を果たしているという立場をとる。それはヒンドゥー教の源流とされるヴェーダの宗教が、インドを征服した中央アジアの異民族アーリア人の宗教であるという事実に鑑みたからである。
 インダス文明以来の先住民の宗教とアーリア人のヴェーダの宗教が融合してバラモン教が誕生した。このバラモン教の時代に生まれた仏教やジャイナ教といった"新宗教"(悠久のインドにとってのという意味で)は、ヴェーダより先住民の宗教的伝統が強かった。それらの"新宗教"とバラモン教が並立する時代に、イスラム勢力の侵攻とインド支配があり、イスラムに対抗すべくインド仏教がバラモン教に併呑され、今日のヒンドゥー教へとつながったという流れで、インド宗教史を辿った。

 


 インド亜大陸がイスラム教、それからキリスト教という少数派の外来宗教に支配された時代がヒンドゥー教の成長期である。しかし、従来のインド発祥の宗教間対立から、他地域発祥の宗教および文明が、インドの大地で時に対立し時に融和したことで、さらに多様なインド文明を形成しているという理解である。これを今日の国家形態でいえば、実質的にヒンドゥー教の国家インド共和国、またイスラム教の国家パキスタンやバングラデシュとなるわけである。
 インド文明(ここでは総合的な概念)においては、宗教の存在は一貫して最重要な要素としてあり続け、それは現在も、おそらく将来においても変わらない。なぜなら、それがインド文明の特徴だからである。この点を強調することで、多宗教の総体としてのインド文明がより理解しやすくなるというのが本書の立脚点であり意図である。
 この視点の形成にいたった直接の理由に、インドにおける体験がある。筆者は一九八二年から、シク教研究のためにインドに留学し、そこでシク教徒の独立運動(それはインド
政府側からいえば反政府的な独立運動となるが)に遭遇した。八四年六月のアムリッサルのゴールデンテンプルにおける大惨事の直前まで、筆者は当該地に滞在し、シク教、インド政府側双方の、要人を含めた多くの人々へインタビューを行い、戒厳令下の意見を集めた。それらはインド的思考の多様性に満ち、統一的な見解を見出すことはできなかった。しかし唯一共通していたのは、彼らの視点がそれぞれの信仰に溢れていたことである。
 このことから、時間的・空間的な拡張概念であるインド文明の理解には、それぞれの宗教が形成する独自の世界、つまりそれぞれの宗教文明への理解が不可欠である。そして空間と時間を共有してきたそれぞれの宗教文明が相互に影響し合い、独特な統一性を形成してきたという視点を意識しつつ、インド文明の解明を試みたわけである。知的な分析は近代西洋文明の特徴ともいえるが、本書では宗教の要素の総合化に重点を置いた。これは比較思想、比較文明学の方法論で強調される視点であり、千変万化のインド文明の動態把握には極めて有効な方法論と筆者は考える。ささやかではあるが、筆者の新たな試みに、読者のみなさんのご理解が得られることを願うばかりである。

【目次】

序 章 比較文明学と宗教
第一章 ヒンドゥー・ナショナリズム
第二章 ヴェーダの宗教、バラモン教、ヒンドゥー教
第三章 バラモン教とインド仏教
    1 ウパニシャッドの申し子
  2 大乗仏教の意義
第四章 シク教の理想と挫折
第五章 ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教
  1 ジャイナ教
  2 ゾロアスター教
  3 キリスト教
第六章 イスラム時代のインド
第七章 仏教盛衰の比較文明学的考察