ちくまプリマー新書

「人それぞれだから」と言ってはいけない理由
『「みんな違ってみんないい」のか?』より「はじめに」を公開!

「正しさは人それぞれだから」と対話をやめてしまう現代人。そのように思考を止めることは、権力者による力任せの変更を容認することと同じです。相対主義と普遍主義のどちらにも距離を取りながら、真ん中の道を進んでいく、『「みんな違ってみんないい」のか?――相対主義と普遍主義の問題』(ちくまプリマー新書)より、「はじめに」を公開します。

 この本では、「正しさ」とは何か、それはどのようにして作られていくものなのかを考えます。そうした考察を踏まえて、多様な他者と理解し合うためにはどうすればよいのかについて考えます。ここであらかじめ結論だけ述べておけば、私は、「正しさは人それぞれ」でも「真実は一つ」でもなく、人間の生物学的特性を前提としながら、人間と世界の関係や人間同士の間の関係の中で、いわば共同作業によって「正しさ」というものが作られていくのだと考えています。それゆえ、多様な他者と理解し合うということは、かれらとともに「正しさ」を作っていくということです。

 これは、「正しさは人それぞれ」とか「みんなちがってみんないい」といったお決まりの簡便な一言を吐けば済んでしまうような安易な道ではありません。これらの言葉は、言ってみれば相手と関わらないで済ますための最後通牒です。みなさんが意見を異にする人と話し合った結果、「結局、わかりあえないな」と思ったときに、このように言うでしょう。「まあ、人それぞれだからね」。対話はここで終了です。

 ともに「正しさ」を作っていくということは、そこで終了せずに踏みとどまり、とことん相手と付き合うという面倒な作業です。相手の言い分を受け入れて自分の考えを変えなければならないこともあるでしょう。それでプライドが傷つくかもしれません。しかし、傷つくことを嫌がっていては、新たな「正しさ」を知って成長していくことはできません。

 最近、「正しさは人それぞれ」と並んで、「どんなことでも感じ方しだい」とか「心を傷つけてはいけない」といった感情尊重の風潮も広まっています。しかし、学び成長するとは、今の自分を否定して、今の自分でないものになるということです。これはたいへんに苦しい、ときに心の傷つく作業です。あえていえば、成長するためには傷ついてナンボです。若いみなさんには、傷つくことを恐れずに成長の道を進んでほしいと思います(などと言うのは説教くさくて気が引けますが)。

 この本の構成を簡単に予告しておきます。第1章では、「正しさは人それぞれ」といった相対主義的な主張が、いつ頃から、どうして広まったのかを概観します。もともと、西洋文明は普遍性を偏重する文明でした。ところが、第一次世界大戦後あたりから、「普遍的な真理」を疑問視する見方が広がります。それが近年の「正しさは人それぞれ」論へとつながっていく流れをたどります。

 第2章では、二〇世紀半ばの言語学や文化人類学を取り上げ、「言語が異なると世界の見え方が異なる」とか「結局のところ異なる文化を理解することはできない」といった俗説が誤りであることを見ます。「世界の見え方」は言語ではなく感覚器官や脳の仕組みによって決まるものですし、文化が違っても人間には共通する部分が多いのです。「正しさは人それぞれ」以前に、人はそれほど異なっていないということです。

 そうした議論を踏まえて、第3章と第4章で、「正しさ」がどのように作られるのかを検討します。ここが難しいところですが、人はそれほど異なっていないからといって、そうした現実の人間のあり方が「正しい」というわけではありません。たとえば、世界中のほとんどの文化圏において、おとなの男性が政治的に優位な位置を占める傾向があることが知られています。これには何らかの生物学的な理由があると考えられますが、だからといって「女性が政治に関わることは間違っている」などということはありません。人間は、生物学的な特性によって身動きが取れないほど縛られているのではなく、それを前提としながらも自分たちで「正しさ」を作っていくことができるのです。

 ひとくちに「正しさ」といっても多義的ですが、大きくいうと「道徳的な正しさ」と「事実認識の正しさ」という二つの場合があります。第3章では道徳的な正しさについて、第4章では事実認識の正しさについて考えます。

 このように考えを積み重ねていくことで、「正しさは人それぞれ」といって他人との関係を切り捨てるのでも、「真実は一つ」といって自分と異なる考えを否定するのでもないような態度を作っていくためにはどうすればよいのかを考えていきたいと思います。多くの人は、「人それぞれ」の相対主義か「真実は一つ」の普遍主義かという二者択一に陥りがちですが、相対主義も普遍主義も相手のことをよく理解しようとしない点では似たようなものです。私たちは相対主義と普遍主義の間の道を、どちらかに落っこちないように気をつけながら進まなくてはなりません。
 



 
「みんな違ってみんないい」のか? 』 

好評発売中です!

 
 

関連書籍