その「とりあえず忘れよう」は2週間も続き、私は作詞のことなどすっかり忘れて遊びほうけていた。ある日夜中の2時に家に帰ると、まだ起きていた父に「締切は今日だぞ」と圧をかけられた。楽しい気分で帰ってきたのに、突然急かされた私は少しイラッとして「今から書くよ!」と言ってドアをバタンと閉めて自分の部屋に入った。
部屋に入ったはいいが何をしていいかわからない私は、まずはこたつにもぐりこみ、みかんを食べてひと息ついた。
「とりあえず原曲を訳してみるか」と辞書を手に取った。簡単な英語だったので辞書がなくても大体意味は分かっていた。あまりしっくり来る歌詞ではなさそうだ。わからない部分を辞書で調べ、直訳してみた。
カントリーロード。私を故郷に連れてって。私がいるべき場所に。ウエストバージニア。母なる山。私を故郷に連れてって
うーん、なんか全然しっくりこない。そもそもよく意味が分からないし、なんだか壮大で、中学生が書く詩ではない気がした。
今度は辞書を置いて『耳をすませば』の原作コミックを手に持ち、月島雫になりきろうと目をつぶった。彼女の頭の中を書く。私は恋する中学生の女の子。
と思ったはずなのだが、なぜか思い浮かんだのは男の子。まっすぐな一本道をただひたすら必死で歩く。強い決意を感じる歩調。何かを振り切るように。
そんな光景が突然目の前に現れ、離れなかった。
カントリーロード この道 ずっと ゆけば あの街に 続いてる 気がする カントリーロード
この道をずっと歩けば故郷にたどり着くんじゃないか? そう思って歩いてるのかな。だから必死で歩いてるのかな。そう思った。
ひとりぼっち 何も持たず 生きようと 街を飛び出した
そんな歌詞を思いついたように思う。何十年も前のことなのでどんな歌詞だったかは正確には覚えていない。
でも「都会で頑張っている、田舎町を出た男の子が、毎日通るこの道で、故郷を思いだして帰りたくなる。でも帰らない、負けないと決意して、故郷に別れを告げ、今日も足早に歩く」という情景が、目の前に浮かんだのをはっきりと覚えている。
今でもその情景は忘れられない。大きな月の見える夜空を見ながら土手のような道を歩く男の子。
原曲ではもっと歳のいった人の歌詞だったのかもしれないけれど、故郷を出た男の子もきっと同じようにきっと月の浮かぶ道の先に故郷を思っていたに違いない。
数年後に『嫌われ松子の一生』という映画を見たとき、似たような光景が出てきた。こんな道だったなとそのときに思ったのだ。
そうして「カントリーロード」の歌詞はできあがった。
たった5分くらいの出来事だった。突然情景が浮かんで、一気に歌詞ができたのだ。少し字余りもあったけど、参考にするだけなんだからいいと思った。
でも、問題は……まったく月島雫の心情ではないということだ。
女子中学生の歌ではない。故郷から飛び出した男の子の歌だもの。
これじゃ『耳をすませば』の内容と関係なくなってしまう。さすがにまずいかなと思い、月島雫になりきってもう一度考えてみようと思ったけれど……無理だった。
さっきの歌詞が良すぎる。それしか考えられなかった。
カントリーロードは誰が何と言おうとこういう歌だ。そう思った。
実は父は、宮崎さんはその歌詞を気に入らないと思っていたらしい。中学生の女の子の歌ではないからだ。
しかし意外にも宮崎さんは歌詞を気に入ってくれて「一度娘さんに会って話がしたい」と言ってくれたのだそうだ。それを父から聞いた私は「やだ」と一言吐き捨てたそうだ。
反抗期の娘はそんなものだ。父の仕事関係の人に会うなんて面倒くさいの極みなのだ。
それから数日後、今度は『耳をすませば』の絵コンテを手渡された。
あの歌詞には2番がなかったから書き足してほしいとのことだった。
そして「あの歌は女子中学生の歌じゃないし、年齢設定も違うから、絵コンテをよく読んでもう一度書いてみて」というようなことを言われた。
私は再びコタツに座りみかんを食べ、ひと息ついてから絵コンテを読んだ。絵コンテなんか読んだこともないからよくわからなかったが、劇中で雫が作る大事な歌なのだということはわかった。
しかし絵コンテを読めば読むほど、私の書いた歌詞は内容と合わない。なんとかすり合わせようとしたが、そもそも男の子の歌なのに、女子中学生の要素を入れるなんて到底無理だった。
もう一度いちから書き直してみようと思ったが、いくら考えてもあの歌詞よりいい歌詞は出てこなかった。
仕方なく私は世界観を変えず、1番の続きの歌詞を書くことにした。1番の続きならスラスラ書けたのだ。
「私にはこれしか書けない」と言って、できあがった歌詞を父に手渡した。