鈴木家の箱

乳房縮小術

胸をとる決心をしたまみこさん。「日本人では珍しいレベル」の乳房肥大は、思ったより大手術になりました。

 「胸を取ろう」と決心したものの、出産して数年間は育児に追われていた。母乳はあげていない。
 出産をすると女性の胸はパンパンに張るものだが、私の胸もこれでもかというくらいに張った。出産した直後の入院中、看護師さんも手伝ってくれてカチカチの小玉スイカを両手でほぐしてなんとか母乳を出そうとしたのだが、泣き叫んでしまうほど痛い。
 そしてあまりの胸の重さに息ができない。横になっても息が苦しくて、喘息のようなヒューヒュー音の出る息遣いになってしまい、夜も苦しくて眠れなかった。担当医からは「母乳は諦めてもいいかもしれない」と提案された。
 私が出産した病院は元から母乳育児を推奨している病院ではなかったこともあり、看護師さんからも「母乳育児でも完全ミルク育児でも赤ちゃんの免疫力に差はない」と言われ、完全ミルク育児の利点も説明された。それでも母乳をあげてみたかった私は何度かトライしてみたのだが、赤ちゃんの頭より大きいおっぱいを吸わせるのは至難のわざで、赤ちゃんが窒息しそうで恐かった。
 出産からわずか2日で「母乳育児は諦める」という決断をして、母乳を止める注射を打ってもらった。カチカチだった胸は数時間でスーっと何かが抜けるように柔らかくなり、ずしんと重かった重量も少し軽くなり、喘息のような息遣いも直った。

 目の前で母乳をあげるママたちを見ていると羨ましく思うこともあったが、今考えても私にはあの選択しかなかったと思う。
 出産が終わって胸が小さくなることを期待したが、私の胸は大きいままだった。他の部分は痩せていくのに胸だけはどうしても痩せない。「羨ましい」と言われることもあったが、私にとってはただただ絶望の日々だった。
 垂れ始めていた胸は出産後にボリュームを保ったまま下垂をして、前のように小さく見えることもなく、ただ大きい胸が下のほうにある洋ナシのような形になった。下に引っ張る力がより強くなって数年前より何倍も痛かった。
 相変わらずシャンプーのときも胸が痛くて、立てるようになった息子に胸の下に入ってもらい、息子の頭に胸をのせながらシャンプーをした。

 それから数年が経ち、息子が幼稚園に入って育児が落ち着いたころ、私は本格的に胸を取ることを考え始めた。それまでも胸を取る手術について調べたことはあったが、想像を絶するくらい痛そうな方法しかなく、恐くて無理だと思っていた。
 しかしもうきっとこの胸が小さくなることはない。そして垂れ続けてどんどん重くなっていくだろう。ペラペラの胸が垂れるのならば畳んでブラジャーに収納すればいいけれど、大きい胸が垂れたらどうなっちゃうんだろうと思った。そのうちおへそあたりに大きい胸があるのを想像したら、どんなに痛くても取るしかないと思った。
 それから私は乳房縮小術をやっているいくつかの病院にカウンセリングに行った。実際にカウンセリングを受けて写真などを見せてもらうと、手術は思ってた以上に恐ろしいものだった。

 私は重度の乳房肥大があるということで、脂肪吸引や乳輪のまわりだけ切って脂肪を取り除くような傷が小さい手術は適応せず、乳房の下半分をすべて切除する大手術が必要だった。
 私の胸を見た先生たちは口々に「これはつらかったね。日本人では珍しいレベルだ」と言ってくれて、私は初めて本当の意味で理解してもらえたと感じて嬉しかった。
 手術方法は、乳首のまわりを円状に切り乳首を一度まわりの皮膚から剝離し、乳輪の中央から下を縦線で切り、乳房の下の半円の部分を切り、乳房の下半分の皮膚をベロンとめくりあげて中の脂肪や乳腺細胞を切除して余分な皮膚を切り、乳首を上に移動して縫い合わせるというものだった。術中写真は胸の下半分に血まみれの肉があらわになっていて、目を背けたくなるほどエグかった。人間は肉の塊なんだなぁと思った。
 言葉で聞いてもあまりよくわからないが、胸の下半分を全部切り取って丸い形に再形成してその上に乳首をのせるようなイメージだ。
 もちろん大きな傷ができる。胸の中央に大きな縦線が入るし、胸下部分の半円は全部傷になるようなもんだ。すごい大手術だ。
 正直、傷のことは特に気にならなかった。もちろんないに越したことはないが、どうせ洋服で隠れる部分だし、それで胸が小さくなるならなんてことない。
 しかし乳首を取るとはどういうことか。恐すぎるじゃないか。乳首が壊死する可能性もゼロではないというし、そのまま乳首がなくなったらどうしようと不安もよぎる。
 でも、考えてみた。「もう母乳をあげることもないだろうし、私、乳首必要かな? 最悪なくなっても困らないものじゃないかな? これからまた一生巨乳として苦しんで生きるくらいなら乳首がなくなる方がましなんじゃないかな?」と。
 もちろんこれは個人差があると思う。でも大きい胸に悩まされ続けてきた私にとってはそれくらいの死活問題だったのだ。

2023年4月13日更新

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連載目次

鈴木 麻実子(すずき まみこ)

鈴木 麻実子

1976年、鈴木敏夫プロデューサーの長女として東京で生まれる。様々なアルバイト経験を経て美容サロンのマネジメント業につき、店舗拡大に貢献する。
その傍ら映画「耳をすませば」の主題歌「カントリー・ロード」の訳詞、平原綾香「ふたたび」、ゲー厶二ノ国の主題歌「心のかけら」の作詞を手掛ける。
現在は1児の母となり、父である鈴木敏夫をゲストに招いたオンラインサロン「鈴木Pファミリー」を運営する。