後日、家でくつろいでいると宮崎さんから電話がかかってきた。
宮崎さんから電話がかかってくるなんて初めてのことで、恐る恐る電話に出た私に宮崎さんは開口一番「なんであんな歌詞が書けたんですか?」と言った。
「なんで書いたんですか?」ではなく、「なんで書けたんですか?」と言ってくれたその言葉は、賞賛に聞こえた。
でも私は「ただ思い浮かんできたから」と答えるしかなかった。宮崎さんは「うーん……うーん」と電話口で小さくうなり声をあげて「僕の作った歌詞を聞いてください」と言った。
「コンクリートロード どこまでも 森を伐り 谷を埋め……」と劇中で少し流れるあの歌を宮崎さんが歌った。
「どう思いますか?」と自信なさげに聞く宮崎さんに、
「ひどいと思います」と正直に言った。
「そうですよね……」と少し落ち込んでいた様子だった。
「どうやったらあんな詩が書けるんですか?」
ともう一度聞かれたけど、私にはやはり答えられなかった。
ただ浮かんできただけだし、宮崎さんが求めている月島雫の詩ではなかっただろうから、申し訳ない気持ちになった。
作詞の手法は良かったけれど、もっと年齢を下げて女の子目線で書いてみてほしいということなんだろうなと思った。それがうまくできないし説明もできないことが申し訳ない……そんな気持ちで「すいません」と言いながら電話を切った。
それからどのくらいの時間が経った頃だろう。もう作詞のことも忘れたような頃に、父から「『耳をすませば』の映画ができたから見る?」と言われた。
宮崎さんはどんな詩を書いたのか、楽しみだった。
映画を見ていると「コンクリートロード」の歌詞がでてきたり。「まさかこれでいったの?」と思っていたら……
カントリーロード この道 ずっと ゆけば……
耳を疑った。
私が書いた歌詞を映画の中で月島雫が歌っていた。
どういうこと? 分からなくてパニックになった。
劇中で少し使ってもらえることになったのかも……。
そう思ったのもつかの間、映画を見進めていくと、どう考えても私の書いた歌詞が主題歌に使われていたのだ。
映画を最後まで見終えたあとは、放心状態だった……。何が起きたかわからなくて、夢のようで、よくわからなかった。
父が「主題歌になったんだよ」と教えてくれた。
本当に心からびっくりしたし、本当の話なのかも信じられなかった。
私が書いた歌詞がジブリ映画の主題歌になっている。
うれしいけど、もちろんうれしいけど、「年齢差はよかったの?」とか、「男の子でよかったの?」とか、頭の中ははてなでいっぱいが正直な気持ちだった。
でも映画を見終わってエンドロールを見ながら、
「やっぱりあの歌詞しかなかったな」
とも思った。
「あれは天沢聖司君の歌だったのかな?」とも少し思った。
旅立つ彼の未来の歌なのかな。今でもそれはわからない。
書いたときはそんなことまったく思ってなかったし。でもどこかで感じていたのかもとも思う。
歌詞はところどころ字余りの箇所が直されていた。
一点「丘を巻く坂の道」という言葉は宮崎さんが書いた部分だ。自分がどういう歌詞を書いていたかは忘れてしまったのだが、坂の一本道というような事を書いていたと思う。それを「丘を巻く坂の道」というすぐさま絵が浮かんでくる言葉で表現するのはさすが宮崎さんだなと思ったのを覚えている。
あの驚きから何年も経って、私は「カントリーロード」に驚かされ続けている。見ず知らずの人から大好きだと言われたり、プロの歌手の方が歌ってくれたり、息子の小学校の教科書に載っていたり。
「カントリーロード」はいまだ私の人生の中の大事件だ。
あの歌詞を書かせてくれる機会を与えてくれてしかも主題歌にまでしてくれた宮崎さん、父、近藤喜文監督には感謝の気持ちでいっぱいだ。
なぜあの歌詞を使うことになったのかは誰も教えてくれなかったが、もうそんなことどうでも良かった。
「カントリーロード」を書けたことは、今では私の人生最大の誇りだ。
よく聞かれるのだが、印税はもらっていない。主題歌になることなんて知らなかったのだから、契約なんてものもしていない。
でも私はギャラより印税よりも何倍も価値のある、素晴らしい想い出というプレゼントを「カントリーロード」からもらい続けている。