ちくま新書

「理数」の「探究」って何だ?!

高校の新科目「理数探究」では何を教えているか知っていますか? 確率的思考、エビデンス、対照実験、アウトプットのお作法……など、大人の教養のキホンを学んでいるのです。これらを事例豊富に案内したちくま新書『理数探究の考え方』の「プロローグ」の一部を公開します。

最近、探究という文字を見かけることが多くなりました。小中高の教育のキーワードになっています。探求ではなく探究なのですが、なぜこれが話題になっているかというと、教育方法の抜本的な改革が始まっているからなのです。簡単に言うと、教えられる教育から自分で学ぶ教育への転換です。この探究的教育法が小学校から高校まで、全部でやりましょうと文部科学省が旗を揚げたのです。

2020年初頭から始まった新型コロナウイルスの感染爆発の話題から、自分で学ぶことが私たちの健康にとって重要であることが分かった例をご紹介しましょう。今まで私たちの頭にあまりなかった確率的思考が、生きていく上でも重要だということがはっきり分かったのです。

2022年の新年早々から日本に蔓延したオミクロン株(第6波)の最中に、あるテレビ局が若者にインタビューしたところが放映されました。「あなたは、これからワクチンを打ちますか」という問いに対して、「コロナに罹っても軽そうだし、何よりも副反応が出るのが嫌だから打ちません」、「ワクチンが安全といわれていたけど、ワクチンを打っても感染する人がいるとテレビが言っているから、ワクチンが信用できません」と何人かが答えていました。

実は、ワクチンを打っても感染する(ブレイクスルー感染)のは当たり前です。新型コロナが話題に上ってから2年も経っているのに、20歳の若者がなぜこの当たり前を理解できず、このような幼稚な考えにとりつかれているのでしょうか。もともとのファイザー社の研究結果では、4万人を調べて感染防御に約95%の効果があった、と報告されました。これは4万人のうち、95%である3万8000人に効果があって感染せず、2000人に効果がなく感染したという意味ではありません。2万人にワクチンを打ち、2万人に食塩水を打った結果、3か月後に後者では162人感染したが、前者のワクチンでは8人しか感染しなかった(だから95%に効果があった)という報告でした。最初から20人に1人の割合で必ずブレイクスルー感染を起こす、ということが分かっていたのです。

感染したのはワクチンが効かなかったのではなく、(1)ワクチンを打つ前に感染していた、(2)ワクチンで抗体が大量にできる前に感染した、(3)高齢者は抗体ができにくく、抗体ができてもすぐになくなっていったからそのあとに感染した、という3つの可能性が考えられます。だからワクチンというのは、もともと完全には安全ではないのです。「ブレイクスルー感染」と報道して、さもワクチンが効かなかったように騒ぐのは、マスコミの無知か、またはわざとワクチンを打たせないようにしようとする意図があるか、ただ騒げば視聴率が上がるからと考えているか、のどれかです。

ワクチンを打つと、普通は誰でも打ったところが痛くなります。人によっては熱が出たり、腫れたり、数日間だるくなり調子が悪くなります。これを副作用とは言わないのは、免疫反応の結果起こった事象だからです。分かりますね、これを「副反応」と呼びます。私たちの体がちゃんとワクチンを認識して反応している証拠なのです。新型コロナウイルスの場合、副反応は1回目接種後よりも2回目接種後のほうが強く出ます。注射部位の痛み、疲労感、頭痛、筋肉痛、発熱、関節痛、悪寒、吐き気、腫脹などが報告されています。

実はこれらは、新型コロナウイルスのワクチンに特徴的なのではなく、結核菌に対するBCG、インフルエンザ菌に対するHib ワクチン、三種混合ワクチンでも同様なのです。一般的に、副反応はどんなワクチンでも出ます。普通こういう知識があると、副反応が出たほうが体の免疫系がワクチンに反応して抗体などを作っていることが分かるので、重症化のリスクを防ぐことができるから良かった、と考えるはずですが、「少しでも熱が出て仕事に行けないのが嫌」と堂々と人に言う成人がいる国が先進国にあるとは思いませんでした。知識がないということは恐ろしく、命とちょっとした痛みを天秤にかけ後者に重きを置いている若者がいるのは困ったものです。

どうしてこれが確率的考え方の問題なのかというと、それは以下の理由によるものです。一般に予防接種は、健康な人への医療行為ですから、当然、何も起こらないのが当たり前とだれもが考えています。「ほんのちょっとでも副反応が出ると嫌だ。ワクチンは打ちません」と言う人は、何も起きないことと嫌な副反応を天秤にかけているのです。そこで、少しでも何か嫌なことが起こると「自分が損をした」と考えます。ワクチンが感染症を防いでいることを自覚できないのです。すなわち、ワクチンが感染症を防ぐ確率(メリット)が目に入らないのです。

一方、がんになったら、どんなにひどい副作用が出る治療薬でも、手術でも、大多数の人は進んでそれを受け入れることが分かっています。それは、死のリスクと回復のベネフィットを天秤にかけ、回復の確率が高いほうを選択しているからです。ここでは、ちゃんと確率的思考が頭に入っています。なぜなら、がんの死亡率は数字で出ているからです。ところがワクチンについては、何も起きないことを期待しているのに嫌な副反応が出てくるので「損をした」と考えるのです。ワクチンについての正しい知識がない人が多いので仕方がないのかもしれませんが、これが若者全員では困ります。

ワクチンの場合、もっと重要なのは、ワクチンを打たないと病気を他人にうつす恐れがある、ということです。ワクチンを打つと他人にうつさなくなるというデータも出ているのですが、マスコミはそれを報道しません。現在ではウイルスの遺伝子解析ができるので、人から人へとうつる経路が特定できます。人にうつしたら損害賠償を払わないといけないという法律があれば、損得しか考えない若者の接種率が上がると考えられます。1980年以降、アメリカ全州ではしかワクチン接種が小学校入学の前提になっています。オーストラリア、フランス、イタリアでも同様です。接種率の向上に効いているのです。

若い時から、このような数学的思考が大切なのは言うまでもありません。また、マスコミの報道(他人の言葉)を頭から信じ込むのではなく、自分で納得のいくまで調べるという生き方が、結果的に自分の健康や将来の職業選択に必要になってくるのです。この姿勢こそが「探究」で培われるのです。本書では、新しい科学へのアプローチとして、高校教育に取り入れられた新科目「理数探究」と、最近話題に上るようになった「サイエンスコミュニケーション」を題材にして、その本質を紹介しようと思います。

関連書籍

石浦 章一

理数探究の考え方 (ちくま新書 1689)

筑摩書房

¥946

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入