最も身近なデザインのひとつ
とあるプロジェクトで使用するために、画面や実際の壁面に置くためのさまざまなアイコンを作っている。ほぼ毎日修正を加えているので、まさしくアイコン三昧と言ったところだろうか。PCのデスクトップに紙のフォルダーの形を模したアイコンがあると思うが、まさにそれの事である。壁面やサインシステムに掲出される場合はピクトグラムともいう。時期としてはピクトグラムのほうが先に普及したが、これらももちろんデザイナーの職能の一つである。受け手が誤解しないように小さな正方形の中に抽象化した表現を落としこむのは、それだけで十分独立したデザインのスキルだ。
特にコンピュータの世界では命令をキーボードで打ち込んで機械に指示を出すCUI(コマンドラインユーザーインターフェース)から、Macに代表されるマウスやタッチデバイスあなどで直感的に操作するGUI(グラフィックユーザーインターフェース)に主な操作方法が移行した時点で、アイコンは情報の分類や、使いたい機能への認識を手助けしてくれる重要な媒質として機能を始めたのである。わかりやすいアイコンが80年代中旬に、パーソナルコンピュータの普及に大きな貢献をしたことは想像に難くない。いつも目にするという意味では、私達にとって最も身近にデザインを感じられるものの一つかもしれない。
スーザンの印象的な一言
ここで一人のデザイナーを紹介したい。Macをお使いの方は毎日見かける「コマンド」マークをデザインしたのは、1982年ごろAppleに勤務していたスーザン・ケア というグラフィックデザイナーである。初期のMacの、ピクセルで構成されているアイコンやフォントをデザインし、その後Windows3.1のウィンドウシステムや、Nokiaの携帯電話のアイコン(つまり、携帯電話のアラームが「ベル」の形をしていたのは彼女の功績である)を手がけた。少し大げさかもしれないが、私達の現代的な認識の何%かは彼女の仕事によるものなのだ。
以前、クリエイティブ向けのソフトウェア会社・Adobeが主催したカンファレンスで彼女の講演をお聞きしたことがある。彼女がなぜアイコングラフィの「女王」となったのか興味が湧いたのだ。印象的だったのは、よく彼女がオリジネイターだと言われるが、床面の装飾に使われるタイルアートなど、コンピュータが登場する以前から「ピクセル」の概念はあったという。そうした所からも解釈を学んだとのことだ。そしてシンボリズムはとても強力だということ。実際にスーザンが解釈し、作成したベルの形をしたアラームのアイコンは現在もいろいろなところで使われているし、公演ではストリートアートでも自分のアイコンがタイル化されている例をいくつか見せてくれた。そうした覚えやすさや認識のしやすさ、そして複製性を今でも魅力だと感じているとのことだ。
アイコンから絵文字へ、そして誰もが使うものに
抽象化した絵によって認識を伝えるアイコンやピクトグラムに加えて、ここ20年くらいで絵文字(英語圏ではそのままEmojiである)も出現した。日本の携帯電話やポケベルの文化から発生したものが、現在では世界共通の、より解像度の高い言語として扱われているのはなかなかにクールだ。気づけばチャットで、返事の代わりに絵文字やスタンプで会話している。早く、楽に伝わるのだ。
絵文字は現在ではUnicodeという標準規格に基づいて、ほとんどの近代的なデバイスで表示できる「文字」として扱われている。こうした標準化のムーブメントには流石というか、GoogleやApple、そしてTwitterが一役買ったのだ。Unicode Consortiumという標準化団体のメンバーにはなじみのある企業が並んでいる。この考え方はブランディングにも使用されている。オリンピックの期間中はTwitterで期間限定の絵文字が出現したし、そしてAppleはすでに商品名を「Apple Watch」という文字列で言っていないのだ。同じAppleのデバイスでは林檎のマークが文字として表示できる。強力なエコシステムを持った企業だからこそできる芸当であろう。
標準規格化されたということは、それはもはやフォントと同じようにスーザンのアイコンにあるような複製性、そして浸透性を持って使用されるということだ。実はこれはとてもモダンデザイン的な行為であり、モダン(近代)デザインとはそもそも美観を複製可能なかたちに整えなおし、安く大量に提供することに本質の一つがある(なのでIKEAの家具などは、思想としてはとてもモダンデザイン的だ)。
アイコンや絵文字を気軽に提供する準備が、至る所で急速に整い始めている。最たる例はUnicode ConsortiumのメンバーでもあるGoogleであろう。彼らが提唱するMaterial Design Iconは誰もが使えるアイコン群だ。そもそもAndroidのソフトウェアの開発用に使ってください、という趣旨だがウェブサイトなどにも簡単に使用できるよう、埋め込みコードが入っている。コードで配布するのはアイコンとしては画期的なことで、やがて来るデザインのトレンドの変化にも柔軟に対応する。 Googleが変更すれば、たとえば世界中で使われている矢印マークが少し角丸になったりするのだ。彼らは先行してフォントで同じことを試していて、Google / Androidの制定書体「Roboto」は一度改刻されている。つまり、ある日突然Googleのプロダクトのルック&フィールが微妙にアップデートした瞬間があるのだ。企業のブランディングのためにデザインをしている身としては、少し戦慄したことを覚えている。
アイコン・絵文字が気軽に誰でも使えるようになる、もうひとつの例を挙げよう。2008年にバラク・オバマの選挙キャンペーンのアートディレクターも務めた人物であるスコット・トーマスが主催しているthe noun projectはデザイナーたちが持ち寄ったアイコンを整理・共有・配布するためのサイトだ。それだけではなく他社のサービスにもデータを開放していて、例えばウェブサイトの作成サービスであるSquarespaceが提供するロゴジェネレータではthe noun projectのアイコン群がそのまま使用できる。ぜひ試してみてほしい。
タイムリーなニュースとしては、the noun projectは先日公開されたAppleのiOS10向けに、まさにLINEのスタンプのように自分たちのアイコンを使えるアプリケーション「Nounji」を配布した。もはやアイコンとしては何か機能を伝えるものではなく、感情を伝えるものに変化しつつある。私達にとって身近なデザイン資源は、本格的な運用フェーズに入ったように感じている。
スーザンも今の状況を見たら驚くかもしれない……というと、まるで彼女が現役を退いて伝説になったような言い方だが実際はそんなことはなく、現在彼女はクリエイティブのアイデアを集めて共有するウェブサービス・Pinterestのデザイン・リードとしてPinterestのサービスデザインを牽引する立場として勤務しているそうだ。つまり私達が体験し始めたスクリーン上での認識は、今も彼女によってアップデートが行われている。スーザンのアイコンを見て育った身としては少し嬉しく、気が引き締まる思いだ。