ちくま新書

私たちはブッダについてそもそも何を知っているのか
『ブッダという男』「第1章 ブッダとは何者だったのか」より

これまでのブッダ理解を批判的に検証し、初期仏典の丁寧な読解からその先駆性を導き出す清水俊史さんの快著『ブッダという男――初期仏典を読みとく』(ちくま新書)。同書より、「第1章 ブッダとは何者だったのか」の一部を公開します。

 およそ二五〇〇年前、北インドに「ブッダ」と呼ばれる一人の男が現れた。本名はパーリ語(以下P.)でゴータマ・シッダッタ(サンスクリット語[以下S.]で、ガウタマ・シッダールタ)という。シャカ族の王子として生まれ裕福な生活を送っていたが、このままでは輪廻の苦しみから逃れ得ないことを厭い出家した。そして、さまざまな修行の末、三五歳で悟りを得て「ブッダ」となった。その男の言葉には人を引き寄せる力があり、弟子や支援者が彼の周りに集まった。ブッダの教えに従い、多くの弟子たちが、悟りを得て輪廻を終極させた。その後、四五年にわたる伝道の末、ブッダは八〇歳で入滅した――。
 我々がブッダという男に関して持ち得ている確実な情報というのは、ほとんどこれだけである。
 実際にはブッダの本名すら直接知り得ない。ゴータマ(S.ガウタマ)という姓は、成立の古い初期仏典のなかにも頻出するが、シッダッタ(S.シッダールタ)という名は出てこない。それでもこれが本名であろうと推認される根拠は、単にこれと異なる本名が伝えられていないことによる。
 このように、ブッダについての確実な情報は、非常に限定的である。しかも、初期仏典を通読すれば、ブッダという男の生涯が不完全ながらも一本の線となって見えてくる、というものでもない。初期仏典には相互に矛盾する記述や神話的装飾、後代の加筆が随所に確認される。生涯の事績のみならず、ブッダが何を語ったのかさえも、ほとんど定かではない。たとえば、悟りを得たブッダが初めて臨んだ説法(初転法輪)において、ある資料では無我が説かれたことに、別の資料では四諦(聖者たちにとっての四つの事実)が説かれたことになっている(前者は『相応部』二二章五九経、後者は『相応部』五六章一一経)。

†「歴史のブッダ」を問い直す

 ブッダという男がどのような生涯を送り、何を語ったのか――これを統一的に力強く描き出すことは難しい。そもそも、当初の仏教教団は、ブッダの生涯にほとんど関心を持っていなかった。初期仏典(三蔵)には、ブッダが生前に語った教えが、時系列を無視して収められている。仏伝と呼ばれるブッダの一代記が著されるようになったのは、仏滅から数百年経ってからであり、しかも、その仏伝は、当時の教団にとってさえ文学作品の類として扱われており、聖典としては認められていなかった。
 一九世紀以降、宗学ではなく学問としての仏教研究が始まるとともに、多くの学者がブッダの生涯とその教えを歴史問題として扱うようになった。つまり、初期仏典を“信じる”のではなく“批判的”に考察し、そこから神話的装飾や後代の加筆を削除することで「歴史のブッダ」を復元しようとする試みである。
 この「歴史のブッダ」を追い求める研究がその成果として報告した内容は驚くべきものであった。たとえば、ある研究者は「ブッダは輪廻や迷信を否定した」ことを発見した。別の研究者は「ブッダは男女平等を唱えた」ことを、また別の研究者は「ブッダは一切智者などではなく、経験論者であり不可知論者だった」ことを発見した。
 しかし、このような現代人のごときブッダが、二五〇〇年前に本当に実在したのだろうか。そして、古代の仏弟子たちや在家信者たちも、そのようなブッダ像を思い描いていたのであろうか。その答えは否であろう。近代になって始まった「歴史のブッダ」を描き出す試みは、確かに“批判的”ではあったが、“客観的”であったとは言いがたい。初期仏典は神話的・空想的な記述に満ちあふれていて、現代人にとって現実感に乏しい。しかし、だからといって現代人の価値観を投射した「歴史のブッダ」を描き出すことに、時の試練に打ち勝てるほどの客観性があるとは言えない。
 結局のところ、これら「歴史のブッダ」と称されるものは、研究者たちが、単に己が願望を、ブッダという権威に語らせてしまった結果にすぎない。端的に言えば、一九世紀になって初めて誕生した“新たな神話”なのである。

†「神話のブッダ」を問い直す

 現代人が仏典を手にするとき、「人間が瞬間移動することなどあり得ない」という常識を持ったうえで読む。おそらく本書を手にする人も同じだろう。しかし、仏典のなかでブッダは、瞬間移動の超能力を使うことが可能であると自称している。また、ガンジス川を超能力によって一瞬で渡ったという記述も存在する(『長部』一六経「大般涅槃経」)。こういった記述に遭遇したとき、我々はどのようにこれを理解すればよいのだろうか。次の二つの選択肢が考えられる。

①  一般人が瞬間移動することなど不可能だが、さすがブッダともなれば瞬間移動の超能力が使えるのだなと信じる。
②  さすがにブッダでも瞬間移動など物理的にできるはずがない。これは神話的装飾であって実際に起こった出来事ではないと考える。

 おそらく現代人のほとんどは、②の立場をとるだろう。これは当然だ。しかし歴史を振り返ると、①の立場こそ仏教の正統であった。古代や中世の仏教者のほとんどは、ブッダが一切智者であり超能力を使う超人であると真剣に信じていた。古代インドの常識では、すごい人は瞬間移動の超能力くらい使えて当然なのである。この常識を踏まえてか、面白いことに仏教教団では、「たとえ超能力が使えても、在家者たちの前で使ってはいけない」という規則を作る必要があった(律蔵「小品」小犍度部)。東南アジアを中心に栄えている上座部仏教において今もいる阿羅漢(悟った人)たちが、ブッダと同じく瞬間移動などの超能力を使えるにもかかわらず、あえて人前で使わない理由は、その規則があるからという建前になっている。
 初期仏典は、ブッダの周りで起こった歴史的な事跡を写実的に叙述したものではなく、当時の法観念の下に、篤い信仰心を持った仏弟子たちによって編纂されたものである。そこに現れる「神話のブッダ」は、ほとんど万能の超人であり、すべてお見通しの一切智者である。それどころではない。初期仏典を読み進めれば、ブッダは自らを世界で一番偉い人間であると宣言し、地球は平らであると考え、来世や過去世の実在を当然の前提として受け入れている。
 このようなブッダは、現代に生きる我々にとって受け入れがたい。だが、「神話のブッダ」こそが、人々から信仰され大きな影響を与えてきたことは歴史的事実である。真なる意味でブッダを知ろうとするならば、不都合な事実からこそ目を背けてはならない。
 ここで重要なことは、現代を生きる我々が仏典を読むとき、「ブッダは瞬間移動することができた」と信じなければならない、ということではない。我々はすでに地球が丸いことを知っている。仏典を読み、地球は平らだと信じることが、現代人にとって仏教を学ぶことではない。
 ブッダは、歴史の先駆者であった。それまでのインドを否定し、新たな宇宙を打ち立てた先駆者であった。その先駆性があまりにも鮮烈であったため、ブッダが亡くなると、仏弟子たちはその記憶を「初期仏典」としてまとめ、仏教が生まれた。この先駆性そのものは、たとえ神話的装飾を帯びるものだとしても、歴史的文脈のなかに位置づけることが可能である。本書の目的は、このブッダという男の先駆性を解き明かすことにある。

関連書籍