ちくま文庫

見えない冠を戴く少女
野溝七生子『山梔』書評

「伝説の作家」野溝七生子(のみぞ・なおこ)の自伝的長篇『山梔』(くちなし)。長らく復刊が待たれていた本作について、山崎まどかさんにエッセイを書いていただきました。今なお読む者を惹きつける本作、そして主人公の阿字子(あじこ)の魅力はどんなものなのか。ぜひお読みいただければ幸いです(PR誌『ちくま』2024年1月号から転載)。

 「山梔」は少女の慟哭で出来ている。

 伝説の作家、野溝七生子の最初の小説で、自伝的な作品だ。彼女が東洋大学に在籍していた頃に福岡日日新聞の懸賞小説の応募作品として書かれ、名だたる審査員から「推奨」作品として選出された。1924年のことである。

 主人公の由布阿字子は明治の厳格な軍人の家に生まれた。書物が好きで、ギリシア神話に耽溺する変わり者の少女は、この家では異端の存在だ。彼女は父親から抑圧され、虐待を受ける。暴力の描写には息がつまる。少女を蹴り、胸を踏みつける軍人のブーツの拍車がこちらにも突き刺さってくる。

 異端の者、自分だけの世界を持つ者には独特の魅力がある。それが人を惹きつけ、恐れさせもする。憎悪も生まれる。女学校時代の阿字子も最初は生き生きとしているが、やがて同級生から疎まれるようになり、孤立していく。彼女はシスターフッドの輪の中には入れない。明治や大正時代の女学校はその外側にある家父長制の世界からの一時的な避難場所として描かれることが多いが、それ自体が小さな社会でもあり、社会には規範がある。阿字子は知らない内にルールを破ってしまう。家庭内で愛されない少女は、自分が女王として君臨できる内的宇宙を持っている。彼女が頭に戴くその透明な王冠が、うっかり可視化するのだ。目に見えない冠は見える冠よりもたちが悪い。具体的に奪うことも、分けてもらうこともできないからだ。

 阿字子の冠をはっきりと目にする者がいる。兄の輝衛の妻・京子だ。

 輝衛はかつて阿字子の数少ない理解者だった。それが父と同じく軍人になり、京子を娶(めと)ったことで変わってしまう。最初は家族からの強硬な反対にあった結婚だったが、世知に長けた京子はあっという間に形勢を逆転させる。家族に刃向かって、輝衛の結婚を応援していたはずの阿字子はこれでますます孤立するようになっていく。

 京子は賢く、美しく、この世界における弱者の戦い方を熟知している。奸計や陰口を駆使する。それは彼女にとって生き抜く術なのだ。だから戦わず、ただ頑固に自分でいようとする小姑の阿字子が気に食わない。彼女が存在するだけで自分が侮辱され、否定されているような気がする。家族の他の人間は、阿字子を侮っている。そう感じる京子の鋭敏さが、自分の策略であった結婚話を阿字子に反故にされた場面で伝わってくる。彼女の服装や髪型について責め立てる言葉に表れている。

 「その髪は一体、何という巻き方ですか。私は、都会で育ちましたけれど、まだあなたのような髪を見たことはありませんのよ」

 阿字子の頭上に輝くものを察知する京子。彼女の目に映るものの解像度がもっと高かったら、その冠が荊で出来ているのにも気がついたはずだ。阿字子のこめかみや頬を涙のように流れる血も見えたはずだ。読者には、きっとそこまで見える。見えて欲しい。孤高の魂の根底にある切なさと悲哀と、強靭さを感じて欲しい。阿字子の物語は読む人を慰撫してくれないし、胸のすくような英雄的な行動も、安易な逆転劇もない。でも彼女の嗚咽や叫びに共鳴することでしか癒されない、救われない何かを抱えている人は大勢いるはずだ。たとえそれが全ての人ではなくても。

 あらゆる道を閉ざされた阿字子が、急に駆け出していく場面が好きだ。トリュフォーの映画「大人は判ってくれない」(1959)のラストを思わせる。あの映画で不良少年の主人公は、海に向かって走っていた。そこは未知の領域で、この世界に居場所のない者にその外側を見せてくれる場所。ずっと現実の中で溺れ、救いを見出せなかった少女が深く、深く息をする。きっとそんな瞬間が訪れるという気配がする。その浄化のときが訪れるまでに、滂沱(ぼうだ)の涙があった。

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