ちくま新書

経済学の〝ものの見方〞を知っていますか
『高校生のための経済学入門[新版]』ためし読み

全体像を一気につかむ、経済学の最高の入門書として10万人以上の読者に愛読されてきた『高校生のための経済学入門』が完全リニューアル、[新版]となりました。時代、社会や経済情勢の変化をフォローしつつ、徹底的な分かりやすさはそのままに。本書の序章から、ためし読みとして一部記事を公開します。

大学入試はなぜやさしくなったのか

 読者の中には、大学入試を控えている高校生も少なくないと思います。驚くなかれ、この大学入試もまさしく経済学の分析対象となります。
 昔に比べると、大学に入学することはずいぶんやさしくなりました。日本の大学は偏差値によってランク付けされていますが、最近では受験すれば全員合格できてしまい、偏差値をつけようと思ってもつけられない大学が増えています。
 そこまで行かなくても、大学入試の状況は昔と比べて大きく変わってきました。一部の名門大学を別にすると、大学間の受験生の奪い合いは熾烈を極めており、受験科目の大幅削減のほか、「個性豊かな多様な学生を募集する」という名目で、実質的に学力をほとんどチェックしない入試形態も一般的になっています。附属校や指定校からの推薦入学で新入生の大半を確保する大学も増えており、大学入試そのものが一部の限られた高校生が経験するものになりつつあるのかもしれません。
 どうしてこんなことになったのでしょうか。大学に入学したいという受験生の人数と、大学が受け入れたいと考えている学生の人数との間で、バランスが完全に崩れてしまっているからです。それを理解するために、大学受験を大学の入学許可証が売買されている場と捉えてみましょう。大学は入学許可証の売り手(供給者)であり、受験生はその買い手(需要者)だとみなします。ただし、この入学許可証はお金では売買されません(裏口入学はないものとします)。受験生は、お金を大学に渡す代わりに、学力を示すことによって入学許可証を手に入れます。
 それでは、子どもの数が少なくなるという少子化が進み、受験生が少なくなればどうなるでしょうか。入学許可証に対する需要が全体として減るわけですから、それを供給している大学の立場が相対的に弱くなります。これまでなら入試の成績が80点以上の者にしか渡さなかった入学許可証を、60点以上の者にも渡すようにしないと大学は経営が成り立たなくなります。これは、入学許可証の「価格」が低下することを意味します。
 経済学は、品物の価格は需要と供給との大小関係で決まるとしばしば説明します(このしくみは、第1章で詳しく解説します)。需要が供給を上回れば、売り手の立場のほうが強くなるので、品物の価格は引き上げられます。逆に需要が供給を下回れば、買い手の立場が強くなって値下げが起こります。そして、このように価格が変化することによって需要と供給は調整され、結局両者は等しくなります。このようなメカニズムを市場メカニズムといいます。大学入試という高校生の皆さんにとって重要な人生の節目も、見方を変えれば市場メカニズムという極めて経済学的な状況として解釈することができるのです。

職を失った親御さんを救うのは誰か

 本章の最後に、深刻な例を挙げておきます。本書の読者の中には、不幸にも親御さんが勤め先でリストラされた友だちがいるかもしれません。あるいは、まさしく読者自身の親御さんが職を失ったというケースも皆無ではないでしょう。人件費の削減のために企業が最初に行うのは、パートタイム従業員の採用を中止し、新卒の採用を抑制することです。しかし、それでも間に合わなくなると、長い間会社に貢献してきた人たち、つまり、高校生くらいの子どもがいそうな40代半ばから50代にかけてのベテラン会社員が人件費削減の対象となります。日本企業の場合、年功序列的な賃金制度になっていることが多く、ベテラン会社員の給料は、パフォーマンスの割に高くなってしまう傾向にあるからです。
 どうして、親御さんは職を失ったのでしょうか。「会社の商品の売れ行きが落ちたからだ」というのがとりあえずの答えでしょう。そういう会社が増えているのであれば、世の中全体で売れ行きが落ちていることになります。これが、「景気が悪くなった」「デフレが深刻になっている」という状況です。所得が落ち込んだ家庭では、買い物を控えるはずです。買い物を控える家庭が増えると、商品の売れ行きはさらに落ち込みます。もうけが減った会社は賃金をさらに抑え、雇用の削減を一層進めるでしょう。こうなると悪循環です。景気はいつまでたっても上向きません。
 それではどうすればよいのでしょうか。世の中の人が買い物を増やせばよいのですが、親御さんがリストラされた家庭はもちろんのこと、そうでない家庭でも給料が伸び悩んで財布のヒモがきつくなっています。では「政府に何とかしてもらおう」というのが、1つの発想です。
 しかし、経済学は、その肝心のところで意見が分かれています。一方では、経済を安定的に維持するためには、市場メカニズムの働きにゆだねるのではなく、政府が経済政策をとることが必要だという考え方があります。「景気が悪ければ減税を行い、景気変動の影響を緩和するのが政府の仕事だ」というわけです。
 ところが、その一方で、「政府が減税を行っても、政府の借金である国債が増えれば、その返済のために増税が必要になる。将来世代に負担が先送りされることになるので、減税は望ましくない」という考え方もあります。「いやいや、そんなことを心配する必要はない。減税で景気が上向けば税収もしっかり増えるので、増税なんかいらなくなる。まず、減税だ」―と議論が尽きません。
 要するに経済政策の効果については肯定と否定の両論があるということでしょう。望ましい経済政策の在り方について、経済学の専門家の間でも議論が分かれているという状況は、一般の国民から見ると頼りない限りです。実際、テレビの経済番組に出てくる経済評論家やエコノミストと呼ばれる人たちの言うことを聞いていても、まったくバラバラです。いろいろな人がいろいろな政策提言をできるということも、経済学の魅力といえるのかもしれませんが。
 日本語の「経済」という言葉は、「経世済民」から来ています。これは、「世の中を治め、人々を苦しみから救う」という意味です。経済学は、政策と直結した学問なのです。経済学は、世の中を少しでもよくするにはどうすればよいか、人々が生活に困らないようにする方法はないか、という問題意識をつねに持っている学問です。しかし、「経済学=お金もうけのための学問」といった誤解がある以上、経済学はどのような考え方をするのか、そしてそこからどのような政策提言が導かれるのか、という点はやはりきちんと説明しておく必要があると思います。

ミクロ経済学とマクロ経済学

 ここまで読めば何となく理解していただけたと思うのですが、経済学は高校生の皆さんにとってもけっして縁遠い学問ではありません。私たちが毎日、経済生活を送っていることを考えれば、それは当然のことと言えるでしょう。高校の「政治・経済」で十分に教わらなくても、私たちは日常生活の中で経済のメカニズムを非体系的であるにせよきちんと学んでいるのです。たとえ高校生の今は理解していなくても、社会に出たら嫌でも覚えさせられます。
 経済学の基本的な考え方を、高校生の人たちに知ってもらうこと、これが本書の狙いです。大学で最初に学ぶ経済学は、消費者や企業の行動、市場メカニズムの動きを説明するミクロ経済学という分野と、経済全体の動きを把握し、政府の経済政策のあり方を議論するマクロ経済学に分けられます。本書もその分類に従い、第1章から第3章の前半までをミクロ経済学の説明に、第3章の後半から第6章までをマクロ経済学の説明に割り当てています。最後の第7章では、外国との経済取引に目を向けてみました。
 いずれにせよ、筆者は理論的に厳密な話をしていくつもりはありません。読者の皆さんがすでに直感的に理解している経済学の考え方を少しばかり体系立てたり、経済学のロジックが必ずしも1つの答えを導き出さないことを示したり……。経済学が私たちにとって身近な存在であると同時に、なかなか面白い〝ものの見方〞をする学問であるということを説明していくつもりです。

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