本書のタイトルを『「ココロ」の経済学』としました。経済心理学でもなく、行動経済学でもなく、『「ココロ」の経済学』としたのは、既存の枠に囚われず、私なりのアプローチで、「ココロ」と「経済学」という相容れない2つの要素を統一感をもって、語り通したいという決意の表れです。
そうした決意の背景には、大学を巡る環境の変化があります。最近、高校生や予備校生、経済学部以外の大学新入生にも、経済学の魅力を分かりやすく伝えなければならない場面が増えてきたからです。もちろん、私はやり甲斐を持って、若者に経済学の魅力を伝える機会を楽しんでいます。文系・理系を問わず、「ココロ」と「経済学」の奇妙な組み合わせについて語ると、目を輝かして聞き入ってくれるという嬉しい体験を重ねてきました。本書には、そうした経験値も盛り込まれています。
2009年に上梓した『行動経済学』(中公新書)は、行動経済学研究年、渾身の力を込めて、京都大学経済学部の講義録を一冊にまとめました。読書のプロフェッショナルからは、巷に行動経済学本が溢れる中、「遅れて来た正当派」(小飼弾『新書がベスト』ベスト新書)という評価も頂戴しましたが、どちらかと言えば、数式もあったりして、新書としては、中身の濃過ぎた本だったかもしれません。
本書では、肩の力を抜いて、平易な言葉で、しかし、中身のレベルは落とさず、通常の行動経済学よりも広めのテーマを扱うことにしました。例えば、行動経済学の啓蒙書では、人間の行動の合理的ではない部分(限定合理性)が強調され、人間の面白い行動のエピソード集になっていることが多いのですが、本書では、経済学の起源から、必ずしも合理的とは言えない人間の感情的な側面が重視されてきたことを明らかにします。
また、一見、非合理的に見える人間の行動も、時間の不可逆性、真の不確実性が支配していた古代においては、進化論的に見て、種や個体の生存に有利な戦略であった可能性を指摘しました。人間の限定合理性には、生理学的な裏付けがあるのです。
本書は、全7章から構成されています。第1章では、「経済学の中のココロ」と題して、合理的なホモエコノミカス(経済人)を批判しながら、経済学の中に「ココロ」を取り戻す運動を説明します。第2章では、「躍る行動経済学」と題して、行動経済学の立役者であるサイモンやカーネマンの学問内容を説き明かします。第3章では、「モラルサイエンスの系譜」と題して、スコットランド啓蒙主義から、ケンブリッジのモラルサイエンスまで、行動経済学の歴史的起源を探ります。第4章では、「利他性の経済学」と題して、人間の見せかけの利他性と真の利他性を区別して論じます。
続けて、第5章では、「不確実性と想定外の経済学」と題して、確率的に扱えない不確実性と想定外の出来事を経済学的に掘り起こします。第6章では、「進化と神経の経済学」と題して、人間の限定合理性を進化心理学的立場から解き明かすと共に、その生理学的基礎を裏付けます。第7章では、「行動変容とナッジの経済学」と題して、分かっていても変われない人間の心のクセに注目し、より良い行動変容のための工夫(ナッジ)を論じます。読者の皆さまの興味ある章から、読み始めて頂ければ結構です。
今、経済学は戦国時代に入っています。ともすれば、形式的で無味乾燥になりがちだった経済学が、目の前の現実に答えられる生き生きとした学問になっています。私の先生である伊東光晴京都大学名誉教授から、新書というものは、平易に見えても、研究者としての先端の苦悩が伝わるものでなければならないと教えられて育ちました。本書の最後では、行動経済学に、近年の私の研究テーマでもある実験経済学やビッグデータ経済学を加えて、エビデンスを重視する21世紀の経済学の三本柱と名付けました。そうした経済学の新しい息吹の一端も、読者の皆さまが、本書から感じとって頂ければ、著者として幸いです。