PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

赤く染まるブルーカラー
トランプ後のアメリカ音楽・2

PR誌「ちくま」3月号より大和田俊之さんのエッセイを掲載します

 一月二十日、ドナルド・トランプの第四十五代アメリカ合衆国大統領就任式が行われた。だが事前にメディアを賑わせたのは、就任式そのものよりもその前日に予定されていた祝賀コンサートの出演者――というよりも、出演辞退者――であった。
 最終的にカントリー・ミュージック界からトビー・キースとリー・グリーンウッド、ロックバンドの3ドアーズ・ダウン、それにYouTubeで人気に火がついたピアノ・ガイズやDJラヴィドラムズがパフォーマンスを披露したが、オバマ、あるいはブッシュ大統領就任時の出演者に比べても華やかさに欠けたといわざるを得ないだろう。エルトン・ジョン、セリーヌ・ディオン、ガース・ブルックス、それにビーチ・ボーイズなどが出演を固辞したといわれている。
 なかでも興味深かったのが、ブルース・スプリングスティーンのカバーバンド、B・ストリート・バンドの動向である。実は、このバンドが政治がらみのニュースで取り上げられるのは初めてではない。スプリングスティーンの熱狂的なファンとして知られる共和党員クリス・クリスティーが二〇一〇年にニュージャージー州知事に就任した際、祝賀セレモニーに出演したのが彼らだったのだ。もちろん、クリスティーは本人の出席を熱望していたわけだが、民主党支持を公言するスプリングスティーンが共和党候補の式典に出るはずもなく、クリスティーは当日、泣く泣くカバーバンドの演奏をバックに「明日なき暴走」を熱唱したと伝えられている。
 トランプの大統領就任記念コンサートにB・ストリート・バンドが出演すると報道されたとき、多くの人がクリスティーのこのエピソード――いうまでもなく、彼は共和党候補として今回の予備選に出馬して敗れている――を思い出したに違いない。ところが、コンサートも差し迫った一月十六日、B・ストリート・バンドは突然出演のキャンセルを発表したのだ。その理由について、バンドは「ブルースとE・ストリート・バンドへの敬意と感謝にもとづいた決断である」との声明をリリースした。
 一国の大統領の就任記念パーティーにカバーバンドが出演するかどうかが問題になるのも滑稽な話だが(選挙戦でたびたび「フェイク」という言葉を用いたトランプにふさわしい、ともいえるが)、共和党主催の式典にB・ストリート・バンドの名前が繰り返し取りざたされるのは、やはりなんらかの文脈があると考えるべきだろう。
 つまり、こういうことだ。ブルース・スプリングスティーン本人は一貫して民主党を支持してきたにもかかわらず、そのファンのマジョリティーはいつしか共和党支持者になっていたのではないだろうか。
 ニュージャージー州の典型的なブルーカラーの家庭で育ったスプリングスティーンの知る民主党は労働者の党であり、ユニオン(労働組合)の党である。だがアメリカの左翼運動の中心が労働運動から人種やジェンダーをめぐるアイデンティティ・ポリティクスへと移行するにつれて、置き去りにされた労働者が「赤く」染まっていく――それは哲学者リチャード・ローティが一九九八年に著書で予言した事態であり、マイケル・ムーアが七月の時点で正確に予測したことでもある。
 B・ストリート・バンドというブルース・スプリングスティーンのカバーバンドの存在こそが、ここ数十年のアメリカのリベラルの変化を象徴しているのである。

 

PR誌「ちくま」3月号