ちくま文庫

僕にブコウスキーは口説けない
チャールズ・ブコウスキー『ブコウスキーの酔いどれ紀行』解説

 大好評『パルプ』に続くちくま文庫第2弾は、伝説的カルト作家の笑えて切ないヨーロッパ旅行記!『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』『バガボンド』等、数々のヒット作を手掛けた編集者・佐渡島庸平さんは実は学生時代からブコウスキーの大ファン。ブコウスキーへの熱くて切ない想いを、編集者の視点から書いていただきました。ぜひ、ご一読ください。

 編集者をしていると「作家と付き合うのって、大変じゃないですか?」とよく質問される。多くの人は作家が気難しいと思っている。そう、それは間違いではない。ブコウスキーの作品を一ページ読めば、この人と一緒に生活するのはかなり大変だと全員が賛同してくれると思う。
 作家は自分の欲望に忠実に振る舞うから、確かに一般的な人と比べると、常識的ではない反応をする。しかし、編集者からすると、作家はとても付き合いやすい。なぜなら、どう付き合えばいいのか、作品の中で告白してくれているからだ。自分はどんな人間で、どんな風に扱われるのが好きなのかを具体例をだして説明してくれている。もしも僕がブコウスキーと会うとしたら、飛行機のチケットとか、電車の乗り降りとかは、全部、事前に徹底的に手伝う。編集者は作家と会う前には、作品を読み込んでいるから、会った時に何を話せばいいのか、イメージができている。予行練習を十分してから会うことができるから、会話を弾ませられる。
 逆に一般人は、反応は一般的かもしれないのだけど、心の中ではどう思っているかがわからない。その人の考え方を知るヒントがないから、会話の糸口を見つけるのが難しい。作家だと延々と会話が尽きることなく話すことができるけど、パーティーとかで名刺交換をした後、何を話せばいいのかわからなくて、気まずい時間を過ごすなんてことはよくある。僕は今、コルクという会社を経営しているのだけれども、作家のモチベーションがあがるテーマを見つけることは簡単にできるのに、社員のモチベーションをあげることはなかなかできない。
 学生時代に僕は、ブコウスキーにはまってかなり読んでいた。『パルプ』はブコウスキーの最高傑作だと思うし、『死をポケットに入れて』は宝物のような文章だと感じて、一時期なぜかずっと鞄の中に入れて、気が向いたらパラパラ繰り返し読んでいた。『くそったれ!少年時代』も大好きだったし、この『ブコウスキーの酔いどれ紀行』ももちろん読んでいた。
 僕は頭の中では色々考えるほうだけど、現実での行動は穏当なほうだと自分では思っている。だから、ブコウスキーを読みながら、こんな風に破天荒に振る舞える大人になりたいと、半ば諦めながら、あこがれていた。フランスのテレビ局の撮影で酔っ払って悪態をつき、途中で帰って、しかもそのおかげで本も売れるなんて、僕には絶対に真似できないし、あまり真似をしたくもないのだけど、なぜかあこがれてしまう。
 今回、ブコウスキーの作品を十五年ぶりに読み返すにあたって、昔のあこがれが、僕の幼さゆえで、今読むとそこまで好きになれないのではないかと、ちょっと心配しながら読み始めた。そして、編集者として十五年を過ごしたのだから、もしもブコウスキーがまだ生きているとして、自分だったらどう口説くのかを想定しながら読むことにした。
 ブコウスキーへのあこがれが一時的なものだなんてことは全くなかった。読み始めて、すぐに昔と同じようにブコウスキーに魅了された。ブコウスキーの話には、ストーリーなんてほとんどない。作中ではアルコールをめぐる問題以外、事件なんてほとんど起きない。人と飲んで、人との約束を破って……を繰り返しているだけ。なのに、彼の文章は人生について雄弁に語っている。ありきたりな、どこにでもある文章のようでありながら、どこにもない文章だ。ブコウスキーは、言葉を誰よりも正確に使う。その圧倒的に正確に伝えられた文章からは、生きることの悲哀、やりきれない気持ち、同時に深い愛情が伝わってくる。並々ならぬ精神力でもって、誠実に自分と向き合った人であることが文章から伝わってくる。

みんなが感心したりすることにわたしはまったく感心できず、ひとり取り残されてしまったりするのだ。例を挙げていってみると、次のようなことが含まれる。社交ダンス、ジェット・コースターに乗ること、動物園に行くこと、ピクニック、映画、プラネタリウム、テレビを見ること、野球、葬儀への参列、結婚式、パーティ、バスケット・ボール、自動車競走、ポエトリー・リーディング、美術館、政治集会、デモ、抗議運動、子供たちの遊び、大人の遊び……。(中略)ほとんどどんなことにも興味を引かれない人間が、どうしてものを書くことができるのか? どっこい、わたしは書いている。わたしは取り残されたものについて書いて書いて書きまくっている。通りをうろつく野良犬、亭主を殺す人妻、ハンバーガーに食らいつく時に強姦者が考えたり感じたりしていること、工場での日々、貧乏人や手足を切断された者、発狂した者がひしめく部屋や路上での生活、そういったたわごと。(七九頁)

 僕はこの文章に激しく共感する。幸運なことに僕は編集者として何作かヒット作に関わらせてもらったけれども、どの作品も、今世間で関心が持たれている多くの作品への違和感が出発点だった。「編集者として、何にでも興味を持たなくてはいけない」と考えた時期もあったけど、今は、ブコウスキーと同じように、自分のこだわりに誠実に向き合うことが、作品作りになるのだと無理な努力をやめてしまった。
そして、読みながら、ただただブコウスキーの魅力にやられた。

それからわたしは立ち上がって、母親と娘の写真を撮った。その次に母親が立ち上がり、娘と年を取った男友だちとの写真を撮った。みんな写真を撮るのが好きだ。わたしも嫌いというわけではなかった。写真は死に至る過程を捉えて、その瞬間を焼きつけているだけのようにわたしには思えた。確かにそれはおかしなことには違いなかった。(二六頁)

 こんな文章を書く作家に向かって何かいうことがあるだろうか? 十五年ぶりに読んで、ブコウスキーにがっかりすることはなかったが、自分が十五年前と同じ、ただブコウスキーにあこがれる文学青年でしかないことに少しがっかりした。遠くまで来たものだと思っていたけれども、まだ大して遠くまで来れてない。
 ブコウスキーに作品を書いてもらうために口説くのではなく、ただただ一緒に飲んでみたかった。一緒に酒を飲む、無為な時間が恐ろしく幸せな時間になりそうだ。でも、もうその機会は永遠にやってこない。
 代わりに、ブコウスキーが飲むみたいに、ワインを勢いよく飲んで、ベロンベロンになりながらブコウスキーについて語り合いたい。でも、そのようなことをできる人生の仲間を、僕は誰一人として今のところ、思い浮かべることができないのだ。

(さどしま・ようへい 編集者/コルク代表 @sadycork)

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