現実に起きた大きな出来事を題材にした小説を読む時、正直、書き手が当事者だとすればどの風景も心情も説得力があるように思え、第三者だとすれば「この部分は取材したのかそれとも空想か」などと邪推してしまう。が、そんな先入観を持って開きながらも、そんなことはどうでもよくなるくらい引き込まれる作品もある。志賀泉の『無情の神が舞い降りる』がそうだ。
著者は一九六〇年生まれ。二〇〇四年に『指の音楽』で第二十回太宰治賞を受賞、二〇〇七年に沖縄を舞台にした青春小説『TSUNAMI』を発表。久々に上梓した本作には表題作と「私のいない椅子」が収録されている。どちらも東日本大震災に材を取っており、著者が福島県南相馬市出身だと知れば、読者は当然、これは当事者が書いた震災小説だと理解するだろう。
表題作は〈爆発した原発から二十キロ圏内にあるという理由で避難地区に指定された〉町にとどまった四十過ぎの男、吉田陽平の話だ。近隣の人々はみな町から避難したが、Uターンして寝たきりの母親を世話してきた彼は母と実家にとどまり、散歩に出かけては、余震のたびに壊れていく町を眺めて過ごしている。そして小学校の同級生が住んでいた医院の裏庭で見つけた痩せたラブラドール・レトリバー、ペットレスキューの女性との出会いが、彼の日常と心情に変化を与えていく。
吉田が眺める町の描写に胸がつまる。特に震災後はじめて訪れ目にする、干拓地の田んぼだった場所の〈暗灰色の泥水の、途方もない広がり〉には言葉を失う。彼がそれまで海岸に近づかなかった理由である〈遺体捜索の邪魔をしたくなかった。いや、それよりも、俺自身が遺体を発見してしまうのではと恐れていたのだ〉という本音に見え隠れする後ろめたさは、ただでさえ疲弊した心にさらに負担をかけていただろうとも思う。生まれ育った町、寝たきりの母親がいるから町を離れない彼に、故郷愛や家族愛を感じたくもなるが、しかし、やがて明らかになるのは幼い頃にこの町で経験した辛い事件と、その際の母親の対応が、長年の呪縛となっているという事実だ。彼にとってこの町は、自分の成長の思い出が詰まった温かい故郷というだけでなく、後悔と懺悔を感じさせずにはいられない不穏な土地でもあるのだ。そこには故郷を喪失しかけている同情すべき被災者がいるのではなく、被災者である側面も含めつつ、四十数年間の人生を背負い、自分の過去と向き合う“個人”がいる。その個人の複雑な感情が、素直にこちらの心に響いてくる。
吉田にも原発事故に怒った時期があったようだ。しかし今、彼の心に他者に向けての怒りはない。それはもう一篇の「私のいない椅子」でも感じられることだ。こちらは震災後、両親と離れ内陸に避難した女子高校生の伊藤カナが、生徒たちで震災にまつわる映画を作るという企画に誘われる。が、サポート役の青年の意向なのか、映画の内容は次第に変更されていく。やがてカナは書き直された台詞に愕然とする。「原発は悪魔の工場」「原発を動かしてきた人はみんな犯罪者」……これらの台詞について彼女は言う。「私は、こんなふうに考えたことは一度もないから」。彼女だって原発事故さえなければ、という思いはある。でも、〈あからさまに誰かを攻撃してうさ晴らしをするような真似はしたくない〉〈正義のためなら誰かを傷つけていいというなら、そんな正義は私はいらない〉。
過酷な境遇に身を置く人たちが、何かに向けて激しい感情を抱いているというストーリーは分かりやすい。そうではなく、その後も続く日常の中で、個々の人生背景の中で、ささやかに心が揺れているというのがリアルなんだと、この二篇は静かに訴えかけてくる。これは吉田陽平という男と、伊藤カナという少女の個人の物語だ。その震災後の心情を生々しく掬い取りつつ、彼らを"被災者代表〟のように描くのではなく、替えの利かない個の生身の人間として作品の中に存在させていることが、非常に尊く、愛おしく思える。そこから、この震災で傷ついただろうたくさんの人たちの、個々の存在が感じられるのだから。
PR誌『ちくま』3月号より、瀧井朝世さんによる志賀泉『無情の神が舞い降りる』の書評を転載します。