『はじめての哲学的思考』番外編

第1回 いまを、どう生きる?
苫野一徳の哲学的人生相談

 哲学の言葉は、ワクチン注射のようなもの。
 時折、そんなことを思います。
 何か気の利いた、まるで弾丸のように体を貫く言葉ではなくて、知らない間にじわりじわりと体中に広がっていく、そんな言葉であるような気がします。
「哲学的人生相談」なんて、そんなおこがましいこと、僕のガラではないんですけど、以下ではそんなワクチンのような言葉を紡げたらいいなと思います。
 即効性があるわけでは必ずしもないかもしれません。
 でも長い目で見たら、きっと確実に免疫力が上がっている、そんな人生相談になっていればと思います。
 第1回目の今回は、4つのご相談にお答えします。

1.僕は一体何のために、いま生きているのでしょうか!? @まさき
  私達はどうせ死ぬのになぜ生きるのでしょうか。 @みるく青汁

 ずばり、19世紀ドイツの哲学者ニーチェがこんなことを(ちょっとエラそうに)言っています。

 生きる意味に、出来合いの正しい答えなんてない。自分で作り出せ!

 と。

 生きる意味は、山の彼方の空遠くにも、幸せの青い鳥のように家の中にも、どこかに “あらかじめ”転がっているものではありません。
 ニーチェは言います。生きる意味がどこかにあるはずだと思うから、それが見つからないことに苦しむのだ。そんな出来合いの答えを見つけようとするのではなくて、日々を丁寧に生きながら、この日常の中から生きる意味を自分自身で作り出せ! と。
 と言っても、じゃあそれはどうすれば作り出せるのか、また新たなギモンが浮かんできますよね?
 いきなり宣伝モードで恐縮ですが、このギモンへの答えは『はじめての哲学的思考』に書きました(笑)。ぜひ、お読みいただければ嬉しいです(「キッチン掃除メソッド」とか「価値観・感受性の交換対話」とか、きっとすぐに試していただけるアイデアに出会えると思います)。

2.いろんな人と仲良くなって、いろんなことをしたいのですが、時間が足りません。仲良くなるには時間がかかるのに、それを上回る速度で、人生が移ろってゆくような、そんな感じがしてしまいます。 @じゃぶとん

「時間」と聞くと、哲学者であれば真っ先に思い浮かぶのがハイデガーの『存在と時間』です。20世紀最大の哲学者と言われる人ですが、ナチスに加担したり、近年はその反ユダヤ主義がますます明らかにされたりして、何かと“問題”の人でもあります。

 第一次世界大戦後、ヨーロッパの知的な若者たちがこぞって読んだ『存在と時間』の中で、ハイデガーはこんなことを言っています。
 あるべき(ありたい)自分の姿をしっかり思い浮かべて、それへの覚悟をもって時間を生きよ、と。もっと言うと、やがては「死」が待っているのだということをしっかり思い定めて、1日1日を覚悟して生きよ、と。

 まあそこまで深刻に考える必要はないかとは思いますが、もしじゃぶとんさんが、ただ「人生が移ろう」のをよしとされないのなら、耳を傾けてみてもいい言葉かもしれません。
 自分はどんな人生を生きたいのか。そのために、どんな人と会って仲良くなりたいのか、そしてどんな人となら、わざわざ仲良くならなくても構わないのか……。
 特にこの慌ただしい現代社会では、そんなことを時折振り返ってみることが必要かもしれません。

 とは言うものの、個人的には、できることなら、時間がありあまって仕方ない、と言えるような生活をしたいものだと思います。
 人生を豊かにしてくれる出会いや楽しみは、実は余裕のあるところにこそ、思いがけず訪れるものですから。

 

3.どこからが整形になるのですか。整形に関して周りの目が気になります。矯正は許してるけど、切開するとアウトとする人がいるように感じます。 @本好き

『はじめての哲学的思考』では、「問い方のマジック」にひっかからない、という哲学的思考の初歩の初歩をお伝えしました。
 人は、「あちらとこちら、どちらが正しいか?」と問われると、思わず、「どちらかが正しいんじゃないか?」と思ってしまう傾向があるのです。
 でも、これは文字通り「マジック」です。この世に、あちらとこちら、どちらかが絶対に正しいなんてことはまずありません。意味や価値については特にそうです。
 今回のご質問は、ある意味では「問い方のマジック」に近いものかもしれません。

「切開はアウトな整形か、否か?」

 これにも、絶対に正しい答えはありません。人それぞれ、何をもって整形とするかにはズレがあるからです。
 だから重要なのは、建設的な「答え」が見つかるように、「問いの立て方」そのものを変えてしまうことです。
 たとえば、次のような問い。

「どうすれば(どう考えれば)、豊かな整形ライフを送れるんだろう?」

 おそらくこの問いの方が、本好きさんの関心にフィットするんじゃないでしょうか? そしてこの問いになら、きっとよりよい答えが見つかるはずです。

 個人的には、整形は全然ありだと思います。それでコンプレックスが解消されて人生が豊かになるなら、誰を傷つけるわけでもなし(親も、子どもの幸せを思えば別に傷つくことなんてないでしょう)、何の問題もないと思います。
 彼氏や彼女に整形がバレて、別れることになったとしても、だから何だと言うのでしょう。それはそもそも価値観が合わなかっただけの話です。整形前と整形後の人生を天秤にかけて、後者の方がよっぽどいい人生だと思えるような生き方をすればいいのです。

『ツァラトゥストラ』という本の中で、ニーチェは次のようなことを言っています。
「もっと自分が美形だったら……あの時もしああしていれば……」
 そんな「タラレバ」ばっかり言ってる人生なんて、クソつまらない!
 むしろ、運命に向かって、「これこそ自分が選び取ったものなのだ!」と言ってやれ。そんな人生を作っていけ!と。
 切開はアウトかどうかとか、整形はアウトかどうかとか思い悩むより、「これこそ自分が選び取った豊かな人生なんだ!」と言えるような整形ライフを楽しもう。
 ニーチェならきっと、そう言うんじゃないかと思います。

 

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