ちくま新書

このまま普通に働いていて大丈夫ですか?

元アスリートの為末大さんと人材開発を研究する中原淳さんによる異色の対談『仕事人生のリセットボタン』 働くことに悩めるあなたへ向けたヒントが詰まっています。「はじめに」をこちらからご覧になれます。

 嗚呼、このままで本当にいいのだろうか。
 もしも、自分の仕事人生にも「リセットボタン」があったとしたら。
 昔懐かしのゲーム機にあったような「リセットボタン」を今押せたとしたら、どんなにいいだろうに。

 本書『仕事人生のリセットボタン――転機のレッスン』は、今を懸命に生きる三〇代以上のビジネスパーソンが、長期化する自らの仕事人生をいきいきと過ごすために役立てることのできるヒントが書かれている本です。転機につながるような人生の出来事をとらえ、いかに、自らを「リセット」するのか。本書では、仕事人生のリセットボタンに関する機徴が書かれています。
 現在、かぞえで四二歳になる著者のひとりである、私中原も、まさにその真っ只中でモヤモヤする人間のひとりです。私は人事、とりわけ人材開発を専門とする研究者で、「働くビジネスパーソンの成長」を研究している人間です。
 本書は、その私がナヴィゲーターとなって、一流のアスリートである為末大さんと、ともに語らい、執筆されました。一流のスポーツ選手と研究者のとりあわせ。読者の方々の中には異色の組みあわせに面喰らっている方もいらっしゃるかもしれません。ここでは、そのいきさつと理由について書いてみたいと思います。

 今、私たちは、有史以来、誰も経験したことがない「未曾有の時代」を生きています。
 それは「健康寿命の延び」と「年金などの社会保障の頼りなさ」の二つが重なるところに広がる「光景」です。要するに、私たちは、生涯年齢や健康寿命が延びているのにもかかわらず、あまり頼りにならない社会保障のもとで、なるべく長いあいだ仕事と向きあい、働きながら生きていかなければならない――そういう時代のいちシーン(光景)を生きているのです。
 ひと昔だったら、定年は「五五歳」でした。それが「六〇歳」になり、いまやあれよあれよ、という間に「六五歳」。あげくの果てには高齢者の定義を「七五歳以上」に変えようという談話も出てきているくらいです。このままいけば定年は七五歳になり、はたまた、なし崩し的に「定年レス(定年がない)」になることを、うすうす感じていらっしゃる方も、少なくないのではないでしょうか。
「定年レス」というのは多少口がすべったかもしれません。しかし、確実に言えることは、前時代と比較して、私たちには「長期化した仕事人生」を生きていく知恵とスキルが、必要であるということです。このことだけは、おそらく間違いありません。
 「長期化していく仕事人生」にはもうひとつの困難が重なります。
 もうひとつの困難とは私たちのつとめる多くの会社・組織が、私たちの仕事人生を右肩上がりで確保していくことはできない、という事実です。我が国では、一部の大企業において、年功序列賃金、終身雇用という雇用慣行が長く続いてきましたが、これとて、いまや「陰り」が見えてきています。
 企業の競争環境は日に日に激化する一方、国内需要は伸び悩み、企業は活路をもとめて海外や新規市場を開拓しようとしています。
 企業は、若手の早期抜擢、経営陣の入れ替えなどを行いながら、その活性度を高めて生き残りをかけようとしています。組織には「役職定年制度」や「再雇用制度」が導入され、五〇歳以上のビジネスパーソンに「受難」の時代が訪れようとしています。
 考えてみれば、日本は、これまで非常に特異な雇用慣行を維持していました。年功序列に終身雇用。これらの制度を通して、私たちの組織は、「従業員の仕事人生を右肩上がりで確保」してくれていたのです。
 グローバルにみれば、これは非常に希有なことです。欧米の組織では、「組織が生涯の仕事人生を丸抱えする」という考え方は皆無ですし、一般には、同職種同ポジションであるならば、四〇歳以上で右肩上がりで賃金があがることはありません。対して日本においては特異に「右肩上がりの仕事人生」が保証されていました。
 しかし、日本の市場と人口が右肩上がりで伸びていた時代は、もう終わりました。市場がグローバル化する中、日本企業も、重い腰をあげ、自らの人材マネジメントシステムをグローバルスタンダードに設定しはじめています。かくして、「従業員の仕事人生を右肩上がりで保証すること」の限界が訪れました。
 もちろん多くの企業では、手をこまねいているわけではありません。制度の存在を通知したり、今後のキャリアや給与の見通しを四〇代から少しずつ本人に自覚して貰えるようにしています。

 しかし、四〇代は「働き盛り」の時代。いくら、会社や組織が、そのような通知をしようとも、「自分には関係のないもの」とか「自分には訪れることはないもの」と考え、放置しておく人が多いものです。
 近い将来私たちの「戸惑い」は、ここに生まれます。
 私たちの多くは、ある日、突然、「右肩上がりのエスカレータの先」に視界不良な世界がひらけていることを知り、茫然自失とするのです。

イラスト=camiyama emi

 ひと昔前まで、我が国の組織は、私たちの仕事人生を「丸抱え」してくれる時代がありました。専門用語的には、組織における仕事人生と個人のキャリアがぴったり一致するので「組織キャリア(organizational career)の時代」とも呼ばれています。
 
 私たちは「右肩上がりの単線エスカレータに乗って組織キャリアを全うできる時代」に生きているのではない。むしろ「右肩上がりの単線エスカレータ」は多くの人々にとって存在してはいない。
 途中で「踊り場」があったり、「方向転換」があったり、私たちは「立体的に交差するエスカレータ」にのって、日々、自分の仕事人生をどのように構築していくべきかを考えていかなければならないのです。こうした仕事人生のことを専門用語では「バウンダリーレスキャリア(境界のないキャリア)」とか「プロティアンキャリア(変幻自在のキャリア)」といったりします。
 むろん、人々の中には、このことによって生まれた自由に心躍らせる方も少なくありません。これまで、組織キャリアの時代には、ひとつの企業に就職することは、一生、その企業に奉職することを意味しました。入社することは「家族になること」のようなものであり、いったん「メンバーシップ」を獲得した組織に、ひとは縛られて生きていました。
  しかし、もはや、そうしたがんじがらめの関係は、企業と個人にはありません。むしろ、組織と個人の関係は「仮初めの契約」のようになっています。組織と個人が自由に生きられる今、長い仕事人生を、いかにして生きようかと心躍らせているひともいます。いずれにしても、「右肩上がりの単線エスカレータ」は次第にその存在があやしくなっています。途中で「踊り場」があったり、「方向転換」があったり、私たちは「立体的に交差するエスカレータ」にのって、仕事人生を全うしなくてはなりません。
  その際に、重要になるのが、本書のタイトルにもある「リセットボタン」です。
「リセットボタン」と聞いて懐かしさを感じる方は、おそらく、今三〇代から四〇代以上の方々でしょう。かつて、いっせいを風靡したファミリーコンピュータ(任天堂)の筐体に、それは付属していました。
 リセットボタンは、ゲームを本当にやめてしまうために存在しているのではありません。それなら「電源スイッチ」を切ることで可能になります。リセットボタンは、ゲームを「RE-SET(再びはじめなおす)」するためのボタンです。いわば、ゲームを「仕事人生」にたとえるのならば、その途上において、「再びはじめなおすこと」を可能にするのが、本書でいうところの「リセットボタン」の含意です。
リセットボタンとは「現在の会社を辞めること」とイコールではありません。それは「現在の会社で働くことの意味や意義をいったん立ち止まって考え直すこと」です。リセットボタンは、必ずしもネガティブな思いを個人にもたらすためのものでもありません。それは「将来の可能性」を感じることでもあります。
 私たちは「立体的に交差するエスカレータ」のなかで、時に、踊り場にでて休み、時に方向転換して生きることが求められています。その際には、仕事人生というゲームをいっ
たん「リセット」することになるのです。自分の来し方をいったん振り返り、今を見つめ、将来を構想する。
 長期化する仕事人生の時代には、「リセットボタン」とうまくつきあい、踊り場で休み、よき方向に転換していくことが求められるようになります。

 あなたは、よいタイミングで「リセットボタン」を押せそうですか?
 本書を傍らに、そのタイミングを考える「贅沢な時間」を持ってみませんか?
 さて、ここまでお読みいただいた読者の方々には、そろそろ次の問いがわいてきていると思うのです。それは、具体的に、いつ、どのようにして私たちは「リセットボタン」を押すのか、ということです。むやみやたらにリセットボタンを押すわけにはいかない。しっかりと自分に向きあい、そのタイミングを見極めなくてはなりません。
 本書ではこのようなニーズをお持ちのみなさんに「リセットボタンの極上の事例」をご提供いたします。ビジネスマンが興味を持つことができ、かつ、人生のリセットボタンと向きあわざるを得なかった人の語りから、私たちは多くを学べるのではないでしょうか。 本書では、このような背景のもと、ひとつの仮説をたてました。
 それは、「これからのビジネスパーソンは、アスリートのキャリアに学ぶところが多いのではないだろうか?」 ということです。
 すなわち、アスリートの競技人生、そして競技人生の終焉後の生き方を学び、ビジネスパーソンとしての仕事人生を「完走」できる方法を学ぼう、ということです。本書のすべては、この仮説に基づいています。
 アスリートは、その「競技人生」には限りがあり、「競技人生」と「ポスト競技人生」という二つの人生を抱えざるをえない職種です。一般には現役を退いたあとには、コーチになったり、コメンテーターになったり、スポーツクラブにつとめたり、一般の会社の営業担当になったりすることが多いようです。
 アスリートは、アスリートという職種を選んだ瞬間に、いつの日か、自分自身で「リセットボタン」を押さざるをえないことを宿命づけられています。そして、これには、うまくリセットボタンを押せる人と、そうでない人がいます。
 リセットボタンを押すことに逡巡したり、タイミングを逸したり、押さなくてもよいときに押してしまったり、ボタンを押し間違えてしまったりするのです。
 かつてのビジネスパーソンは、「右肩上がりの単線エスカレータ」にのり込んでしまえば、あとは、会社がステップを前に進めてくれ、あまり、それ以上の作業を求められることがありませんでした。しかし、今、私たちがのっているエスカレータは、どうやら「右肩上がり」でないばかりか、その先に何が待ち受けているのか、視界不良のエスカレータです。そのような仕事人生においては、アスリート同様「リセットボタンを押すこと」とつきあっていくことが求められます。
 かくして、本書を通底するモチーフが浮かび上がりました。
 本書は、ビジネスパーソンが、自らの仕事人生を振り返り、そして、リセットボタンとうまくつきあうためのヒントを論じます。そのために、これまで「リセットボタン」とつきあってきたアスリートの人生に学ぼうと思うのです。

 考えてみれば、これまでアスリートやスポーツの領域は、主に「監督論」などが、ときおりビジネスパーソンが参考にすべき「理想のリーダーシップ論」として消費されてきました。サッカーのオシム監督、野球の星野監督などは、その代表格でしょう。 反面、キャリア論の観点は、監督論やリーダーシップ論ほどには、注目が集まっているわけではありません。ここに本書のオリジナリティがあります。本書は、アスリートの仕事人生やキャリアの転換を参考にしながら、ビジネスパーソンが自分の仕事人生を考えるために書かれています。

 ここまでご納得いただけたとしたら、次に読者のみなさまの脳裏には、次の問いが浮か
んでいるはずです。
  どのようなアスリートの人生を私たちは参考にすればよいのか、という問いです。誰の事例でもいいというわけではない。むしろ、リセットボタンに悩み、そして前を向きながら、常に自らをつくりあげてきた「リセットボタンの極上の事例」こそ、人々は、目にしてみたい、耳にしたいと願うでしょう。
 本書では、この問いに対して、超一流のアスリートをもって、ビジネスパーソンの方々の参考にしていただくことを考えました。超一流のアスリートとは、本書の著者でもある
「為末大」さんです。
 為末大さんといえば、四〇〇メートルハードル(以下、四〇〇mハードル)日本記録保持者にして、二〇〇一年、二〇〇五年の世界陸上選手権の二大会で銅メダルを獲得なさった方です。オリンピックにも、二〇〇〇年シドニー・二〇〇四年アテネ・二〇〇八年北京と三度出場し、現在は、引退。リセットボタンを適切なタイミングで押し、見事なまでの方向転換をとげ、いまやコメンテーター・ビジネスマンとして八面六臂の活躍をなさっています。
 為末さんは、このように超一流の世界的アスリートでありながら、リセットボタンを適切なタイミングで押し、見事な方向転換をなさいました。しかし、そこに彼なりの戸惑いや躊躇があったことはあまり知られていません。
 為末さんにも「踊り場」があり、「戸惑い」がありました。本書では、これを余すところなくお伝えし、ビジネスパーソンの方々が自らのリセットボタンとうまくつきあう方法をお知らせしようと思います。これまで語られてきた為末さんのキャリアよりもさらに生々しく、さらにリアルに、「等身大の彼」にせまります。
 本書では、その目的を達するための「自分年表」というツールを用意しました。
「自分年表」とは、自分の仕事人生におけるさまざまな出来事を時系列で「見える化」し、それを振り返るためのツールです。為末さんには、本書で中原との対話のなかで「自分年表」をつくって頂きながら、その仕事人生を振り返ってもらうことにいたしました。為末さんの自分年表を見ていきますと、彼が、必ずしも、様々な活動のピークで、方針転換をしたり、立ち止まったりしているわけではないことがわかります。むしろ、自分と世間の評判の「ズレ」が大きくなったときに、彼は、意志決定をしているのです。本書では、為末さんの「自分年表」を通して、転機をいかにとらえ自分年表あの時なにがあったか(+そこから得たもの) 自分の調子るかのレッスン(教訓)を把握したいと思います。 
 本書は読者にも「自分年表」の作成をおすすめしたいと思います。
 具体的には、読者のみなさんも、為末大さんの自分年表を参考にしながら、自分自身の自分年表をつくり、今後を考えて頂きたいと思います。本書のカバーをはずして「裏面」をみてください。そこには、まだまっさらの「あなたのための自分年表」が印刷してあります。これがあなたの自分年表です。こちらをコピーして、ワークシートとしてお使いいただけるようになっています。

 人は、リセットボタンを押す瞬間は「悩んであたりまえ」なのだと思います。とはいえ、私たちは「仕事人生」という「ゲーム」そのものから「降りること」はできません。リセットボタンは「方向転換」や「再びはじめるため」に押すのであり、「ゲームそのもの」から降りるためのものではありません。それはネガティブなものではありません。むしろ、来し方をみつめ、これからの可能性をつくりだすポジティブな行動なのです。
 リセットボタンが重要だからといって、手当たり次第、やたらめったら押していても、ゲームは前には進みません。
 リセットボタンを押すときには「考えぬいて、押すこと」が重要なのです。専門用語では、そのことを「リフレクション(Reflection:振り返り)とよびます。リフレクションの第一ステップは、「自分のこれまで」を「見える化」すること。第二に、「見える化した自分の仕事人生」をしっかりと「意味づけること」そして、そのうえで代襲ステップとして「未来のアクション」をつくります。

過去を見える化し、さらには意味づけること。
過去を意味づけることで未来をつくること。

  これがリフレクションです。
  わたしたちがリセットボタンに手を掛けたり、それをおそるおそる押す「前」には、そうした作業が必要になります。
 先に述べたように、そのためのツールが本書にはついています。それが「自分年表」です。第二章以降、私たちは為末大さんの人生を「見える化」していきますが、その際にも、それが用いられます。ぜひ、読者のみなさんは、自らも自分年表を作成してみてください。ひとりではちょっと……という方がいらっしゃったら、ぜひお近くにいる気のおけない仲間や友だちや勉強会での友人とこれに取りくまれることをおすすめします。そこには「リセットボタン」とうまくつきあう、ファーストステップが隠されているはずです。

 最後に本書の構成を述べます。本書は、為末大さんと私中原淳の対談から構成されてい
ます。
 第一章は「仕事人生が長期化すること」の社会的背景を主に論じました。
 私たちの仕事人生は長期化していく。そのような時代にあっては「右肩上がりのエスカレータ」は存在しない。「踊り場で立ち止まったりすること」や「方向転換をすること」が求められ、そのためには「リセットボタン」とうまくつきあっていくことが求められると論じました。
  第二章・第三章は、為末さんのこれまでのキャリアを振り返りながら、彼が自分自身の「自分年表」を私と一緒につくっていくパートです。
 第二章では、陸上をはじめた子どもの頃から、世界陸上で銅メダルを獲得するまでについて、振り返っていただきました。ここではスポットライトのあたる一〇〇メートルから現実的な四〇〇mハードルに転換することを決めた経緯など、これまで以上に掘り下げて話してもらいました。
 第三章では、会社に入社してから、プロとして独立、引退した後についてです。先にも述べたようにアスリートは引退という「リセットボタン」を人生の前半に押すことになります。それはどのようにして押されたのか、そしてリセット後、どのように新たな冒険がはじまったのか、より現在に近いところまで聞いていきました。
 最後の第四章では、第二章、第三章で完成した「自分年表」をもとにして、リフレクションを行い、どういった傾向があるのか、そこから導き出せる「リセットボタン」とのつきあい方について話し合っています。みなさんの仕事人生と照らし合わせながら、読んでいただければと思います。
 本書の読者の方々には、一流のアスリートである為末大さんの仕事人生上の選択から、多くを学び、リセットボタンとうまくつきあう方法を考えていただければと思います。対談相手で、適齢期にさしかかった私自身も、自らリセットボタンを押すタイミングを探し
ています。
 同時代を生きるすべての人々へ。
 一度きりの仕事人生、リセットボタンとうまくつきあってみませんか?

 まだ見ぬ希望の明日のために。

*なお東洋経済オンラインのサイトで1章の一部がご覧になれます。

http://toyokeizai.net/articles/-/177259

 

 

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