ちくま新書

「単純な歴史」を打破する
ちくま新書『昭和史講義─最新研究で見る戦争への道』

 昭和史をよく知っておきたいという知的欲求には、このところ極めて強いものがある。中国・韓国・アメリカなどとの関係の中で「歴史認識」をめぐる問題が外交の焦点となってきた昨今、「何が本当なのか、知りたい」という形で昭和史への欲求が強くなるのはある意味当然のこととも言えよう。

 読者の側にこうした事情がある中、書き手の側の事情はどうなのだろうか。実は、研究の専門化・細分化が進んでおり、研究者間の共通の認識が乏しくなっているのが実情である。

 読者は驚くかもしれないが、昭和史研究者と言っても、昭和の初期の内政を研究している人と、終戦のころの外交を研究している人との間では、最新の研究状況についてほとんど話が通じなくなっている。言い換えるとそれは、多くの研究者に昭和という時代の全体像が見えにくくなっているということでもある。昭和史のような短い時代の研究者同士でこれでは困った状況だと言わねばならない。

 問題は、このことが一般の読者に与えている影響である。個別事象についての専門的研究の最先端の成果など、一般の人にはアクセス自体が面倒で簡単には知りようもない。そこで、一般の読者の需要に応えようとする書き手が現れ、簡単でわかりやすい昭和史についての本が多く現れることになる。こうして、二〇〇〇年代に入る前後から歴史認識をめぐる問題がかまびすしくなり、昭和史に対する関心が非常に高まるのに相前後して不正確な一般向けの昭和史本が横行し始めたのである。

 それらでは新しい研究の成果など全く追っていないので、過去の間違いがそのまま踏襲されていたり、俗説や伝承の類がチェックもなく横行したりしている。自分らに都合のいい心地よい昭和史を実証的根拠もなくそれらはもっともらしく語っているのである。

 筆者の専門とする分野について一例を挙げておくと、最近ようやく刊行され話題になった『昭和天皇実録』についての書物がいくつか出たが、二・二六事件に登場する石原莞爾という戒厳司令部のキーパーソン的参謀のことについて、今では専門研究者の間ではすっかり否定された「石原は早くから叛乱軍鎮圧に乗り出した」という何十年も前の説が長々と書かれているものがあり、驚かされた。

 石原は終始叛乱軍に同情的であり、叛乱軍寄りの解決策を何度も進言したので、叛乱軍の青年将校が最後まで期待し信頼したのは石原だったというのが現在の研究成果なのである。もともと参謀本部の作戦課長であり戒厳司令部の参謀という要職にあった石原のこの態度は、事件の解決にとって極めて重要で、事件解決を遅らせる一原因であった可能性すらあるのだ。こういう重大な事件解釈の根幹に関わる間違いが横行していては昭和史の理解は歪むばかりであろう。

 このようにお手軽な昭和史本の氾濫は極めて危険ではないだろうか。研究が深まるほど、昭和史は幾重にも逆説の重なった複雑なプロセスだということが明らかになっている。そういう中で、歴史を単純化するお手軽昭和史本はこういう認識を妨げる方向にしか機能しない。それは、読者を賢明に育てるのでなく、ある方向に動員されやすい人間を作るだけだろう。誤った認識は誤った行動を、歴史の単純化は単純な人々だけによって動かされる「単純な歴史」を生み出すであろう。

 こうした状況を打破するにあたり、私どもにまずできることは確実な史料に基づいた正確な昭和史を読者に届けることではないかと思われる。前述のような研究状況の中、一人で昭和史を書くことは極めて難しくなっているが、それぞれの専門研究者の成果をまとめればそれは可能だ。こうしてできあがったのが『昭和史講義』である。

 最新の正確な研究の状況と成果をできるだけ取り込むように、そしてそれをできるだけわかりやすく叙述するように各執筆者にはお願いしたが、それは見事にできあがったようだ。新しい研究成果を読者に伝えるという喜びから勇んで執筆されたものばかりであり、新成果は読者の昭和史像を確実に塗り替えるであろう。

関連書籍