昭和の人気作家・獅子文六(一八九三~一九六九)は忘れられて久しかったが、最近、見直されてきたようだ。彼の評伝『獅子文六の二つの昭和』(朝日選書 二〇〇九年刊)を書いたファンとしては、うれしい限りだ。
NHKの朝の連続テレビ小説の第一作『娘と私』の原作者であり、敗戦後の日本社会を活写した小説『てんやわんや』や『自由学校』、株屋のギューちゃんが活躍する『大番』の作者、演劇好きなら「文学座」の創設者のひとり、ということもご存じかもしれない。
外国との窓口だった開港地・横浜の絹物貿易商を営む家に生まれた。店は外国人居留地にあり、南京町(中華街)も近い。文六は生まれながらの町っ子であり国際人だった。
慶応大学を中退、父の遺産を元手にフランスに留学する。といっても大学に通うわけではない。もっぱら芝居を見て回った。そこでフランス人女性と恋愛する。
女性は妊娠し、文六は日本に連れて帰る。森鴎外の例を挙げるまでもなく、留学先で女性とねんごろになる日本人留学生は少なくないが、連れ帰った人は珍しい。文六は食いしん坊で知られる通り、欲望肯定のエピキュリアンで儒教的堅苦しさとは無縁だが、根っこはまじめなのだ。
昭和の初め、国際結婚は珍しかった時代だ。フランス人妻は日本でのくらしになじめず、精神に変調をきたし、娘を出産後しばらくして帰国、故国で亡くなる。『娘と私』は日仏混血の娘を育てていく男親の苦闘を描いた自伝だが、湿っぽくならず、武骨でシャイな男親の姿が、練達の文でつづられる。
戦中には、真珠湾攻撃の海軍特殊潜航艇の士官をモデルにした小説『海軍』を本名の岩田豊雄名で発表、大評判を呼び、作家として名声を確立した。戦争が終わった年の暮れ、再婚した夫人の故郷・四国の片田舎に戦後疎開し、数年暮らした。
今回、ちくま文庫で復刊される『てんやわんや』は、再び上京してすぐの時期、事実上戦後の第一作だ。
毎日新聞から新聞小説を依頼され、そろそろ執筆というころ、公職追放の仮指定の通知が来た。戦中に書いた『海軍』が戦争協力作品で戦犯にあたる、というのだ。由々しき事態である。自ら嘆願書を書き、関係する新聞社、雑誌社が奔走し、なんとか指定は取り消された。そんな時期に執筆された『てんやわんや』は、だから失敗は許されない作品だった。
とはいえ、さすがベテランである。物語はいたって軽妙かつ快調に進む。かつて情報局に務めた主人公が、過去の経歴を恐れ、四国の片田舎に逃げ、そこで奇妙な人物たちに出会い、騒動が持ち上がる。大きな仕掛けのうちに、珍妙なエピソードや珍しい風俗が描かれ、価値観が大変動した世相を皮肉る。戦後の混乱のありさまを、都会ではなく、地方を舞台に描いたところに、新鮮味があった。本人の疎開先がモデルだったから、そこで起きる小事件、人々の振る舞いにリアリティがあった。
大混乱を意味するタイトルも卓抜だった。「ん」と「や」がリフレインする軽快な口調は、時代の混乱ぶりをユーモラスに暗示し、流行語にもなった。著名な漫才師・獅子てんや瀬戸わんやの芸名は、この小説名からとられている。
優れた作品は、作者の伝記的な事実や時代の背景説明を知らなくても、十分楽しめるものだ。『てんやわんや』もしかり。平明で向日性の文体、テンポのいい展開、豊かなユーモア感覚。読んで快感、苦い隠し味も利いている。説教臭さがないのも、好ましい。近頃はやりのベタな「涙と感動の物語」とは大違い、獅子文六は大人の文学なのだ。
地震と津波で町が壊滅するラストは、実際に南海道地震(昭和二一年一二月二一日、死者一三三〇人)に四国で遭遇した文六の体験がこめられている。東日本大震災を経た今、読み返すと、新たな感慨が生まれてくる。
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