昨日、なに読んだ?

File31. 松井周・選:ウソのほんとうを教えてくれる本

伊井直行『愛と癒しと殺人に欠けた小説集』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【松井周(劇作家/演出家/俳優)】→→春日武彦(精神科医)→→???

 フィクションをつくる側にとっては「ウソこそ全て」というところがあります。でも社会においては、たとえエイプリルフールであっても、自動運転の車を売り出しているテスラ社のイーロン・マスクが「経営破綻した」とつぶやけば、自社の株価が5%もダウンするほどウソは嫌われています。今の時代、ウソに不寛容というか、あまりにも現実がウソまみれだからか、ウソが許されているはずの日にもウソは許されず、虚構の世界をつくる側にとっても、なんだかウソをつくのが後ろめたいような気分にさせられます。ウソがつきたいから演劇を始めたと思っている僕としては窮屈な日々です。ウソの世界をもっと楽しんでもいいのでは? と思います。
 僕が好きなウソというのは、アミューズメントパークやどっぷりファンタジーのようなここからここまではウソという枠組みが決まったものよりも、もう少し日常の中のどこからどこまでがウソでホントだかがわからないようなウソです。つまり「微妙なウソ」です。実は携帯電話で話しているフリをしていたとか、実は下着を履いていませんでしたというようなしょぼいやつ。「あるある」のようですが、わざわざそんなことしないかも? というレベルのウソです。言い換えると、少しだけ確率の低そうな事実です。そのへんから始まるウソが好きなのです。
 伊井直行さんの小説にはそんな「微妙なウソ」が散りばめられているような気がします。マジック・リアリズムと呼んでもいいのかもしれませんが、なんというか、壮大ではない感じがとても好きです。
 例えば『愛と癒しと殺人に欠けた小説集』(講談社)という作品集に収録されている『ヌード・マン』という小説は、車が好きで、子供思いの父親が時々全裸で街や公園を闊歩するという話です。その道一筋というわけではなく、車好きで、親としての自覚もあるのに、「惨めさ」と「恐怖」「興奮と充実」を感じながらの「ヌード・ウォーク」というところがポイントです。そんな、いそうでいなさそうな人物の行動を追っているうちに「オレも…」と小さなスリルに身を任せてみたくなる展開が続きます。しかも、ラストではその「あるある」のウソが一気に飛躍して、神話のように「ないない」の世界に振り切れます。「微妙なウソ」が「絶対的なウソ」に変身するさまは感動的です。ああ、この人はウソの味方なんだなあと思います。けれど、そんな神話化されたウソでありながら、それまでのプロセスを考えると、どこか壮大さとは程遠い、昨日あった出来事感も漂うのです。
 そもそも神様のような絶対的なウソの始まりにしろ、川で拾った大きな石が誰かに拝まれているうちに、皆が同じようなことをするようになるというプロセスを経て、その土地の神様になってしまうという現実もあるわけで、ウソへの渇望は宗教の起源とも言えるような、原初的な欲望なんだろうと思います。昨日まではただの石だったはずのものが、ゆっくりと時間をかけて神様になっていくプロセスのなかに、人間の想像力の強さ、大きさを感じます。ただし、伊井さんの小説の場合、神様が現れたってそれで誰かや世界が救われるわけでもなく、道端のお地蔵様的存在に落ち着くとか、半分は普通の人間のままでじっとしているようなところが微妙で好きです。
 伊井直行さんの小説は、白黒はっきりさせようと迫ってくる現実に、「微妙なウソ」の落とし穴を仕掛けていくような試みです。その落とし穴にスポッとはまってみると、かえって現実のほうがやせこけたウソに支えられているんだなあと気づくことになるのではないでしょうか。

関連書籍