昨日、なに読んだ?

File108. 百回以上読んだ(聴いた)本
太宰治『人間失格』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは、「自分以外全員他人」で第39回太宰治賞を受賞した西村亨さんです。

 年を取ってから、あまり本を読まなくなった。集中力が衰えたのと、目が疲れやすくなったからだ。普通に生活を送るだけならそれでもよかったが、バカのくせに作家を志していた私にとってそれは由々しき問題だった。頭が良ければきっと、本を読まなくても小説を書くことはできるのかもしれないが、頭が悪い場合、本を読まなければ小説を書くことなんて絶対にできない。少なくとも自分の場合はそうだった。
 そこで私が取った方法は、本を「聴く」ということだった。既存のオーディオブックを利用するのではなく、iPhoneのボイスメモに自分で朗読して吹き込んだいくつかの小説を、九年前から毎日、最低でも三十分、時には数時間にわたって聴いてきた。中でも一番聴いたのは『人間失格』で、目で読んだり、大学ノートや100均で見つけた文庫サイズのメモ帳に書き写したのも含めると、これまでにのべ百回以上はその文章に触れてきた。
 数年前、町田康さんが、「小説を書くコツは同じ小説を繰り返し百回は読むことだ」という意味のことを中央大学の講演会(~読むことと書くことの関係~)でおっしゃっていた。それは本当にその通りだと実感として思う。町田さんは野坂昭如さんの『エロ事師たち』を百回以上読んでいるということだった。
 昔から小説にしろ映画にしろ、面白いと思ったものは最低でも三回は読んだり観たりすることにしている。最初は純粋な読者の視点で、次に主人公の視点で、最後に作者の視点で。そうしないとその作品の本質を捉えることはできないと個人的には思っている。
 十八の頃に初めて『人間失格』を読んだ時は、ものすごい感銘を受けながらも、陰鬱な話だと思った。葉蔵の人間性に共感しながらも、ヨシ子(内縁の妻)が犯されているのを助けもせず逃げ出したことに怒りを覚えたし、「神様みたいないい子でした」というバーのマダムのセリフにも違和感を覚えずにはいられなかった。葉蔵も、それに似た性格の自分も、ただの悪でしかないと思っていた。
 ところが読みを重ねるにつれ、見え方が変わっていった。最初はユーモアの部分に目がいくようになり、暗さが薄れ、冷静な目で見られるようになると、そもそもこれは太宰本人の話ではないということに気づいた。主人公の葉蔵の職業は漫画家だし、「はしがき」と「あとがき」に太宰風の作家も登場している。事実をネタにしていても、あくまでもフィクション、あるいは自伝風の小説であることが分かる(それがつまり自伝小説というものなのかもしれないけれど)。「人間失格」という言葉についても、それだけ聞くと悪い意味に取られがちだけど、少なくとも太宰は『人間失格』の中で、人間を良いものだとは書いていない。冒頭の方ですでに、人間の特質について、互いにあざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生き得る自信を持っていること、との見解を示しているし(そしてそれが難解であるとも)、最終的には、そうなれずに破滅の道を辿った自分(葉蔵)を、「人間失格」だと言っている。
 読みを重ねることで気づくこともあるし、年齢を重ねることで気づくこともある。生きることはそうそう一筋縄でいくものではない。若く潔癖な頃には許せなかったことも、状況によってはそういうこともあるかもしれないと思うようになる。葉蔵や、堀木やヒラメよりも悪い人間なんて世の中たくさんいるし、演技をしているのは自分だけではないということを知ることで、上記のマダムのセリフにも納得することができた。葉蔵の本当の人間性を知ったうえでなお、「神様みたいないい子」と言えるのは、様々な人間を見、経験をしてきたマダムの度量(優しさ)なんだと思う。だから人は(特に男は)年を取ると夜な夜なスナックに吸い寄せられてしまうのかもしれない。
 読むだけでなく、書くことで気づくこともある。昔から西村賢太さんが好きなのだが、その存在があまりにも偉大すぎるので、同じ姓の自分としては、私小説風の小説を書くことを今までずっと避けてきた。けれど今回太宰治賞を受賞させていただいた小説を書くに至ったいざこざやトラブルに遭遇したことで、もうそれを書かざるを得ない心境になり、書いてしまった。
 読んでくださった方から、「これは実話ですか?」と訊かれる時、「最後の方は完全な創作で、全体的にフィクションをまじえたり加工もしていますがほぼ実話です」という意味の答え方をするけれど、自分の思いがどれだけ伝わっているかは分からない。「フィクション」や「加工」についても、「噓」とか「デフォルメ」といった単純な話ではなかったりもする。芥子粒ほどの思いを巨大な風船みたいに膨らませることもあるし、そのエネルギーに引っ張られるようにして最初の思いとは違う方向に行くこともあれば、物語を成り立たせるために噓を書くこともあるし、でもそれが完全な噓かというとそうとも言い切れなかったりもする。「思ってはいるけど、そんなには思ってない」とか、「深刻だけど、そこまで深刻ではない」とか。
 昔ネットでブログを書いていた頃はもっと簡単な方法を取ることもあった。それまでに見てきたお笑いや物語のセオリーに乗せることで、自動的に話を膨らませてオチまで持って行くというのはとても便利なやり方だった。そんなに頭を使う必要がないし、自由だから書いてて楽しかったりもする。でもそれは匿名だから成り立つ(許される)ことで、その後Facebookで同じやり方をしたら、大概の人は笑ってくれたものの、中には本気で心配してきたり怒ってくる人もいたから、やはり実名でそれをやってはいけないのだろう。まして人を巻き込んではいけない(その節はすみませんでした)。
 小説は不特定多数の人に読まれる可能性のあるものだから気をつけて書くけれど、それでも校閲の指摘で不適切な箇所に気づかされることが多々あった。そんなつもりでは書いてなかったのに、言われてみたら確かにそうだと思うのだから、文章を書くというのは本当に難しいことだと思う。
 それでも書くことで得られる恩恵もある。それが読書をより楽しくさせてくれる。それは作者の意図に気づくということ。
 西村賢太さんの小説を読んで、昔は単純に面白いと思うだけだったり、露悪的過ぎる部分に嫌悪感を覚えることもあったけれど、実名で小説を書くという経験をしたことによって、「ああここは大袈裟に書いてるな」とか「これは噓だな」と思えるようになった。あくまでも私見ではあるけれど。
 とはいえ、大抵の人はそうでないということを忘れてはならない。自分の文章力、技術的な問題もある。書くというのは楽しい反面、とても恐いことでもある。昔から「ペンは剣よりも強し」という言葉があるように、それが剣よりも強い武器になってしまうことがある。
 その自覚を持たないまま、安易に振り回していたら大変なことになる。
 今回、自分の小説が活字になることが私は不安だった。
 実話をもとにしているだけに、誤解は避けられないと思ったからだ。
 自分はよくても、家族が恥をかくようなことになるのは嫌だった。
 特に母親のキャラクターを悪く書いてしまったけれど、実際にはそんなこともない。
 良くない一面に重点を置いて書いたらそういう形になっただけで、人間が多面体であることは誰もが知るところだ。けれど紙面はそうではない。 
 だからムック本が出る前に母親や姉に、嫌な気持ちになるだろうから読まない方がいいと思うと言った。恥をかくことになるかもしれないから人に教えるのならあくまでもフィクションであることを前もって伝えるか、できれば誰にも言わない方がいいと思うと言ったところ、返ってきたのは、「もうみんないい大人なんだからそんなの気にしないってよ」という言葉だった。そして実際にそうだった。つい最近まで、私はその事実に甘え、油断していた。
 けれど当然、世の中はそういう人たちばかりではない。
 その考えに至る途中の人もいるし、そもそも歩いている道が違う場合もある。
 昔の自分がそうだったように。
その頃の感覚を、今一度はっきりと思い出さなくてはならない。
でなければ知らぬ間に、ペンが剣に変わってしまう。
 無自覚に人を傷つけてしまうのは辛い。
 相手を傷つけたことはもちろん、それを予測しきれなかった自分にもうんざりする。
生きているのがほとほと嫌になる。
 コンプライアンスとかハラスメントの問題もある。
 冗談ですませてもらえるような、そんな時代ではもうない。
 人を傷つけるくらいなら何も言わない方が良い。書かない方が良い。
 恥をかいたり、傷つくのは自分だけでなくてはならない。
 そのためにもなるべく他人とは関わらずに生きた方がいい。
 消極的でつまらない生き方かもしれないが、それが私にとって、一番楽で、安全な生き方でもある。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないから。
 今日もまた『人間失格』を聴く。

 

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