昨日、なに読んだ?

File110. 好きで始めたことなのに迷子になってしまったときに読む本
王城夕紀『青の数学』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは、お笑い芸人としてYouTubeやラジオでも活躍中の土岡哲朗さんです。

 自分が好きで始めたことなのに、やっていくうちに「自分はなぜこれをやるんだろう?」と迷子になってしまう気持ちは、みんな味わったことがあるんじゃないだろうか。仕事や活動で行き詰ったときや、好きだったはずの趣味が捗らなくなったとき、それまでは考え込まずにやれていたのに、「なんでこれが好きなんだっけ?」「何のためにやってるんだっけ?」と考えてしまう。自分の動機を言葉で明確に言えないといけない気がして、それがすっと出てこないことに焦ったり、むなしくなったりしてしまう。小説『青の数学』(王城夕紀・新潮社)は、数学にのめり込んだ主人公がそんな気持ちにぶつかる物語だ。

 主人公の男子高校生・栢山(かやま)は、数学の難問を解くことを競技として競い合う「数学オリンピック」に出場するほど、数学に没頭している。そんな栢山がめぐりあったのが、ネット上で競技数学の決闘をするサイト「E²」。そこには、彼のように数学に情熱を燃やす同世代たちがたくさん集まっていた。

 栢山が問題と向き合うとき、彼の心理描写として「問いに潜る」という表現が使われ、思考が現実世界を離れて抽象の世界、まるで宇宙につながっているような描写がされる。目の前に現れた問題に、自分の脳みそ、体感的には全身で飛び込み、どこに向かえば解くことができるのか、切り口を探して試行錯誤を繰り返す。人間、夢中になれるものと向き合っているときは、たとえやり遂げるのが簡単じゃなくても、全神経でそれに浸ることができる。

 しかし、栢山も自分がなぜ数学をやるのかを立ち止まって考え、悩んでしまう。なぜ数学をやるのか、自分にとって数学をやることは何の意味があるのか……。自分が迷っているときに迷わず取り組めている他人を見ると、あの人はここにいるべき人間だけど、自分はちがうんじゃないか、と思ってしまう。

 だが、栢山は吹っ切れる。無心で難問を解くことに挑む。「なぜという問いを発する心など置き去りにして。だって、見たいのだから。ただ、見たいのだ。ぶつかって、その先に何が見えるのか」。自分は、自分というフィルターを通して一体どんな世界を見るのだろうか。それを知りたくてやっている。好きでやっているだけのことに、他人を納得させられる理由なんて本当はない。そして、自分にも、なぜ好きかを言い聞かせられる理由なんて本当はない。ただ自分の知っている世界を広げたい。そうして広がった世界を何に活かすでもない。そんな贅沢で純粋な無意味を疑わないでいられる瞬間が、「あってる」んだと思う。なぜこれをやるんだろう、ゴールはどっちだっけ、と迷子になる気持ちに落ち込まなくていい。私たちは、迷子になりにこの世に来たんだから。

関連書籍

夕紀, 王城

青の数学 (新潮文庫nex)

新潮社

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