昨日、なに読んだ?

File46.超越を考えるときに読む本

スーザン・プライス『ゴーストドラム』(金原瑞人訳)、岡和田晃『反ヘイト・反新自由主義の批評精神 いま読まれるべき〈文学〉とは何か』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【高原英理(作家)】→→石岡良治(批評家/表象文化論)→→???

 今年は二冊の自著(『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』立東舎・『エイリア綺譚集』国書刊行会)と編著(『ガール・イン・ザ・ダーク』講談社)を刊行することができた。『エイリア綺譚集』は書下ろし中篇一篇以外、既発表短篇集で、そこに最近作として「ほぼすべての人の人生に題名をつけるとするなら」というディストピア小説を入れた。新自由主義(ネオリベラリズム、現状では弱者保護の仕組みを減らし大資本企業のみ優遇する制度に帰着しやすい)を徹底したらこれくらい無残な社会になるだろうというものだ。ただしテーマはそこではないけれども。著者校のさい、これを読み返していて、徹底新自由主義社会というのが何か中世以前の支配と隷属のそれに似ている気がした。SF作家のクラークによる「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」という言葉にたぐえて言うなら「極限に達した新自由主義社会は中世と見分けがつかない」ということだ。
 そうした類似をより強く感じさせてくれるファンタジーの名作があって、スーザン・プライス『ゴーストドラム』(金原瑞人訳、サウザンブックス社)がそれだ。皇帝の絶対支配の下、その権力に服しない魔法を心得た者たちの物語で、時代場所は特定されていないが、ほぼ中世以前、剣と魔法の世界である。人々に人権はなく、国民は正当な理由なしに皇帝の気分次第で殺され略奪される。人々は生きのびるためいくらでも卑怯にも打算的にもなる。さらに、皇帝は、勝つ見込みのない戦争などの無駄な国力の蕩尽のさい、死んだ兵士たちを国のため死んだ英雄として讃え、それにより国民の不満を高揚にすり替えるだろう、とも語られる。なにやらとても現代的に思える。
『ゴーストドラム』は飽くまでファンタジーなので、その地獄に穴をあける魔法という超越的な力もまた語られる。とはいえ魔法にも魔法の敵対があり、決して都合のよい展開にはならない。しかし現実権力からの超越という発想が、あるいはこの社会の在り方は今あるものだけではないのではないかという、希望とも言えない人間の想像力への信頼を感じさせ、甘さのない過酷な物語なのに読後、とても清々しい心地をもたらす。その心地が現実そのものを変革するわけではないが、このファンタジーの読後感は、新自由主義の向かう極悪の未来への微かな抵抗と考えることもできなくはない。
 これとは一見全く異なりながら、同じ清々しさを与える書物を最近知った。岡和田晃による『反ヘイト・反新自由主義の批評精神 いま読まれるべき〈文学〉とは何か』(寿郎社)という評論集だ。
 われわれが今直面する新自由主義の日本的展開、その引き起こすだろう中世的な専制と人的支配(「法の支配」の否定)と情報操作をつぶさに認識すれば絶望しか見えてこない。しかもここには『ゴーストドラム』で皇帝の権力をもしのぐことのできた超越的な魔法はない。無力である。だが、そんな中でも超越的認識とほぼ等しい何かを伝えてくる発想はある。差別化・格差化・貧国化する社会の決定権保持少数者が捏造し圧倒的に押し広める情報とそれに隷従する意見の群れによって、あるべき正しさが凌駕されようとしている今の、われわれの置かれた状況で、唯一、それらを「過ちである」と指摘できるのは批評の精神しか、本当にそれしかない。いかに無力でも、批評が本領を発揮するとき、損なわれることのない普遍的真実の確信をもたらす。そのいわば「人文力」の最たるところに「文学」がある。文学は、十分に吟味されたものであれば、現状を超越する発想をも与えうる。『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』はこうした論理を告げる。
 そこには、「この作家作品を論じておけば自分の名も上がる」というモチベーションがない。「どれだけマイナーで人気がなくとも、語らねばならないものについて語る」という文学本来の姿勢が示されている。これが文学だ。これを文学というのだ。多くは紹介できないが、向井豊昭という、アイヌ差別に向き合い、一生マイナーかつ前衛であった作家や、文芸誌から依頼されて書いたものの掲載中止となった『セヴンティ』という、敢えてレイシストに自己を語らせる、樺山三英の小説など、今、言及されなければならないものばかりが批評されている。と、ともに差別と不公正に対抗するための思考が倦まず弛まず語られる。このようにいかなるときも現状を批判し、そうでない何かへと読む者の意識を向かわせるのが文学なのだ。
 文学とは、不正の肯定とそれへの慣れや利害関係によって生じる卑小さから脱する思考を導く魔法の異名である。
 この評論集も著者も、そして批評精神そのものも、今はひどく困難な道を行かねばならないだろう。しかし、これを読み終えた人はわかるはずだ、一歩現場を離れてみればどう考えても誤っているとわかるような不正が拡大する社会の中、この評論集が人類普遍の、正しさへの志向を伝えることのできた著作のひとつであると。

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