昨日、なに読んだ?

File77. 幸せなアニメ化について教えてくれる本
幸村誠『プラネテス』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。現在再放送中のアニメ『プラネテス』と原作漫画の関係について、アニメライターの高橋克則さんにご執筆いただきました。

*漫画・アニメ版『プラネテス』の物語の展開についての考察が含まれます。

 2022年1月からNHK Eテレで再放送中のアニメ『プラネテス』を久々に見ている。03年10月開始の本放送以来なので実に20年ぶりだ。放送局のNHK BS2はなくなり、教育テレビの呼び名はEテレに変わった。本棚にある単行本『プラネテス』1巻(幸村誠著、講談社)の奥付を調べてみたら03年9月13日発行の13刷、帯には「SFニュースタンダード TVアニメ化!」の文字が踊っている。当時学生だった私がアニメ化を機に作品を知って買った物だが、思えば『プラネテス』は漫画の展開をそのまま置き換えただけではない、原作とアニメの幸せな関係の在り方について教えてくれる作品だった。

『プラネテス』は人類が宇宙に進出した2070年代を舞台に、地球周回軌道を漂うスペースデブリ(宇宙ゴミ)の回収作業員である宇宙飛行士・星野八郎太、通称ハチマキを主人公とした物語。アニメ化にあたってはハチマキが所属する宇宙企業テクノーラ社の存在感が増してサラリーマンものの要素が加えられるなど、多くのアレンジがなされたが、最大の違いは新米飛行士・田名部愛(タナベ)が持つ「愛」のパワーの差だ。
 原作でもアニメでもタナベは愛という言葉をしきりに持ち出してトラブルを起こすが、原作において愛は非常に強固なものとして描かれている。たとえばタナベが初登場する第7話「タナベ」は、半世紀前に宇宙葬された宇宙飛行士の棺桶を発見、回収するエピソード。重力を振り切れずに地球圏へ戻ってきてしまった遺体の扱いについて、遺族は外宇宙への再射出を希望し、ハチマキも同意する。ところがタナベはそれを「愛のない選択」だと一蹴。ハチマキが語る船乗りの理屈に異議を唱えて、その主張に感化された遺族は遺体の引き取りを決める。タナベの言葉には人を動かす力が備わっているのだ。
 アニメでは第3話「帰還軌道」で同様のエピソードが描かれるが、翻意に至る経緯が少々異なる。遺族は棺桶の中に自分と母が映った写真を見つけるのだ。宇宙飛行士という仕事を誇りにして家庭を顧みなかった父が、実は家族を愛していたのかもしれない。そう遺族が思ったのかは目に涙を浮かべるカットから想像するしかないが、最終的な決断を促したのは写真であって、タナベの言葉ではないように見えてしまう。写真が映るか映らないかの違いではあるものの、その差は決定的に思える。
 原作の第9話「サキノハカという黒い花〈後編〉」のラストではタナベの愛の力が最大限に発揮される。宇宙開発に反対するテロ組織のメンバーに襲われたハチマキは、相手に拳銃を向けて殺そうとするが、タナベは無理矢理キスをして止めてしまうのだ。愛を具現化して殺意を止めるという荒技は成功し、ハチマキは戦意を喪失するどころか、テロ組織まで活動を停止したと語られるのだから、愛の力は凄まじい。それに対してアニメでは、タナベはその場に立ち会うことすら許されず、まったく別の場所で危機に瀕しており、止める者がいないハチマキは拳銃の引き鉄を引いてしまうだろう。

 タナベに対して意地悪とも思えるアニメ版の仕打ちだが、それは第1話「大気の外で」の時点ですでに表れていた。原作とは異なり初回から出番を与えられたタナベは、ようやく宇宙勤務になった喜びを隠せず、初登場のシーンで「無重力、衛星軌道、宇宙飛行士」と宇宙への憧れを独り言ちる。だが皮肉にも最初に口にした「重力」と、それによって生まれる上と下の関係に翻弄されてしまう。タナベの研修成績は最下位だと語られ、配属されたデブリ課は宇宙ステーションの一番下にあり、そこに下半身がオムツの先輩社員が現れて、倒れたタナベの顔面にオムツ男が馬乗りになる始末。
 さらに初仕事では、平和記念プレートを軍事衛星にぶつからないように地球へ落とすというミッションに納得できず「宇宙飛行士って国とか重力とか全部自由なんじゃないんですか?」と不満を爆発させる。しかしタナベが重力の呪縛から逃れられていないのは明らかであり、そもそも第1話のファースト・カットは『プラネテス』のタイトルロゴが地球の重力に引かれて落ちていく描写から始まっていたはずだ。人類は宇宙に進出してもなお重力に魂を縛られたまま生きるしかない。
 結局、タナベを覆うように上から現れた記念プレートは平和の象徴などではなく、戦争を仕掛けた世界連合の大義名分を喧伝するプロパガンダに過ぎなかった。しがないサラリーマンである宇宙飛行士たちにできるのはプレートの落下時間を少し遅らせて、紛争が起きた地域の子どもたちに流れ星として見せてあげる程度の些細な抵抗ぐらいだ。

 このようにアニメの『プラネテス』における愛の力は限定的なものでしかないが、だからこそタナベは原作以上に愛という言葉を多用する。その青臭さゆえに周囲の人々から(ときには視聴者からも)反感を買い、アニメオリジナルキャラクターから「あなたの愛は薄っぺらい」と罵られても、決して止めることはない。そして第24話「愛」では自分を罵った相手を救うことになる。それはキスでハチマキを救済したような実力行使ではなく、愛が力を持たない世界に相応しく、「奪わない」という消極的な行為がもたらした結果なのかもしれないが、原作が描いたテーマとたしかに共鳴している。そんなアニメ版を経験した上で漫画を再読すると、はじめは揺るぎない信念の持ち主のように思えた原作のタナベの隠れた弱さにも自然と目が向き、また違った一面が見えてくるだろう。
『プラネテス』では原作とアニメのどちらも、しりとりが重要な場面で用いられていた。しりとりのようにお互いを行き来することで、まったく想像していなかった場所にまでたどり着く。そういった関係性が幸せなメディアミックスの一つの形のように思える。

 

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