昨日、なに読んだ?

File91.トランスジェンダーについて知りたくなった時に読む本
ショーン・フェイ著、高井ゆと里訳『トランスジェンダー問題――議論は正義のために』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストはアーティスト/ライターの近藤銀河さんです。

 女性たちが反逆する本を私はいつも求めている。反逆はどんな物でもいい。同性同士のキスだって反逆だし、あるいは女性たちが政治を語り合うことも反逆だと思う。
 この欲求は、自分が女性として感じる抑圧や、社会の中の差別に、うんざりしてるから出るものだ。自分と同じ経験に他者がどう反応したのかを知りたいし、自分と異なる経験を通して、差別の取る様々な形態を知りたい。
 読書をする理由は人によって様々だけど、私の場合は他者と自分の違いと近さから、この不自由な世界の中に居場所を見出したい、そして不自由な世界を生き延びる術を見出したい、というのが大きな動機になっている。女性たちの本は、私にとってこの欲求に一番ぴったり来る本なのだ。
 ただ、そうやって女性たちの本を求める時に、怖くなることがある。というのも、そこで女性とされる人たちが、限られたものじゃないか? と気になる時があるからだ。
 簡単に言ってしまえば、それはトランスジェンダーにまつわることで、「女性」の本が語る「女性」がトランスジェンダーを排除している可能性に怖くなってしまうのだ(もちろん男性をめぐる本でも同じことが言える)。
 ご存知のない方には驚かれることかもしれないけど、ここ数年、トランスジェンダーの排除を表明する人が、保守派の政治家からフェミニストまで幅広い形で増えてきて、これは今やインターネット上でのフェミニズムをめぐる大きなトピックになってしまっている。
 こんな時代背景もあって、女性たちをめぐる物語で女性とされるのがなんであるのか、私は時々ふと怖くなってしまう。もしもそこで女性から排除される女性がいるのであれば、それは私が求める「女性たち」の本ではない。私がどうしようもなく知りたいのは、女性たちの違いについてなのだから。
 だから、私が紹介したい「昨日読んだ本」はショーン・フェイ著、高井ゆと里訳による『トランスジェンダー問題――議論は正義のために』(明石書店)だ。イギリスのトランスジェンダーの差別について伝えるこの本は、人々の違いと近さに満ちあふれた一冊だった。フェイの怒りと冷静さを行き来する筆致は、トランスジェンダーが受ける差別と、トランスジェンダーが必要とする物事を的確に伝えてくれる。
 フェイが示すトランスジェンダーが受ける差別の状況はとても深刻で、苦しくなる。保守的な政治家はもちろん、一部のフェミニストからさえ、厳しい差別を受けてしまう。それでも『トランスジェンダー問題』が目指すのは、切実に絶望を見つめることから生まれる、行動へとつながるような希望だ。
 この本は、トランスジェンダーに投げられる様々な批判を、一つ一つ議論していく。たとえば、トランスジェンダーの子供が早い時期にホルモン治療を受けることが危険だ、とする主張に対しては、むしろ現実は逆で、家族や地域社会の理解にかかる時間、そして医療制度の問題によりトランスジェンダーがホルモン療法などにアクセスするには膨大な年数がかかることを示してみせる。
 フェイによる記述は、制度の問題や、家族の問題が、男女を厳格に分けそのことで権力を握ろうとする差別的な社会構造に由来することをしっかりと捉え、トランスジェンダーに対する差別が、フェミニズムの戦う相手と同じ構造に由来することをハッキリと描いていく。
 少し前のところで「違いと近さ」という言葉を使ったけれど、巻末の訳者である高井ゆと里による解説では、各章で取り上げられたイギリスの状況と日本の状況とが比較され、両国でのトランスジェンダーが置かれる状況の「違いと近さ」がとても丁寧に示されていく。そこで語られるのは、この二つの地域でどのように性が管理されているのかということの、違いと近さでもある。
 だからこの本が目指すのは、差別的で男女の厳格な区別によって人を支配する構造を壊し、自分たちの手に取り戻すことなのだ。それはフェミニズムに関することであり、セクシュアリティに関することでもある。

 もう一つ、心に響いたのは様々な属性が交差する時に起きる差別のありようを、この本が常に意識していること。人種や階級、経済的状況、たくさんの状況の違いによって生じる、差別と排除のされ方の違いを、フェイは常に意識して記述していく。
 私自身、セクシュアルマイノリティで、病気を抱えていて、車椅子を普段は使っていたりと、色々な属性を持っている。私は女性だけど、その女性としての経験は、他の女性と完全に同じで、分かち合えるようなものではないと思う。そして、それら無数のラベルによって受ける差別や特権の付与は、私にとって固有の経験であると同時に、フェミニストとしての私を構成する経験でもある。
 だからフェイによるトランスジェンダーたちの違い、人間の違いを丁寧に見る姿勢は、読んでいてとても励まされる。矛盾するようだけど、たとえようのない固有の問題を見つけることが、その困難、投げつけられた問題の共通性をあきらかにしていく。固有さを突き詰めることで、その差別が生まれる理由を明らかにされていき、その原因の中に共通点が現れる。
 そういうプロセスを踏まずに差別の経験の共通性だけでまとまってしまえば、個々の違いは団結につながらず、個々の違いはただ決裂を生むだけのものになってしまう。それは、私が生きてきた経験とはあまりに違うものだし、差別が作られるシステムそのものでもある。
 残念だけど、こうして差別を作り出すことに、現在のフェミニズムは一部で加担してしまっている。特に、この中でトランスジェンダーは、想像の中で危険な存在とされ、まるでなにかの概念かモンスターのように扱われてしまう。そして、ここで生まれた差別は、差別に抗おうとする全てを嫌悪する人たちに利用され、運動を粉砕しようとする。
『トランスジェンダー問題』は、この概念にされてしまった人々を、人間に戻すところから、性を決定する権力を使って人を支配するようなシステムに抗う言葉を作り出していく。

 この本を読み終えて、私は不思議と、初めて読んだ気がしなかった。昨日読んだ本なのに、ずっと前からこの本を読んでいたような気がするのだ。それは、トランスジェンダーを差別する言葉をずっと見聞きし続けてきたからで、トランスジェンダー差別に反対し、トランスジェンダーの生を何とか取り戻そうとする言葉も、また同時に見聞きしてきたからだ、と思う。
 このコラムを読んでいる人の中で、そうした言葉にどれだけの人が触れてきただろうか? 
 もし差別の言葉を見聞きしていたら、この本を読んでみてほしい。もし差別の言葉に疲れ果てていたらこの本を読んでみてほしい。もし差別に反対する言葉を読んでいたらこの本を読んでみてほしい。

 そしてもし、差別からなにかを取り戻したいと、この本を読んで思ったら、もしその余裕があるのなら、虚空に向かってでもいいから、その気持ちを伝えてみてほしい。

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