昨日、なに読んだ?

File99. 寒すぎる週末に、部屋にこもって読みたい本
森まゆみ『『五足の靴』をゆく―― 明治の修学旅行』/五人づれ『五足の靴』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは近代日本文学研究者の栗原悠さんです。

 冬が寒くて本当に良かったと思ったことは、残念ながら一度もない。かつて同級生とどちらが先に長袖を着て来るか我慢比べをする狂気の小学生だった私は、今やセーターに半纏を羽織り、ネックウォーマーと足温器のフル装備で防寒性の高くない自室の空気に震えながらこの季節が一秒でも早く過ぎ去ることを心底願っている。寒いのはとにかく苦手だ。だからこんな週末に何か本を読むならば、それは冬の寒さをつかのまでも忘れさせてくれるようなものがいい。そして週末には自転車で外に出かけたいという気持ちを慰撫してくれるようなものだったならば、なおいい。

 そんなわけで本棚から引っ張り出してきたのが、森まゆみ『『五足の靴』をゆく――明治の修学旅行』(集英社文庫)だ。昨年の夏、学会や資料調査といった研究の目的と関係ない久しぶりの完全プライヴェートな旅行で広島近辺を観光したのだが、本書はその時に携行した一冊である。おそらく近代文学に詳しい方ならばこのセレクトによって当時の私の浮かれっぷりが窺えるだろう。『五足の靴』は一九〇七年の夏、雑誌『明星』に集った五人の詩人(=五人づれ)による瀬戸内から九州にかけての紀行文集であり、この旅の最初の目的地が厳島神社なのである。森の方はそうした『五足の靴』の行き先を折々訪ね歩いた記録であり、私が『『五足の靴』をゆく』を持って行ったのもそんな暖かな夏の旅気分を追体験する真似事をしたいと思ったからで、言わば聖地巡礼のまた聖地巡礼であった。この文章を書いている一月の今読み返してみても厳島のカフェでアイスコーヒーを飲みながらページをめくった記憶がはっきりと蘇ってくる。

 ところでこの本の元になった『五足の靴』についてもう少し書くと、五人づれとは実際の旅に少しばかり遅れて『東京二六新聞』に連載された「五足の靴」の連署名である。記事は一貫して五人づれの名義で書かれているのだが、その顔ぶれは『明星』の主宰・与謝野鉄幹に太田正雄(木下杢太郎)、北原白秋、平野萬里、吉井勇という若い同人で、当時鉄幹は今の私とほぼ同じ三〇代半ば、ほか四人は二二、三歳であった。『『五足の靴』をゆく』サブタイトルにある「修学旅行」とは、吉井が後年の回顧のなかで一行が年齢差ゆえに傍目には引率の教員と学生(実際、太田と平野は東京帝大在学中)のようにも見えたであろうことをそう喩えたのに拠っている。

 さて、そんな「修学旅行」は悪天候やスケジュールの手違い、体調不良などありがちなトラブルに見舞われながらも、京都から東京に戻る汽車のくだりからは幸福な高揚感のうちに終えられたことが窺われる。また道中の長崎から島原、天草といったキリスト教の影響が濃い地方の「発見」が文壇に南蛮趣味をもたらしたことは、この旅の文学史上の重要な点として指摘されてきた。そういう意味でも充実した旅であったことは疑いないのだけれども、それからまもなくして平野以外の三人は師とも呼ぶべき鉄幹のもとを離れていってしまう。当時の白秋らの鉄幹への厳しい評言は、先の旅を楽しく読んでいればこそ余計に哀しい。なお、この顛末については『『五足の靴』をゆく』にエピローグとして詳しく書かれている。ただ、あとから振り返れば悲劇の序曲になってしまったとしても、その旅にはむしろジャック=アンリ・ラルティーグのスナップ写真のような二度と戻れない刹那的な「あの夏」の空気が凝集されているがゆえに、こんな季節にこそ読み返してみたくなるのだ。
 

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