ぼくはこんな音楽を聴いて育った・東京編

第13話 展示作品って? 
――Without Records その1

大友良英さんの連載、再開いたします! まずは現在作成中の展示作品から!  

 お待たせしました、連載再開です!

 久々に山口市に長期滞在して展示作品を作っている。この文章も市内の湯田温泉にある小さなビジネスホテルで夜中に書いている次第。パンデミックでステイホームの最中は、いくらでも時間があったはずなのに、そんな時には何一つ書けず。忙しくなった今になって急にバタバタと書きたくなるって一体どういう神経なのやら自分でもさっぱりわからない。ま、いいや。とにかく今度こそバリバリと書くぞ~。
「ところで音楽家の展示作品って?」
 って思う人もいるかな。展示と言っても絵を描いたりとか、彫刻を作ったりするわけじゃない。一言で言えば音が出る展示作品なんだけど、サウンドインスタレーションって呼ばれたり、21世紀になったあたりからサウンドアートなんて言い方もされてるかな。でも、ここだけの話、自分が作るもんはどっちの言い方も微妙にしっくり来てなくて、やっぱり、ただいつものように「音楽」を作っているって言いたいのが本音。でも、それじゃさっぱり伝わらないんで、一応「サウンドインスタレーション」ってことにしている。なんかややこしくてすいません。

 今回作っているのは「without records」というタイトルの作品。使い古されたチープなポータブルのレコードプレーヤーを何十台も並べて動かす作品で、最初に作ったのは2005年。初めて作った展示作品だった。会場は当時京都の四条烏丸にあったちいさなギャラリー「shin-bi」。当時ここでキュレーターをしていた田村武から、
 「大友さん、なんか展示とかやってみません?」
 って感じで声がかかったのがきっかけだった。田村くんは元々、京大の西部講堂なんかでコンサートやフェスの企画をやっていた青年で、たぶんライブをやるみたいな軽いノリで声をかけてくれたんだと思う。オレもライブをやるみたいな軽いノリで「いいよ」って答えたんだけど、今だから言えるけど、実は、展示のアイディアがさしてあったわけじゃない。ライブと一緒で、何をやるかなんて、日程が近づいてきたら考えりゃいいって感じね。でも、さすがになんの展示経験も無いオレが、即興演奏のライブのノリで展示なんて出来るわけがない。受けたはいいけど、すぐに、
 「しまった!」
 となったわけで、連載再開1回目は、この初回のうまくいかなかった展示の話をさせてください。
 軽く受けはしたものの、それから何カ月かは悩みました。当時入り浸っていた京都の吉田屋料理店でそんな話を田村くんとウダウダしていたときのこと。カウンターから天の声が聞こえてきたのだ。
 「大友さん、ターンテーブルたくさん持ってるんやから、それ使ったらいいやん」
 吉田屋の女将(おかみ)の声だ。吉田屋は古い町屋のような建物で、ちょっと入り組んだ弓の字のカウンターと、座敷にテーブルが3つ4つだけのワインやビールも出す小さな料理屋さん。当時ミュージシャンやアーティストたちの溜まり場みたいになっていて、アートや音楽に詳しい女将も参加して、明け方までワイワイやることも多かった。懐かしいなあ。そこにはレイ・ハラカミがいたり山本精一がいたり。竹村延和がいたこともあったなあ。ダムタイプの高谷史郎さんともここで出会ったんだった。今はもうこの店は無くなってしまったけど、もう四十代にはなっていたけど、青春の日々だ。そういえば、ポータブルの古いレコードプレーヤーをヤフオクで見ると、なんか可愛くてついつい落としてしまって、部屋に溢れている……なんて話を女将としたことがあったっけ。今から20年ほど前、誰も使わなくなったポータブルプレーヤーたちがヤフオクには溢れていて、めちゃくちゃ安く落とせたのだ。大抵は70年代のトランジスタ式のものだったけど、中には60年代や50年代の真空管のいかしたやつもあった。大手のナショナルとかビクター製のものもあったけど、すでにこの世に存在しないtaktとか(この会社はジャズのレーベルもやっていて60~70年代初頭の和ジャズは、taktから出たものも多い)、名前すら聞いたことのない会社のお洒落なデザインのものもあって、そのノスタルジックなプラスティック製の見た目と、いかにも下町の工場で半分手作業で作られたようなシンプルな電気回路にやられたのが集めだした切っ掛けだった。何か方法さえ見つければ、いつも使ってるテクニクスのDJ用ターンテーブルとは全然違う使い方ができるかもと思ったのも集めた大きな理由だった。
 「あ、それいいかも!」
 当時持っていたポータブルプレーヤーは16台。さてこの16台でどうやって音を出すか。80年代からさんざんやって来たサンプリングやコラージュは、90年代も後半になった頃には飽きていて、だから最初からレコード盤を使って音を出そうとは思っていなかった。海外での活動が多かった90年代は「ジャパニーズ・クリスチャン・マークレー」と言われることが多くて、ま、実際にターンテーブルでのコラージュ演奏の先駆者だった彼に強く影響を受けていたわけだから仕方ないけど、さすがに言われると気にするもんなあ。そんなこともあったんだと思う。マークレーがやって来たこととは違う方向を探し続ける中で、90年代も後半になったあたりから、レコードを使ったコラージュではなく、レコードプレーヤー本体やカートリッジ(プレーヤーのアームの先っぽの針のついているところね)なんかが出してしまうさまざまな音やノイズにフォーカスを当てるような演奏に変化していったんだと思う。その時に探ったレコードを使わないターンテーブルの演奏方法をほぼそのまま流用したのが最初期の「without records」の展示だった。使い古されたプレーヤーたちからレコードなしで出てくるあらゆる音を人の手を使わずに出るようにすること。これがこの作品を作るにあたって最初にやったことだ。16台のプレーヤー全てにそんな加工を施す。あるものはアームとターンテーブルが擦れあってカタカタとリズムを出してくれる。あるものは接触不良のジーというノイズを不規則に。またあるものはひたすらザーというホワイトノイズを。ちょっとした仕掛けを施したものはアームが上下して「ザー、ザザ」って具合に一定のビートを出してくれる。
 それぞれが個性的な音を出すようになったら次にやるのが、電源のオンオフの仕組みを作ることだ。オンにすると音が出て、オフにすると音は消える。それだけだ。16台のプレーヤーが音を出したり出さなかったりをランダムに繰り返すことで色々な形のアンサンブルが出来上がるはずだ。そんな仕組みならすぐにやってくれる青年がいるからと、田村さんに紹介された学生が、ランダムに電源がオンオフするシステムを作ってくれることになった。こんな感じで16台分の電源をオンオフしてほしいなんて打ち合わせをして、それなら簡単ですって返事をもらい、ついでにせっかく展示するものですからケースもアルミでかっこいいもの作ります……なんて言われて、よっしゃ、これならターンテーブル奏者のオレがやる展示としては悪くはないかな……そんなふうに思った自分が甘かった。
 展示オープン3日前になっても学生くんは現れなかった。プレーヤー16台を会場に設置、サウンドチェックも終え、あとは学生くんが電源部分を持って来て音の組み合わせをあれこれ試せば完成する。そう思っていたのに、学生くんも電源も来ないのだ。さすがに焦った。
 すまなさそうな顔をした、作りかけのケースを持って学生くんがやって来たのはオープンの前々日の夜だった。
 「すいません、ケース作りに難航して、まだ電源の中身が……。もう少し待ってください、あと1~2週間あれば必ずやりますから」
 おいおい。アルミを削り出したようなケースは、素晴らしい作りだったけど、中身は何一つ出来てない。うわ~~~~、初対面の人を信用したオレが悪かった。ってか田村く~~~~ん、どうなってるのよ。ちゅうか、
 「甘い!」
 甘いよオレ。甘すぎ。そもそも人に任せずに全部自分でやるべきだった……なんて反省してる場合じゃない。オープンは明後日だ。なんとかしなくちゃ。オレはすぐに江村耕市さんにレスキューの電話をした。江村さんはパフォーマンスグループ、キュピキュピの映像なんかを作っている頼りになる映像作家でアーティストの兄貴分。いや歳はオレよりちょい下だけど大ベテランアーティストだもん、兄貴分です。おまけに京都在住。吉田屋で出会っていて、今回の展示のことも知っていて、いつでも相談してと言われていたのだ。持つべきは頼りになる経験豊かな先輩。きっと展示経験ゼロのオレがはしゃいでいるのを見て危なっかしいなあと思っていたに違いない。
 「オッケー、今から行く」
 江村さんは二つ返事で音響彫刻やサウンドデザインの吹田哲二郎さんを連れてすぐに会場に来てくれた。ありがたい。本当にありがたい。吹田さんは私が尊敬する音響のアーティストで、この世界の大先輩、大兄貴だ。いや、歳はちょい下だけど、この世界の大先輩であることには変わりない。で、来るなり、江村さん、呆れた顔をして、会場中に錯綜するごちゃごちゃになった、電源コードを指差して
 「大友さん、これ、このまんまでいいの?」
 「え? え? なんか問題?」
  そうなのだ。そもそも通常の美術の展示では本来見せたいわけではない電源コードが、ライブハウスみたいに無造作に見えているってのは無しな話なのだ。ってか、ライブハウスでももしかしたら無しなのかもだけど、そんなこととは関係なく、そもそも普段着のままステージ衣装も着ずに、ヴィジュアルを一切気にせずにライブをやることを潔しとしてきたというか、潔いかどうかすらも考えてこなかったというか……そんなオイラには、電源コードをどうするかなんてアイディアはなかったのだ。もうなんと言ったらいいか、ただのド素人じゃん、全く~。ま、電源コードを見せてもいいんだけれど、まずはそのことを考慮に入れて見せるか見せないか、見せるとしてどう見せるか、どう見えていたいかをちゃんと意識すべきってのが展示というものの基本、いや展示だけでなくライブも含め、カネを取って人前に姿を晒して音楽をやる人間の基本のはずなんだけど、なんかね、そういうのはいいや……って思いながら何十年もやってきた挙句がこれだったのだ。
 結局、吹田さんが電源オンオフをランダムにやってくれるシステムを大急ぎで作り翌日には持って来てくれて、設営の仕上げまで江村さんと2人で手伝ってくれたのだ。こうして、「without records」初回の展示はなんとか1日遅れてオープンすることができた。でもね、普通展示の設営が間に合わなくてオープンが遅れるとかあってはならない話だよなあ。本当に情けない。おまけにプレーヤーの配置とかも、今考えると酷いものだった。今のオレが見たら、きっと厳しいダメ出しをしたと思う。ただ当時は、そのことをあまり深刻には考えてなかった。そんなことより、予想を超える音の面白さに、舞い上がっていたってのが正直なところだ。ギャラリーを運営していた田村くんが全く美術畑の人間ではなかったのも幸いしたんだと思う。彼も音のことしか考えてなかったように思う。ただね、こんなダメダメな2人ではあったけど、そのことが、むしろ幸いしたようにも思うのだ。1日遅れのオープンも大した問題にならず、造作や配置のド素人っぷりにも文句も出ず、むしろ伸び伸びと音のことだけを考えながら展示が組めたことで、なんだか勝手に新しい可能性のようなもんを見つけた気になっていたのだ。もし各方面からただダメ出しを食らい続けるだけだったら、きっと、今にまで至る音楽の展示作品をこの後作ることもなかったように思うのだ。そして、このダメダメな展示からわたしの可能性に注目してくれた人が現れたことが大きな転機となり、2年後、3年後には実際に大きな展示をやることになるんだけど、その辺の話はまた次回。

 とりあえず、今回はその予告編ってことで2008年に山口のYCAM(山口情報芸術センター)でやった「without records」の映像を上げておくんで、ぜひ見てみて!

 この展示の直後、オレは大阪の築港赤レンガ倉庫で梅田哲也、毛利悠子、堀尾寛太、指吸長春の展示作品を見ることになる。梅田哲也の展示はヘリウムガスのバルーンをレンズのように使って低周波を逆相にするもので……って、これ多分、なんのことか全くわかりませんよね。簡単に言えば物理的な現象を使って音を変形させるもので、おそらくほとんどの人には意味がわからなかったと思うのだけど、何十年も音のことばかり、それも電気をを使って作る音のことばかりを考えてきたオレにとっては、電気を使わずに、物理現象のみで位相を変えるってのは、もう、天地がひっくり返るくらいの衝撃だったのだ。本当に素晴らしい展示だった。そしてもう一人、毛利悠子の巨大なコイルを使った展示も素晴らしくて、この直径1m以上はありそうな巨大コイルと地球の磁力が勝手に反応し発電することで(多分そんな仕組みだったと思う)わずかに高周波音が発生するもので……って、これもなんのことかさっぱりわかりませんよね。でも、これも、何十年も音を出す仕組みのことを考え続けてきたオレにとってはコロンブスの卵的な衝撃。初展示作品「without records」でオレもなかなかいけるかもなんて図に乗っていたんだけど、彼らの展示を見て、そんな気持ちは一気に冷めてしまった。それも強烈に。展示ってのはこうでなくちゃ。ってか展示の可能性は、オレが考えているような、単に音楽的にどうこうなんてちっぽけなもんじゃねえなって彼ら彼女らの展示を見て心底思ったのだ。

追記
 「ぼくはこんな音楽を聴いて育った」久々の連載再開ですが、すいません、どうにも前回からの続きの高柳昌行さんとの時代のことを書くと筆が止まってしまい、なので、時代をランダムに遡りつつ、過去にやって来た様々なことを書きながら、出会った音楽や人のことを書くなかで、随時高柳さんとの時代のことも触れていく形を取らせてください。ということで、今回は、今現在制作している展示作品から2000年代中頃の展示を始めた頃の話に遡りつつ、そこからさらに遡って80年代のクリスチャン・マークレーとの出会いと、そこに絡む高柳さんとの話まで持っていければと思っています。うまくいくかな。ということでどうかお楽しみに。

―――――――

  現在製作中の「without records 2023」は7月23日~11月5日まで山口駅前にあるYCAMのサテライトAで見る(聴く)ことができます。

詳細はYCAMのサイトを。

―――――――――――

関連書籍

良英, 大友

ぼくはこんな音楽を聴いて育った (単行本)

筑摩書房

¥1,760

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入