世界の「推せる」神々事典

ディアン・ケーフト【ケルト神話】
――治癒の泉で怪我を治す

神話学者の沖田瑞穂さん連載! 世界の神話に登場する多種多様な神々のなかから【主神】【戦神】【豊穣神】【女神】【工作神・医神】【いたずら者の神/トリックスター】【死神】を解説する企画です。あなたの「推し」神、どれですか?! 今回はケルト神話から。

◆ものづくりの神々【技巧神・医神】/男神

女神ダヌの一族の医神。名前の意味は「迅速に事を運ぶ力の主」であり、迅速な治癒能力を表わすものと思われる。

◆眼や腕の手当てをした

薬草が浸された「健やかな泉」を持っていて、そこに負傷者や戦死者を投げ込むと、怪我が治ったり蘇生したりする。眼をつぶされたミディルとルグの治療をしたこともある。フォモーレ族との戦いで片腕を失ったヌアドゥ王のためには銀の義手を作ってつけてやった。これはおそらく最初の義手の記述であろう。眼や腕の手当てをしているので、外科手術に長けた神であったのかもしれない。するとギリシアのアスクレピオスに通じるところがある。

ところが、ディアン・ケーフトがつけた銀の義手の代わりに、息子のミアハがもっと優れた医術を見せ、本物のヌアドゥの腕を移植することに成功した。ディアン・ケーフトは嫉妬の怒りのあまり、息子を殺してしまった。

ミアハを埋めた場所から薬草が生えたので、ミアハの妹アルウェドがそれらを調合して人々のための薬としようとした。しかし怒りの収まらないディアン・ケーフトがその薬草の順番をめちゃくちゃにしてしまった。この時もしアルウェドが薬草の調合に成功していたら、人間は不死の薬を手に入れていたかもしれなかった。

◆治癒の泉、インドの場合

治癒の泉はインドの叙事詩『マハーバーラタ』にも出てくる。ただしその主は悪魔のアスラであるとされている。インドでは治癒や蘇生は神々よりも悪魔の側に属していたようだ。

治癒の泉に関して、インドのアシュヴィン双神とチヤヴァナ仙の話が想起される。スカニヤーという美女を見初めた双子の医神アシュヴィンは、自分たちのどちらかを夫にするようスカニヤーに迫る。スカニヤーは老いた聖仙チヤヴァナの妻であるので、頑なに双神を拒む。すると双神は、チヤヴァナ仙を若返らせてやるから、その上で自分たち三人の中から夫を選ぶがよいという。スカニヤーが同意すると、アシュヴィン双神はチヤヴァナ仙と共に泉に入る。そこから出て来た時には、三人は若く美しい同じ姿をしていた。スカニヤーはその中から、正しく夫のチヤヴァナを選んだ。チヤヴァナは若さを取り戻してくれた双神に感謝して、彼らに 神々の飲料であるソーマにあずかる資格を与えた。

この話でも、泉に入ることによってチヤヴァナは若さと美しさを取り戻しているので、ケルトの治癒の泉と同じ役割を見て取ることができる。

◆父子の軋轢の類型

ディアン・ケーフトが自分より医術に優れた息子を殺してしまった話は、神話ではしばしば見られる構造である。

ギリシアの神話のクロノスの話では、彼は息子に神々の王位を奪われるという予言を受けて、生まれてくる子を自らの腹の中に吞みこんでいた。末子のゼウスだけが母神と祖先のガイア女神によって助けられた。後にゼウスがクロノスに吐き薬を飲ませて兄弟たちを救い出した。クロノスと、ゼウスをはじめとする神々との間に戦争が起こったが、ゼウスらが勝利した。

この話の場合、父子の葛藤は息子の勝利で終わるが、ディアン・ケーフトの場合は父が息子を殺してしまったので、結果は異なる。しかしながら、神話は多く父子の葛藤を描くものなのだ。

(参考文献;松村一男、平藤喜久子、山田仁史編『神の文化史事典[新版]』白水社、2023年、「ディアン・ケーフト」の項目(渡邉浩司執筆)。
ミランダ・オルドハウス=グリーン著、倉嶋雅人訳、井村君江日本語版序文『ケルト神話――古代の神々と伝説のガイド 』スペクトラム出版社、2018年。
プロインシァス・マッカーナ著、松田幸雄訳『ケルト神話』青土社、1991年。
井村君江『ケルトの神話』ちくま文庫、1990年)

関連書籍

沖田 瑞穂

世界の神々100 (ちくま新書, 1774)

筑摩書房

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