人はアンドロイドになるために

2. アイデンティティ、アーカイヴ、アンドロイド 後編

 三一歳のハルには、サクラとジュンというふたりの息子がいた。彼は二〇歳で子どもを授かり、結婚をし、そしてすぐに離婚し、再婚をし、また離婚した。二人の息子は腹違いなのだ。二度の離婚は、彼のした浮気が原因である。初婚の平均年齢が三〇歳手前、子どもを持つ年齢は三〇代に入ったあとという晩婚化・晩産化が進んでいた時代に、彼は若すぎるパパでもあった。

 ハルは息子たちのことを溺愛し、仕事場では絶対に見せないやさしい顔を子どもにだけは見せていた。親権はともに母親にあり、彼は月に最大で四日だけ会うことができた。

 ハルは長男サクラの一三歳の誕生日のお祝いに、父子ふたりで東京から船で片道一〇時間かかる離島へと、小旅行をする。初夏の、快晴の日だ。二時間も歩き回れば一周できるようなその島は、観光客も含め、人の姿はまばらである。午後の日射しに心地良さを感じながら、ふたりは浜辺に並んで腰かけ、話をする。サクラは成長が早く、ハルは童顔だったから、親子というより年の離れた兄弟のようだった。

「父さんのアンドロイド、また話題になってるね」

 サクラはその話題がハルの機嫌を損ねると知っていて、あえてぶつける。ハルは手元の砂をめいっぱいつかんで、適当に放り投げる。風が吹き、砂はさらさら流れる。青空が、やけに高く感じる。

「そうらしいな」

 ハルのアンドロイドは“ハル2”と名づけられ、大成功をおさめた。ハルはハル2と組んで、人間とアンドロイドとが共演する史上初のツアーを行い、注目された。その後、各国から「ハル2のソロ公演」をオファーされ、ハル自身は裏方へとまわってプロデュースに徹し、これまた絶賛された。

 ノウハウが蓄積され、ハルなしでも稼動可能になってしまうと、ハルはハル2を使った表現につまらなさを覚えるようになっていった。そこに、アメリカのショービジネス界では知らぬ者のいないジャック・ウェストから、ハル2とコラボレーションしたいという申し出があった。ハルは快諾する。コラボが成功すると、ハルはジャックの会社にハル2のマネジメントをしばらく任せることにした。自分では引き出すことのできないアンドロイドの可能性を見つけてくれるのではないか、と思ったからだ。

「最近じゃ、俺の新曲よりも、誰かとアンドロイドがコラボした曲のほうがうけている。俺のSNSには毎日『ハル2は本当にすばらしい』という感想が飛んでくる。この調子なら、サクラやジュンに将来かかる学費だって、あいつが勝手に稼いでくれるだろう。俺の老後も安心だ」

 非営利団体アンドロイド・アーカイヴ財団との契約上、ハルがハル2の所有権を手放すことはできない。だが、この時期はまだ、使用権を本人以外に委ねることができた。ハルの動きをコピーするだけでなく、財団の管理が及ぶ範囲では、新しくプログラムを追加することもできた――本人の動きの特徴を反映していないプログラムは許諾されなかったが。

 ハルはジャックの会社と「儲かった分だけフィーはもらうが、好きに使ってくれ」という契約を結んだ。ハル本人にいちいち許可を取らずとも、ハル2はあちこちに露出し、活動できる。

 アンドロイドの使い方に対するハルのチェックが不要になると、ジャックはハル2を男性アイドルとして売り出した。ある種の若い女性たちの理想像を体現するしぐさや振り付け、歌唱を誇張した。それはハルがもともと無自覚に備えていた魅力だった。しかし「ミュージシャン」として認められることを何より望んでいた本人は決して強調してこなかった部分である。その路線が、うまくいきすぎたのだ。

 サクラは目の前にいるハルの自嘲めいた口ぶりを見て、そしてハル2の露骨なまでのあざとい仕草を思いだし、「こんな父親じゃなかったはずだ」と反発を覚えながらも、黙って聞いている。ユキとの決裂を選んでまでアンドロイド化を最終的に決めたときには、あんなに意気込んでいたのに。

「……すまん。お前の誕生祝いの旅行なのに」

 不満を漏らす親の姿は喜ばしいものではない。ただ、父親がふだんは見せることのない弱い部分まで自分にさらけ出してくれていることについてだけは、サクラは嬉しく思ってもいた。「誕生日のお祝い、何がいい?」と聞かれて、父親とふたりで旅行をしたいと言ったのはサクラである。ハル2の活躍に対して父が焦り、イライラしているのを見かねて、誘ったのだ。とはいえ中学生が、親の人生について何か言えることがあるわけでもない。日常の喧騒を離れればリフレッシュできるかもしれない、と思ったまでだ。

「聞きたかったんだけど、父さんはなんでハル2を止めないの。あんなの、父さんじゃない。あんなロボット、ぶっ壊せばいい。俺、あいつ嫌いだよ」

 サクラは学校でクラスの男子から「お前の父ちゃん、気持ち悪い」とハル2の過剰なセックスアピールについてバカにされていたのだ。

「それは違う。たとえばサクラやジュンが何かすることを、父さんは止められないし、止めるべきじゃないだろう? それと同じだよ」

「? 何言ってるの? 俺らをロボットと同じ扱いしないでよ」

 父親の自己中心的な言動にはよくカチンとくることがあったが、実の息子を機械と同列にするとは、さすがにひどい。

「サクラがロボットみたいだなんて言ってない。そうだな。作家にとって、自分の作品は子どものようなもの、ってよく言うだろ」

「? でも、俺は曲じゃない」

「今までは違うと思っていた。作品はコントロールできても、子どもは親がコントロールできるものじゃない。そう思ってきた。でも、アンドロイドはまさに子どものような作品だった。そう、なってしまった。できあがってから、わかったんだ。父さんの意図や願望を超えて、ハル2は勝手に人々にとって意味をもつ存在になった。驚いたよ。父さんが求められているんじゃない、ハル2が求められているんだから。だけどハル2は、父さんのコピーのはずなんだ。つまり父さんでもいい、いや、父さんのほうがいいはずなのに、ハル2にオファーが来る。これは不思議だし、負けてるみたいで悔しい。でも、こういう状態を放っておいたらどうなるのか見てみたくもあるし、あいつに絶対勝ってやる、って闘志が燃えてくるものでもある。だから、好きにさせてるんだ」

「? 何言ってるのかわかんないけど……。じゃあ父さんは、僕やジュンにも負けたくない、って思ってるの?」

 ハル2が自分たちと同じだ、というのであれば、そういうことになる。実はサクラは、自分もシンガーをめざすと、この旅行のあいだに、父に打ち明けるつもりだった。有名すぎる父を持ったせいで小さいころから「君も音楽やるの?」と言われて来たサクラは、比べられるのがイヤで「絶対やらない」と、長らく周囲にも、ハルにも公言してきた。ハルも「音楽をやれば、何をしても父さんと比べられる。お前は違う道を行け」と言い続けてきた。しかし、父に似て負けず嫌いのサクラは、徐々に「だったら親父を超える存在になってやる」と思うようになっていたのだ。もしや父がハル2に対して感じているのは、今の自分が父への対抗心を抱いているのと、同じことなのでは。だとしたら、自分がハル2よりもすごいやつになってやる。そうしたら自分もアンドロイド化される栄誉を得て、後世まで聞き継がれるミュージシャンになれるかもしれない。サクラは父と同じく「自分が永遠の存在になる」ということに憧れを持っていた。

「サクラたちに負けたくない……? 負けたくない、ではないかな。ただ、手本でありたいとは思っている。ああいう大人になりたくない、とか、あんな父親にはなりたくない、とは思われたくない。それには、サクラやジュンより先に行ってないといけない」

 言いながら、ハルはアンドロイドの輝きを見て、腐っていた自分を恥じる。背筋を伸ばさなければ。自分はやれる。やれる人間だ。そう信じて突っ走ってきたはずじゃないか。その自分を取り戻さなければいけない。アンドロイドに奪われた輝きを。

 過去のヒット作が、いま現在、かつてのような反響を呼び起こせない自分をみじめなきもちにさせることは、歌手や芸術家にはよくある事態である。過去につくった自分の代表作が、現在の自分の壁となる。乗り越えたくても、乗り越えられないように思えてくる。全盛期の肉体、知力、創造力が失われていったあとで、人はいかに自尊心を保ちながら生きていけるか。ふつうであればもっと老いてから襲い来る心理的な恐怖に、ハルは自分のアンドロイドをつくることで直面させられていた。自分の分身は支持され、自分自身はそれよりも支持されない。これからも、ずっと?

 自分自身のアンドロイドがあることが、老いを明確に意識させる。ひとりで生きていれば、日々、年を取ることを忘れるときもある。しかし、常に比較対象がある。

 アンドロイドに生身の自分がどんどん引き離され、疲れて身体が重くなり、もう追いつけない。そんなヴィジョンが、何度もハルの脳裏をよぎる。

 ――たしかにアンドロイドのおかげで、作品はのちのちまで残る気がする。俺は残るのだろう。俺はそれを望んでいた。嬉しいはずだった。なのに、もやもやする。俺の気持ちが置いていかれている。そんな感覚がある。ハル2は俺なのか? 俺の作品なのか?

 ハルは葛藤していた。

 ハル2は、社会的にはハルそのものだった。社会に、全世界に、より認知されたのはアンドロイドのほうだった。

 ――このままでは、アンドロイドにぶら下がって生きている寄生虫のように見られるんじゃないか? いつか、自分のほうがお払い箱になる。

 ハルは、恐怖を抱く。

 他人にとってはハル2こそがハルだ。それは彼自身、わかっていた。少なくともハルの一部だと思われている。だが違和感があった。「これじゃダメだ。違う。いやだ。今の状況がいやだ。いやだ、いやだ、いやだ」……息子を横にして、ハルは内心、子どものように思う。

「変えなきゃ。自分を。ハル2のイメージから、離さなきゃ。これじゃあ、ユキの不安が的中したって認めるようなものだ。それはまずい。ハル2にも負けたくないけど、ユキにも負けたくない」

 思わず口に出ていたハルの言葉を聞き、サクラは複雑な表情をする。ハルとユキの確執のことは、サクラたちも知っていた。ユキはハルの息子たちとも仲がよかった。両親の仲が険悪になり、二度の離婚騒動があったとき、心のケアをしてくれたのはユキだった。サクラたちには、ユキ側の情報も入ってきていた。サクラはアンドロイドなんか倉庫にでもぶち込んで、ユキとまた組んだほうがいいのに、と思っている。

「ああ、サクラはユキの歌が好きだもんな。よくマネして歌ってるよな」

 サクラはユキの歌い回しの特徴をよく捉えていた。

 ――しかしそんなモノマネの才能があったところで、いったい何になるというのか……いや、そうとも言えないか。ハル2は自分のモノマネによって稼いでいるのだから。

 息子が「ハルノユキ」の活動再開を望んでいるからと言って、自分の信念を曲げるわけにはいかない、とハルは思う。解散してからユキとは連絡を取っていない。ただ情報はイヤでも耳に入ってくる。ハルは、またユキと話してみたいと思い始めている。

 ――ハル2ができあがるまでは、あいつが何をおそれていたのか、実感できていなかった。それがわかった今なら、ふたりでハル2を超えるなにかができるかもしれない。そうやって、サクラに、トモに、親として背中を見せなければ。

 サクラとの対話を経て、ハルはそう思う。女遊びももうやめだ。人生は短い。自分もユキのようにストイックに、音楽に生きてみよう。ハルは生まれ変わろうと決心した。

 

 しかし、彼には時間が与えられなかった。

 突然の大地震、そして津波が、浜辺にいた彼らを襲う。高台に逃げる途中で、父子は呑まれた。

 最期の瞬間、ハルが何を考えていたのかは、わからない。