人はアンドロイドになるために

6. 時を流す(2)

「人間の数は増えすぎています。人類は食料のいらない精神体になり、美しい地球を保つべきです。生身の身体を捨て、人間を減らす。生身の身体を捨てることを拒む人間も減らす。たとえば生身の身体に固執し、科学技術の進展を遅らせる連中とかをね。ああいった手合いが減れば、人類進歩の速度は増すのです」

 さも合理的な選択であるかのようにジャクスンは言う。ぞっとする。彼が「人間至上主義者は殺してかまわない」と説いていることは、公然の秘密だった。

「殺人の肯定はいただけないが、今さら言ってもムダなのだろうな」

 ジャクスンは再び笑う。では、と僕は続ける。

「もっと素朴な質問をさせてほしい。ブレインアップローディングをしたあとでも電力は消費する。食料はいらなくなるにしても、結局エネルギーは必要だ」

「宇宙に出て、太陽光でまかなえばいいのです。自然の力は偉大です」

「生身の人間は嫌いなのに、自然は好きとは、ふしぎなものだ」

 彼らはブレインアップローディング後の人類を宇宙に旅立たせることを提唱していた。僕は問いかける。

「ひとつ聞きたいが、それなら地球を美しく保つ意味はなんだ」

「地球の生物多様性がロボットや人工知能の発展に役立つからです。生体を模倣した機械、バイオミメティックなマシンをつくるにあたり、サンプルは多いに越したことはありません」

「機械に模倣されるために存在する多様な命、か……倒錯しているな」

 同様に、彼らの考えでは「人間が機械を必要としているのではなく、機械が人間を必要としている。人間は機械の自律的な進歩に資するために存在している環境にすぎない」のである。どうかしていると感じつつ、しかし、若いころにこんなことを言われたら興味を持ったかもしれない、とも思う。

「アンドロイド・アーカイヴ財団のような人間中心主義的な選民思想よりは確実にマシだと思っています。賢さだの身体的な優秀さだの、おきまりのモノサシでしか価値判断ができない連中とは、私たちは違うのです。私たちは多様性をこそ重視しています。だから犯罪者のような反社会的な存在のデータもコピーしておき、いつでもアンドロイドを作れるようにしているわけです」

「しかしそうは言っても、百人いたら百人のデータをすべて遺しているわけでもない」

「無限に保存できるならそうしたいですが、現実的ではない以上、しかたありません」

 結局は彼らとて選民思想なのだ。しかしそうした恣意性を設けて価値基準を明確に打ち出さなければ、思想集団など成り立たないだろう。「なんでもいい」などという判断を下す団体に惹かれる人間はいないからだ。極端なポジションを取るもののほうが、人目を引きつける。

「片山さん。いえ、今は真木さんとお呼びすべきでしょうか」

「どちらでも」

「では片山さん。あなたならわかるでしょう。ロボットは世の中に普及しました。でも、ほとんどの人間は奴隷としてロボットがほしいだけ。いまだ自分たちをロボットより上にいるものだと思っている。実際ははるかに、ロボットが生み出す価値のほうが、人間が生み出す価値より上回っている。彼らは現実を見ていない。私はロボットを正しい地位に上げたいだけです」

「君の言うことは、多少はわかる。一昔前にあったロボット脅威論は、ロボットが社会に溶け込んだことに伴い、極右や宗教過激派と同じくらいマイノリティな主張になった。しかし、だからこそ逆にロボット至上主義も今どきは流行らない。ロボットは、あって当たり前の存在だからだ」

「そうです。でも現在のロボットの扱われ方は、われわれの望むロボットのありようではない。ロボット普及の度合いが問題なのではなく、存在論的な位置付けの問題です。動物と人間とロボット、どれが上位の存在なのかということです」

 ややこしい話が始まりそうだ。僕は話を逸らす。

「しかし、君の団体もここまで大きくなったなら、もう何も、僕のコピーなど必要ないだろう」

「いいえ。私たちにはシンボルが必要です。わかりやすい偶像が」

「世間では僕のことなど忘れ去られている。なぜ今さら僕なのか」

 ジャクスンはじっと僕の目を見つめる。

「オリジンだからですよ。アンドロイドが人間を上回る価値を持った存在だと世に知らしめた、原点だからです」

「だけど何度も説明した。僕の考えは君たちとは違う。事件の真意も伝えたはずだ」

「あなたのなかではそうなのでしょう。しかし社会的にはそうみなされていない。社会にとって、あるいは私たちにとっての意味合いはそうではない」

「僕の意志はどうでもいいと?」

「ある意味では」

 ため息が出る。ジャクスンが続ける。

「あなたは……あなたの意志はそうかもしれない。けれど神の意志は違います。私たちは個人の意志より神の意志を優先します」

 やっと本性をあらわしてきた。

 彼らは唯一絶対の神の意志をつねに受信するための手段としてのブレインアップローディングと身体の機械化を提唱していた。センサネットワークを通じて神といつでも、どこでもつながることができるIoG(Internet of God)を。

「あなた本人はその自覚がないようですが、あなたは、神がこの社会を、人類を次のステージに進めるべく遣わした存在なのです」

「神の言葉の代弁者として都合よく使える道具がほしい、と。過激なことを自分の口からではなく僕を使って言わせれば、何かあったときに責任を取るのは自分でなくて済む」

 ジャクスンは鼻で笑う。

「そんな存在ではないですよ、私たちは」

 やはり彼の言うことは、わからない。

「君たちは、この社会に不満のある人たちを吸い上げて、ときに過激な行動に出ているけれども……社会を混乱させたいのか、変革したいのか、どちらなのかな」

「変革に混乱はつきものです。混乱が変革へのうねりを生み出すこともある」

 言ったあとで、僕自身はどうなのだろう、とふと思う。僕が考えていたように社会が変わってほしいという願望はあった。誰にだってそういう想いはある。しかしそう都合よくはいかない。であれば、混乱してめちゃくちゃになれば、それでいいのではないか。僕には家族もいない。仕事もない。社会に対する不満はあり、世の中がおかしくなっても失うものがない。かつて抱いていた怒りを、老いぼれてくたびれた身体が思い出していく感覚がある。

「片山さん。今のあなたは何が楽しくて生きているのですか。何のために生きているのですか」

「わからない。ただ……人間は、生き物は、目的がなくても生きられる」

 僕の発言を受けて、ジャクスンは、彼らの宗教における人間の意味について語る。

 彼らの考えでは神は全宇宙を創造したのち、力を使い果たして地球で休止状態なのだという。その教えを全宇宙に広める役割を担うのが地球人類であり、そのために身体を機械化して外宇宙に旅立たなければいけないのだ。それができるのは人間だけであり、その点においてほかの動物と人間とは区別されるし、機械化していない人間としている人間も区別され、階層付けがされる。彼らは「神を信じて死ねば、意識と知能を持った機械に転生できる」とまで言っている。

「片山さん。目的がない、どうでもよいのなら、この社会を変えたいと思う者たちに手を貸してくださってもよいのではないですか」

 そう言ってジャクスンは何度も僕に迫る。断る理由がない気がしてくる。彼らの宗教的な世界観には納得できないが、ロボットに何かを託して生きているその熱量には、共感を覚えはじめていた。

 彼らは機械を人間の道具として使おうとしているだけの連中とは違う。世の主流派のぼんやりとしたロボット観とは根底から違う。それは僕がかつて抱いたパッションに通じるものだ。

 人間至上主義者に巻きこまれ、世間の身勝手さに怒りを抱いたこの人生、まったく逆側に振り切ってみれば、違った景色が見えるのではないか。いや、そうしてこそ、僕の人生は初めてバランスが取れるのではないか。

 何十年かぶりに感情がたかぶり、全身が熱くなってくる。

 そして僕は、選ぶ。

 

(「時を流す」(第三回)につづく[1月20日更新予定])