人はアンドロイドになるために

6. 時を流す(2)

アンドロイドと人間が日常的に共存する世界を描き、「人間とはなにか」を鋭く問いかける――アンドロイド研究の第一人者・石黒浩が挑む初の近未来フィクション、いよいよ連載開始!

石黒氏による「僕が小説を書く意味」は→こちら

 刑期を終えて、久方ぶりに僕は外の世界に出た。

 刑務所で人間が変わることは難しい。他者がいないからだ。ヨーロッパやカナダでは事情が違うが、僕がいた刑務所では、刑務官や他の受刑者との密なコミュニケーションなどない。ルーチンがあるだけで、変化の糸口になるものがない。それに、「外に出たらこれをやろう」と思っても、実現の機会が先すぎると、モチベーションを保つことが難しい。年を取ればホルモンバランスが変わり、体力が落ち、やりたいこと自体が減じていく。「やりたいこと」があってもすぐにはできないから、希望を持つだけ苦しむことになる。若いころにはあれほど全身に満ちていた怒りすら、保つことが難しい。だから僕は滅していく「生きる意欲」とともに、自分自身とモノローグを続けていただけだ。そして、まわりに社会がなければ、人間は自分のことを知ることができない。自分の考えが特殊なのか、そうでもないのか、距離感がわからなくなった。

 外の世界は、変わっていた。

 刑務所のなかでもテレビや新聞を通じて知っていたつもりだったが、生で見ると印象は違う。完全自動運転車は大都市ではやっと事故の起きないレベルのものになり、僕のような中高年がお世話になる健康診断や手術のほとんどは自律型のロボットが担っていた。人々が携帯するデバイスは生きもののように柔らかく、表情も付いて感情表現ゆたかだ。間近で見たときには、ギョッとした。街頭でロボットやアンドロイドたちがぞろぞろと隊列を組んで政治的な主張を発しながらデモをしている様子にも面食らった。小さな個体が大多数で、かつ集団として統制のとれた行動をする群ロボット工学(スワームロボティクス)の研究は僕が刑務所に入る前から蜂サイズのロボットでは進んでいたが、人間サイズでもコントロール可能になったらしい。いや、複数人が遠隔操作で入っているのかもしれない。

 一方で、かつて通っていたショッピングモールはすでにない。僕が手がけていたアンドロイドも博物館にしかない。

 出所後の生活はどうだったか。

 父母は、僕を信じつづけてくれた。面会での言葉を信じれば、出所後も面倒を見るつもりだったようだ。若いころには退屈な父母を呪ったが、その愛情は本物だった。だが、年齢には勝てなかった。僕が出所する前に、ふたりとも亡くなった。僕は父が三八歳、母が三五歳のときに生まれた子どもである。僕は三〇歳で事件を起こし、それから三度の裁判があり、判決が下り、長い時間を服役に費やした。その間に父母は離婚し、「世間に戻ってきたときのことを考えなさい」と言った母のすすめで、僕は母方の姓「真木」を名乗ることにした。

 兄は二人とも「助けてやりたいが、自分にも家族がある」と言い、アパートを借りるために必要な金銭的な援助をしてくれただけだ。兄たちにとって自分はいつまでも「できそこないの三男坊」なのだ。事件があったから? いや、おそらくは、事件がなくても。それを変えられないまま、僕は死ぬのだろう。

 田舎は空き家だらけだったが、仕事を探すことが難しい。僕のような人間ならなおさらだ。履歴を詮索されない、不問にしてくれる仕事を考え、都市部へ通える郊外を選んだ。廃墟のような、築七〇年を超える巨大団地の最下層の一室だ。建物のまわりには広大な公園があるが手入れはされておらず、人の姿はほとんどない。静寂だけがある。